島民の冬眠

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 はるか昔――  その島では毎年大雪が降った。島中を埋め尽くす一面の雪。それもどこもかしこも数メートル以上の積雪量になる。それでも島民の日常はこれっぽっちも脅かされることはなかった。  その秘密は彼らの冬眠にあった。彼らは毎冬、クマのように深く穏やかに冬眠をした。雪の降り始める頃、皆で地下シェルターに下りて一斉に眠りにつく。島民誰一人欠けることなく。眠りに落ちるタイミングもほぼ一緒だった。島民一人一人の心拍数が連動するかのような深淵の一体感。  眠りにつくと体温は一定の温度まで下がり、再び目覚めるまで無駄なエネルギーを使うことはない。冬眠に備え晩秋に蓄えられたエネルギーは、ただ体温維持のためだけに少しずつ消費されるのだ。彼らはその間、全ての欲から解放され長い夢の世界に入り浸る。そして雪が解ける頃にはまるで何事もなかったかのように、また新しい春の生活を始める。    そういうわけで島民には"雪の思い出"というものがほとんどなかった。強いて言うなれば、冬眠中の夢が”思い出”ということになろう。夢は実体験よりもむしろリアルな体験として鮮明に記憶に残った。人々は老若男女問わず夢の中で数々の経験をし、心豊かなひとときを過ごした。    そして現在――    もうこの島にどっさりと雪の降り積もることはない。数百年かけて地球温暖化がじわじわと進み、少しずつ雪の量は減っていった。そうしていつしかこの島の氷河期も終わりを迎えてしまったのだ。それと共に島民の冬眠能力は退化していった。冬眠する必要がなくなってしまったのだからそれは自然の摂理というものだろう。  島民は冬眠をしなくなった代わりに、冬の間は長期休暇を取って仕事を休んだ。人々は冬に活動的になるとすぐに風邪をひいたし、少しでも嫌なことがあるとすぐに鬱になったりもした。元々夢の中に生きていたのだ。かつての冬眠体質の歪みというものだろう。だから長期休暇を取って自宅に引きこもり、無理なく過ごす必要があったのだ。  温暖化が進んだといってもうっすらと積もるくらいには雪は降り、それなりに寒かった。彼らは自宅の窓から雪を眺めると、そこはかとなく夢見心地になる。そして思い思いにお昼寝をする。はるか昔の冬眠夢が呼び覚まされるのだろう。冬眠ほどではないが、それはとても静かで穏やかな眠りだ。そして、短いながらも鮮明な夢を見る。  島民の大半はその夢を文章にしたためた。何世代も連綿と引き継がれてきた冬眠夢の記憶。それぞれが書き留めた文章は三者三様の物語だ。実際彼らの中には小説家になる者も多く存在した。その夢を小説として刻むために。冬の長期休暇にいくらでも書き溜める時間があったのだ。それに物語のネタはつきない。  一年中あくせく働く他の地域の人間からすれば、すこぶる羨ましい話だ。そもそも彼らは、クマの冬眠に心の底では魅了されているはずなのだ。クマの書く小説さえ欲しているのかもしれない。それは間違いなく、どんな"雪の思い出"よりも深く果てしない広がりに満ちていることだろう。 【了】
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