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第2章 学食にて
(先生を追いかけてみようかな)
それは突然中野の頭に思い浮かんだことでした。准教授は前方のドアから今、出て行ったところだったので、中野は急いでテキストをカバンに詰め込むと先生の後を追いかけることにしました。
(先生、意外に足が遅いのかな)
ちょうど昼休みの時間になったので、中野は先回りをして1号館にある職員食堂に向かったのですが、准教授はそこになかなか現れませんでした。中野が3105教室を出た時には既に准教授の姿は見えなくなっていました。そこで近道を通って職員食堂の入り口で待っていたのです。もしかしたら別の場所に行ったのではないかと中野は不安になってきました。
(お昼だから職員食堂に行くと思ったけど違ったみたい。まさか中央図書館?)
中野がその場に立ち続けて10分は経ちました。
(或いは先生の研究室とか?)
中野はそう思ったものの、自信はありませんでした。
(お腹も減ったし、何か食べに行こうかな)
結局中野はそこに20分くらいいました。しかし准教授が現れなかったので仕方なく昼食を食べに学生食堂に向かうことにしました。
(「腹が減っては戦は出来ぬ」か)
学生専用の食堂は中央図書館の隣の建物の1階から4階にかけてありました。中野はその中でお気に入りの4階に向かいました。中野が注文するものはいつも決まっていました。それは日替わりのAランチです。入学したばかりの頃はあれこれと迷って、いたずらに時間をつぶしていましたが、結局はAランチに落ち着いていたので、そのことに気が付いてからは何も考えずにAランチを注文するようになったのです。
いつものように券売機でAランチのチケットを買い、カウンターにそれを提示するとほぼ同時にそれがお盆に載って中野の目の前に差し出されました。
(あ)
そしてどこに座ろうかと辺りを見回した中野の視線の先に、先ほど姿を見失った吉田准教授の後ろ姿があったのです。先生はお盆を抱えて、そこにかつ丼を載せていました。准教授の向かった先には席が4つ空いています。
(なんだ。ここにいらしたんだ)
准教授の後ろ姿は先ほどの講義の時と違って無防備に見えました。それで声を掛けやすそうに思えました。
(どうしよう)
しかし無防備に見えても准教授は准教授です。席を同じくしたら、やはり緊張してしまうでしょう。それで中野は迷いました。
(同席する?)
そして自分にそう問いかけました。中野は食事の時くらいはリラックスしたいと思っていました。しかし、准教授を前にしたらそれは叶わないでしょう。ただ、先生と直接話をするチャンスはなかなか訪れないだろうと思うと、ここは意を決して同席することにしたのです。
中野「失礼いたします」
中野は会釈しながらそう言うと、准教授の正面に座りました。准教授は中野を一瞥すると軽く頷いて、食事を続けました。中野は絶好の機会を得たと嬉しくなりましたが、実際に向かい合うとやはり緊張して何も言い出せませんでした。それで、ひたすらAランチを食べ続けました。
准教授「君はさっきの講義に出席していた学生だね?」
すると中野の様子を察した准教授が声をかけてきました。
中野「はい」
准教授「私に何か質問でもあるのかな?」
中野「え」
中野はいきなり核心を突いた准教授の質問に慌てました。でもせっかくの好機です。ここはしっかりと思っていることを伝えなくてはなりません。
中野「実は高校生の時に先生の本を読んだことがあるんです。それで先生の講義を楽しみにしています」
中野が准教授を知ったのは高校生の時でした。偶然、彼の著書を読んだのがきっかけです。しかし、自分が入学した大学に教員として彼が在籍することになるとは夢にも思っていませんでした。それが新しい学年が始まって、授業内容を紹介するパンフレットに彼と同じ名前を発見すると半信半疑で文学部事務室を訪れてみたのです。するとそこで彼の姿を見つけたのです。
准教授「私の本を?」
中野「はい」
准教授「それはなんというタイトルでしたか?」
中野「『お墓から2700年前の先祖がわかった!』でした」
准教授「ああ、あの本ですね。すると君も先祖探しに興味があるのかな?」
中野「はい。でも2700年前なんてとっても遡れません」
准教授「私の講義は近世墓についての説明になるけど、その中で先祖探しについてもいくらか話が出てくると思います。そういう意味では君の期待に応えられるかもしれないね」
准教授のその言葉に胸を膨らませた中野は、ふと先生の持っている箸に目が留まりました。それは均整のとれたV字型でした。それで物を掴む部分が1センチほどで収まっていました。中野は何かの本で、「箸先五分、長くて一寸」という言葉を知っていました。五分とは約1.5センチ、一寸とは約3センチを表します。現在では箸先4センチまで良しとされていると聞きますから、先生は合格ラインを見事に突破していたのです。
准教授はかつ丼をきれいに食べ終わると、中野にごゆっくりと言って立ち上がりました。中野は准教授の食べている様子に見とれていたので、食事があまり進んでいませんでした。そこで会釈をして准教授を見送りました。
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