吉田准教授の近世墓講義

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第3章 講義第2回 准教授「それでは第2回目の講義を始めます。今日は前回の続きですから、いよいよ仏教が日本に伝来した後の話になります」  出席した学生の数は前回の3分の2程度に減っていました。前回の講義では出席を取らなかったので、准教授が出欠にはこだわらず成績をつける先生だと判断されたのでしょう。ただ、最終的に成績が試験に依るのか、それともレポートの提出で済むのか、そこがはっきりしていません。それでそれを見極めるまでは出席しようと思った学生がまだいるのだろうと中野は思いました。 (そんなのどちらだって構わない。私はこの講義を聴きたくて出席しているんだから) 准教授「仏教の伝来には2つの説があります。『日本書紀』によると、AD552年です。しかし現在の通説ではAD538年です。日本に仏教が伝来し、法隆寺の五重塔がAD607年に造立されました。その後、この五重塔は落雷で燃えてしまい、AD689年に再建されたと言われています。それでも今から1335年前の造立になるわけです」  中野はどうして准教授が五重塔の話を始めたのか、その意図がつかめませんでした。それで暫く静観しようと思いました。 准教授「これは皆さんもよく知っている法隆寺の五重塔です」  准教授はそう言って教壇の脇にあるスクリーンに画像を映し出しました。 中野は前回の講義と同じ席、つまり教壇の正面、一番前の席に陣取っていました。どうやらそこが彼女の指定席になったようです。准教授も中野の姿をそこに確認すると1週間前の学食のこともあり、彼女を認識したようでした。 准教授「五重塔はお釈迦様の骨が収められています。そういう意味で墓です。お釈迦様の墓になるわけです。お釈迦様の威光を塔を通して四方八方に放射しようとしたのです。その後、領主が自分の領地に寺を建立して、そこに多層の塔を建て、自国の平安を願いました。この多層塔は五重塔を真似た縮小版だと思って良いでしょう」  そう言って今度は多層塔の画像をスクリーンに映し出しました。 准教授「その後、国衆レベルの人が仏塔に見立てた五輪塔を造り始めます。五輪塔は五重塔を真似たものです。その五輪塔に銘が刻まれた人の威光を四方八方に放射するツールだったのです。やがて五輪塔は供養塔の役目を持ち始めます。故人の威光をばら撒くものではなく、故人を偲ぶものに変わっていったのです。五輪塔が同じ場所にいくつも建てられているものは一族のもので、大きな五輪塔が国衆のもの、小さなものはその家臣のものとなります」  准教授はそこで画像を別のものに切り替えました。 准教授「こちらが五輪塔です」 学生A「国衆とはどのような人なのでしょうか?」  中野がスクリーンに映し出された五輪塔のうち、大きなものと小さなものを振り分けていると後ろの席から学生の声がしました。 准教授「国衆とは、地侍や地域の農民で集団を作り、それをまとめていたリーダーのことです。守護大名が現在の知事だとすると、国衆は村長だと表現されることがあります」 学生B「先生、供養塔とお墓の違いは何でしょうか?」 准教授「供養塔は亡くなった人の供養を行うために建てられたものです。また墓は遺骨が納められている場所の目印として建てられています。では次の画像に移ります。これは宝篋印塔(ほうきょういんとう)です」 准教授「この宝篋印塔は地方の豪族が供養塔として建てました。豪族とは土地や財産や私兵を持ち、その土地に一定の支配権を持っていた一族です。勿論守護大名や戦国大名ではなく、それらの家臣でもありません。つまり、中央政権の直接的な支配は受けずに、中央集権の後ろ盾を持たない独立した集団だったのです」  中野は五重塔以外、どれも初めて見るものでしたが目をキラキラと輝かせながら映し出された画像を見入っていました。 准教授「さて、次の卒塔婆は皆さんもお墓参りや法要の時に、目にしたことがあるのではないでしょうか?」 スクリーンに映し出されたそれには、確かに中野も見覚えがありました。ただそれがいつ、どこでだったのか、彼女には記憶がありませんでした。 准教授「卒塔婆は五輪塔、つまり五重塔を真似たものです。法要の際に新しいものに取り換えていました。そして弔い上げの時に木製の卒塔婆から石製の墓に替えていたのです。そのタイミングは三十三回忌、五十回忌の弔い上げが多かったようです。現在は先ず墓を建てて、それに加えて法要の際に卒塔婆を建てています」 (あ、そうか。じゃあきっとあれを見たのは誰かの法要の時だったのね) 准教授「先を続けます。鎌倉時代末期になると板碑というものが登場します。板碑の特徴は頂部が三角形になっていることです。これは卒塔婆に天冠(てんがい)を被せたものです。板碑は鎌倉時代末期から戦国時代末期にかけて造られました。正確には嘉禄3年(1227年)から慶長5年(1600年)の約370年間です」 学生C「天冠とはどういうものでしょうか?」 准教授「皆さんは幽霊は知っていますね? あの、うらめしやーと言って柳の下に出てくる幽霊です」  一同が笑いました。しかし中野はその雰囲気にはつられませんでした。 准教授「その幽霊が額につけている三角形の白い布が天冠です」 学生D「どうしてそのようなものを被せたのですか?」 准教授「本来、天冠とは死者を棺桶に入れる際に額にあてがった白い三角形の布のことです。正装の際の冠を簡略化したものだと言われています。冠は武士の中でも従五位以上の身分の高い人が、元旦や正月二日の登城の際に着用したものでした。そこで身分の高い人の墓にも、この冠を被せたものが頂部の三角形なのです」 学生D「すると板碑を建てた人は身分が高かったということになりますか?」 准教授「そうですね。基本的に今まで紹介した五輪塔、宝篋印塔、板碑などは高価なものだったといえます。造立には財力が必要です。それにあわせて身分が高くなければ許されなかったということも言えます」 学生D「許されなかったというのは何か決まりのようなものがあったのですか?」 准教授「AD757年に施行された『養老律令』の『喪葬令』で、庶民は墓を持ってはいけないと謳われていました。ですから庶民は墓を建てられませんでした。供養塔は墓ではありませんが、墓と同様の物と考えてよいと思います」 学生E「先生、板碑は墓ですか?」 准教授「供養塔です。墓の登場は江戸時代まで待たなければなりません。ただこの板碑には供養塔以外、『講』の際に用いられたものも存在します」 学生E「講とは何でしょうか?」 准教授「宗教的、経済的、あるいはそれ以外の目的で集まった集団で、彼らが行う儀式の際に、板碑を建ててそこに集ったことがあったようです」 学生E「集まってどんなことをしたのですか?」 准教授「その集まりを『月待講』といいます。十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜に、『講中』と称する仲間が集まって飲食を共にした後、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払う宗教行事をしたようです」 (それが講なんだ) 准教授「またそれとは別に農村では『女人講』といって、女性だけが集まって同じような行事をしたものもありました」 (今の女子会みたいなものかしら) 准教授「話が脱線しました。この講義で取り上げる板碑はそれらとは違っていて、武士が逆修供養で建てたものになります」 (逆修供養?) 准教授「逆修供養とは、死後の往生菩提に資するために、生前に供養を自らすることをいいます。亡くなった後に墓を建てるよりも七倍の功徳があると言われています」 中野「鎌倉時代の武士はそれほど信心深かったということでしょうか?」  中野は少しだけ勇気を出して目の前の准教授に質問をしてみました。 准教授「『いざ鎌倉』という言葉を聞いたことがありますか?」 中野「はい」 准教授「謡曲の『鉢木』から来た言葉です。鎌倉幕府は何か一大事があると諸国の武士を鎌倉に呼びつけました。その際、呼びつけられた武士は自分の領地を飛び出して戦に向かうわけです。生きて帰れるのかわかりません。それで戦地で死ぬことがあってもちゃんと往生できるようにと戦地に向かう前に生前供養を済ませたそうです。その際、逆修供養としてこの板碑を建てたそうです」 そう言って准教授は板碑の画像を映し出しました。 准教授「しかしこのような板碑は慶長5年(1600年)を最後に建てられなくなります。そして関ケ原の合戦が同年に起こり、慶長8年(1603年)には江戸幕府が始まりました。いよいよ近世です」 (あ)  その時、教室に講義終了のチャイムが鳴りました。 准教授「ではこの続きはまた次回ということで」  そう言って教授はテキストをワインレッドのカバンに丁寧にしまうと、教室前方のドアから退室して行きました。その様子を中野はじっと見つめていました。そして今日も学食まで追いかけて行って、准教授と昼食を一緒に取ろうか考えていたのです。 (でも、何を話そう?)  しかし中野にはこれといって話題がありませんでした。今日の講義の感想を述べようかと思いましたが、感想を言えるほど中野の知識は充実していませんでした。なんせたった2回の講義を受けただけです。 それでは准教授に質問をしてはどうだろうかと思いました。 (でも何の質問をしよう?)  しかしそれも得策だとは思えませんでした。まるで自分が講義を聴いていなかったように、准教授に思われてしまうのではないだろうか。中野はそう考えたのです。 そうこうしているうちに時間が結構経っていました。それでその日は4階の食堂には向かわずに、今まで一度しか行ったことがなかった2階の食堂に行くことにしました。もし4階に行って准教授と出くわしてしまったら、ばつが悪い思いをすると中野は考えたからです。
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