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肝心の好きな人がいるという恋愛話を持ちかけたのは早まったことかもしれない。焦ってしまった。しかも好きな人は目の前にいる野原であるというのに。野原は深山の気持ちに気づいてしまったのだろうか。
面談をした空き教室を出て、次の生徒を呼びに教室に戻る。すると岩津が机に凭れながらニヤニヤしながら声をかけてきた。
「どうだった?」
「微妙」
「相談どころじゃなかったってか?」
「あーくそっ! 作戦失敗だぁああ!」
鞄を肩に掛けながら急に大声を出して教室を飛び出していった。それを見た岩津は慌てて深山の後を追いかける。
「深山ー! ちょっと待てよ〜!」
校門を出て長い平坦な田んぼに囲まれた畦道を駆け抜けて行く。突き当たりの角を曲がると小さな商店街の街道に入る。そこに深山の実家はあった。実家の飲食店『みやま』は今日も絶賛営業中だった。
母親の店の跡を継ぐ――と野原に恰好良く告げたのはいいものの、本当は野原と一緒になりたい。その気持ちを直接あの場で伝えたかった。あのふたりきりの教室で。
岩津といつの間にか離れ離れになってしまった。追いかけるのを諦めたのだろう。
薄暗い青紫色をした綺麗な宵闇が、今日一日の気持ちを落ち着かせてくれた。
「ただいまー」
「いらっしゃ――ああ、健人おかえり」
留美がお客がきたと思っていつも通り挨拶しかかって素に戻る。今日が進路相談日であるいうことはあらかじめ伝えていた。
「どうだった?」
「ちゃんと話したよ。店の跡継ぐって」
「そう」
いつもより留美の顔がキラキラと明るく見えた。このまま安心させたいところだ。だが好きな人が担任である野原だと知られてしまったら……。いつかは伝えなければならないことだ。
留美の見えない所で深山の顔が少し引き攣った。そのまま留美に背を向けて立ち止まっていた。そんな深山の様子を眺めていた留美は怪訝そうに話しかける。
「どうしたの?」
「ん? 別になんでもねえよ」
深山は振り向いて留美に微笑み返した。
「あらそう。じゃ早く風呂入って寝なさい」
「はいはい」
二階に上がって私服に着替えた後、冷蔵庫から作り置きのおかずを取り出して食卓に並べる。留美の分のご飯をとっておいて自分のご飯をお茶碗に盛りつけると、椅子に座って先に一人で黙々と食べ始めた。
そして留美が店仕舞いをしたときにはもうすれ違うように風呂に入っていた。風呂上がりに留美が食事をしている姿を目の当たりにして、深山は一言だけ「おやすみ」と言って自分の部屋に入る。深山家ではそれが当たり前になっていた。
――野原と連絡先ぜってー交換するぞ。
ベッドに横になって脇に置いてある雑誌の上に充電中のスマートフォンを置いた。
目一杯走ったおかげで、身体には少し疲労感があった。今夜はよく眠れそうだ。
深山は脳裏に焼き付いた野原の顔や目、仕草を何度も繰り返し夢の中で見ていた。
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