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前編
窓際に映る桜が散り始めた新学期。今日から担任の教師が変わる。理由は前任の教師が転勤になったためだ。詳しくは知らない。それよりもこれから担任になる教師は生徒と目を合わせないことで有名らしい。しかも出席をとるときは名前を番号順で呼ぶという。
教師の名は野原暁人。ほかのクラスの生徒の噂じゃ、顔は二枚目なのに態度が女子ウケしない根暗教師で独身、まだ若手新米教師のイメージがある。そうとはいえ、ここは男子高であり、彼の陰鬱な態度は逆に男子ウケが良い方なのだろうか。
廊下を走り抜ける生徒が数名、野原とすれ違った。器用な身のこなしで生徒達とぶつからずに階段をのんびり上がっていく。三年生の教室は三階に上がったすぐ側にあった。
チャイムが鳴りやんで賑やかだった教室内が静まり返る。ライオンの鬣のような金髪をした生徒が窓際で友人に話しかけていた。
「なあ、野原ってぜってー生徒のこと名前で呼ばねえの?」
「そうらしいけど?」
「ふーん……」
教室の戸がガラガラと開いて閉まる音がした。例の教師が入ってきた。名簿を片手に持ったまま一向に生徒の顔を誰一人見なかった。
上総の葉第一高等学校――通称『一葉』に通う深山健人は野原の顔に目を向けた。だが野原は深山の視線を無視し続けた。淡々と抑揚のない声でクラスメイトの出席番号を読み上げていく。
自分の番号を呼ばれた生徒はおうむ返しのようにつまらない返事をした。
「十番、……十一番、……十二番……」
深山の後ろに座っていた友人の岩津雪彦が呼ばれて「はい」と返事をした。するとその瞬間、深山はすぐ振り向いて岩津に声をかけた。
「なあ、目ぇ合った? お前の顔見た?」
「いやいや、見るわけねーじゃんかよ」
出席番号を読み上げる声が一旦止まる。
「二十五番、静かにしろ」
名簿を見つめたまま深山の顔を見ずに彼の出席番号を呼んだ。ただでさえ金髪で目立つ風貌なのに出席確認の妨害をされたのだから注意をするのは当たり前である。
「二十五番て誰のことっすかー先生」
わざとらしく野原に対抗心を剥き出しにして大声を上げた。しかし深山の態度に野原は全く動じなかった。ひとりの不良生徒の言葉をいちいち相手にしていたら次に進めないと前のクラスで学んでいたからである。
深山の返事を無視してふたたび番号を読み上げる。そして――深山の出席番号を言った。
「二十五番」
「…………」
深山は返事をしなかった。
「いないのか? 欠席にするぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ先生ー。俺にはちゃんと深山健人っていう素敵な名前があるんすよー? いるのに欠席てヒドくない?」
深山は音を立てて椅子から立って野原の顔を見つめて周囲の笑いを誘いながら話した。なんなんだろう。この野原という教師に少しだけ興味が湧いた。さっきから全く自分の顔を見てくれないし、会話の温度差で風邪を引きそうだった。
「わかったから、とにかく座れ二十五番」
「は? 全然わかってないじゃん」
深山はがっかりしてどさっと椅子に深く座り込んだ。
「……全員揃ってるな。じゃ、授業始めるぞ」
野原は名簿を教卓に置くと教科書を開いて黒板の方を向いて数式を書き始めた。野原の担当科目は数学だった。益々野原に興味を惹かれるのだが授業は受けたくなかった。特別嫌いな訳でもない数学をこの男から学ぼうと思わなかったからだ。
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