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本編
十月二十日。此方の国では神無月とも呼ぶらしい。
空は青く澄み渡たり、異物の存在をくっきりと際立たせていた。巨大な一つの目玉、空の目がこちらを凝視している。そして空の目に連なるようにして、多くの人間が空にとらわれていた。
奇妙な事に、彼らはみな、あの巨大な目玉に対して祈りをささげるようにして浮いていた。そして何も話さず、動きもせず、ただじっとそこにいるのである。さながら魂を失くした死体が天から降り注いでいるような、常人が見れば正気ではなくなるような光景が広がっている。
十月二十日、日本はまだ蒸し暑い。セミという虫が、奇妙な声で、夏を恋しがって鳴いていた。
*
中略。どうやら私は、相手を怒らせてしまったようである。
人気の無い公園で読書に勤しんでいるところ、今目の前で私を睨んでいる少年が幼馴染を助けて欲しいと依頼をしてきたのである。少年の幼馴染は、どうやらあの空の目に祈りをささげてしまったらしい。それで他の人間と同じように空にとらわれてしまったのだという。私であればたしかに空に囚われている人間を助けることはできるが、幼馴染を助ける理由がなかった。それゆえに私では無理であることを伝えたら、この通り、怒ってしまったのだ。
少年は私の仲間の字(あざな)を口にし、今度は彼らに依頼をすると言って、踵を返そうとした。
「その口ぶりからして、キミに選択肢を与えた親切な人がいたんだね。白のセイジョか、赤の私か」
そう聞いてみると、少年は肯定した。
「後学のために教えてくれ。私の居場所を教えたのは誰なのか」
すると少年は、黒いスーツに黒いコート、そして黒い髪に黒い目。まぁ"タダの通りすがりの人"だ、と答えた。
成程。私はその男を知っていた。読んでいた本をパタンと閉じて、彼と向き合った。目の前の少年は私と目が合うと、たいそう驚いたような顔をしていた。少年は不思議とあの方と似たような、真っ黒な瞳を持っていた。
「なんだ、あの方の紹介か。今の時期に私を紹介するなんて、つまりそういうことじゃない」
どういうことだよ、と少年からツッコミが入る。
「あの方の紹介なら無下にできないな。なんだ、そういうことなら早く言ってくれたまえ。危うく大きな魚を逃すところだった」
少年は大きな魚と言われて、自身を富豪か何かと勘違いしたらしい。金は持ってないと言った。
「金なんて要らないよ。そうだな……まぁまず君のことと、あとはその幼馴染について話してくれもらおう。話はそれからだ」
*
「つまりその幼馴染がアレに祈った理由はふたつあると。ひとつは、今後の人生に関わるほどの大切なピアノのコンクールを明日に控えていて、不安やプレッシャーに耐えられなくなったため。そしてもうひとつは幼馴染の家系が関係している。彼女の家系は代々音楽を生業としていて、できて当たり前、子供の意思はないもの同然、強制的に音楽のプロの道を歩まされるという環境から解放されようと、アレに祈ってしまったと」
要約が合っていることを示すように、少年はうなずいた。
なるほど、ならば空に囚われてしまってもおかしくはない。
私は少年の目を見据えて、そして告げた。
「――アレはね、少年。カミモドキだよ」
少年は確認するように、私の言葉を復唱した。
「そう、カミモドキ。神であって神でない。わかりやすく言い換えるとだね、この星で崇拝されるべき神ではないってこと。とある次元ではアレらを説明する際に"名状しがたき"、だとか、"冒涜的な"といった枕詞を付けるらしいけど――まぁキミには関係のない話だね。ともかく、だ。キミたちからしたら、まぁ私にとっても、アレは神であって神ではない、だから私たちはカミモドキって呼んでいるんだ。そもそも、この星の神が目に見えたらマズいんじゃない」
どうして、と少年は言う。
「この星の神と称されるモノは人の願いによって生まれたものだからだよ。平和だとか健康だとか、そういったものを自身で成就させるための支援装置みたいなものだろう。あるいはこの星で明かされていない未知というモノに対してなんらかの理由付けをするために施した安心材料だろう。こうあってほしい、こうあるべき、といった願いだね。人間というモノは未知なるものに恐怖を抱きやすいからね。まぁとにかく、目に見えるという事は、そこに在るという確定的な要素になるのだよ」
なるほど、と相槌を打っているが顔は理解に苦しんでいるように見えた。
「難しい? まぁ要するに、この星の神は存在が不確実だからこそ神なんだと、私は思うのだよ。そして不確実だからこそ、キミたちは勉学やら仕事やら恋愛やら人生やらを自力で何とかしようと思うんじゃないのかい。――それに比べてカミモドキは存在自体が根本的に違う。カミモドキに祈るということはだね、自分の人生を明け渡すのと同じことなんだ。実際、カミモドキに祈って心を開ききった後で地上に戻ってきた人間は皆、文字通りヒトではなくなってしまっているだろう? そうなってしまったら二度と常人には戻れない。私が言ったことを踏まえてだね、この星における神という存在がなぜ見えないものなのか――君たちは一度、よく考えた方がいい」
*
「ここまで色々話してきたけど、ここでキミにとって良い報せと悪い報せがある。いつもなら選択肢を与えるのだけれど、今は時間が無いから単刀直入に言うよ。まず悪い報せ。私ではあの子を助けることはできない――ちょっと待って。そんな顔をしないで。というか、私は最初に言っていたはずだよ。この報せは確認に過ぎない。それで良い報せは、――キミならあの子を救えるかもしれないっていうこと」
どういうことだよ、と少年が言う。
「目には目を歯には歯を、カミモドキにはカミモドキと言ったところかな。どうもキミは見た目も言動もただの人間なんだけれど、あの方が寄こしただけあって普通じゃない気がするんだよね」
少年は身に覚えが無いのか、首を傾げている。
「物は試し。あの子を助ける力を宿すために、この私の力を貸すとしましょう。ただし、報酬はそう安くないよ」
それでも少年は、愚かにも、「幼馴染を助けるためならばなんでもする」と答えた。
「馬鹿な子だね。魔女を相手になんでもするなんて、口が裂けても言ってはダメ。まぁ、ありがたくその言葉、頂戴するよ。あぁそれと、ひとつ忠告するけれどね。もしこれが失敗したら――世界もろとも、この私もろとも、あなたと共に焼き尽くされることになるから。くれぐれも、気をつけてちょうだい」
*
その夜、儀式はみごと成功した。
二十五光年先の星から、この星に――正確に言えば少年に向けて、青い火の鳥が招来した。それは少年を飲み込み、今にもこの地ごと焼き尽くさんとしていたが、時が経つと少年に吸収されるように消えていった。
そして少年は与えられた力を不器用ながらも扱って見せた。途中、カミモドキの使者たちが邪魔に入るも少年は幼馴染を助ける一心で、戦った。
*
朝になって、少年はようやく病院から出てきた。
「おめでとう、朝帰りの少年君。彼女、無事に助けられたんだね」
少年はうなずいた。幼馴染の容態は比較的落ち着いており、しばらくは入院することに決まったようだ。
少年は「ありがとう」と言った。
「そうだね、本当にそうだ。この私が死んでいたら大損害だったからね。それじゃ、さっそくなんだが、お礼を貰おうかな」
途端、少年の右肩に一線が引かれ、ぽとり、とそれは落ちた。影に吸い込まれていき、私の手元に転送される。送られてきた少年の右腕を観察しながら、私は言った。
「あのねキミ、私は魔女だよ。魔女は依頼をタダで引き受けるなんて、そんなお人好しな事をしない。私はね、この世界に住む人間の身体を求めてきたのだよ」
少年は右腕を庇ったまま、こちらを睨みつけている。
「一生隷従してもらうのも良いかと思ったけどね、別の者と既に契約してしまったようだから諦めるよ。ダブルブッキングは避けたいからね。でもまぁ、身体の一部程度なら、貰っても構わないだろう」
持っていたトランクケースに彼の右腕を収納しようとすると、メキメキと音が聞こえた。
顔をあげると、少年の右肩の断面からツタの様なものが伸びているのが見えた。それは少年の腰元まで伸びたかと思うと、一瞬にして少年の元の腕に姿を変えたのである。これは昨晩、少年に宿った者の仕業ではない。
「ふぅむ、やっぱりね。推測通りとはいえ、これは驚いた。――昨晩キミに宿ったものはね、理性がないんだ。つまり普通の人間では宿主になれっこない。白のセイジョとか、黄色のアマガッパちゃんでも無理だね。つまり、だ。キミ、この星の人間じゃないね。いや、人間ではある。キミがこの星で生まれたというのならば、それは本当のことなのだろう。だけどキミの体と魂を構築しているモノは、この星とよく似た物質の、別の何かだ」
未だ困惑している少年に詰め寄って、私は言った。
「キミ、せっかくこの星で産み落としてもらったオリジナルの肉体と魂、どこに落としてきちゃったの?」
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