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第一話 香那
2003.5.1(Thursday)
「こくぶ?かな?誰だっけ?」
宮城県京野城市。
“緑の都”と呼ばれている、東北地方で最も都会的であり、人口の多い街。
市内にある、県立千利高校へと向かい歩いてる、高校三年生の押尾 将都は、隣を歩く友人の沖 速人へ、尋ねた。
それは“國分 香那”というアイドルタレントのことだった。
「“國分”!お前、そういう話本当疎いのな」
沖にそう言われると、(ああ、芸能人ね)と理解する将都。
“國分 香那”、十七歳の高校生アイドル。“アイドル”といっても、如何にもという衣装を着たり、水着姿をグラビアで披露することはない、清純派中の清純派だ。
長い黒髪のポニーテールがイメージで、変に飾らないところが特徴。
そのためか、前髪の変化がファンの間で話題となったり、最近では若者女子の間でも黒髪ポニーテールが増えているという。
“普通にいそう”なところが老若男女、年齢問わず人気で、掛けているメガネも伊達ではないとのことだ。
通っている高校も進学校で成績も上位。
ドラマでの演技も評判もよい。
芸能人感の薄い、今までにない庶民的なアイドルとしての人気は、社会現象になっている。
テレビコマーシャル、雑誌、広告看板と、その顔を見ない日はない…はずたが、芸能人への興味の薄い将都にはそうでもないらしい。
「歌声も綺麗で上手いし、最高だぜ」
沖が嬉しそうに語るも、将都はへえっと軽く頷くだけだ。
将都は、洋画はよく見るも、普段はあまりテレビは見ない。
雑誌も買うが、巻頭のグラビアを見ることはあまりない。
勿論女性に興味がないわけではないが、単純に芸能人に興味が沸かないのだ。
アイドル、タレント…確かに可愛いとは思う。美人だと思ってはいる。
だが、彼にはそれだけだった。
また過去の体験も、そういったものへの興味を持たせないでいた。
将都には一つ歳上の彼女がいた。人生初の彼女だった。付き合っていた期間は決して長くはないが…、二年前、ある事件の犠牲となり、命を落としたのだ。
その経験が影響してもいるのだろうが、この二年、彼女はいない。
いや、別に女子にモテているわけではないので、過去のことは関係ないかもしれないが、“会うこともない”、テレビ画面や紙面の向こう側のそんな遠い存在の異性に、何を感じるはなかった。
「で?何?その、國分ってアイドルが…どうかしたの?」
興味はないが、一応話を聞く将都。
「京野城に来るんだよ!来月公開の映画、“シルバースランバー”のロケ地ってここだろ?」
「いや、知らねえし」
「ここなの!で、先月から全国ずっと回って、映画プロモーションを行ってて、最後がここ京野城ってわけなんですよぉ、旦那!」
熱く語る沖だが、将都は変わらず薄い反応だ。強いて言えば、幸せそうな沖を見てるのが、実に面白いと思っていた。
どうやら明日の土曜、市街地中心部にある市民広場のステージに、その“國分 香那”は立つらしい。映画の話を中心にトークショーがあるという。
将都には、本当どうでもいい話ではあったが、沖は他のファンの友人たちと見に行くのだそうだった。
卓球部部長の沖にとって、高校最後の総体も近いというのに、凄い魅力なんだろうなと将都はため生き様に首を振った。
芸能人にハマるより、将都にとっては、家でお菓子でも食べながらゲームをするか、漫画を読みながら昼寝に入る方がよほど幸せだった。
そして放課後…。
毎週出ているゲーム雑誌とお菓子を買いにコンビニに寄り道をする将都。
手に取ろうとした雑誌の横の青年誌の表紙が目に入る。
今朝、登校中の話題に出た“國分 香那”だ。
普段なら気にも留めないだろうが、沖が熱く語っていたものだから、つい手にとって見てしまった。
パラ…パラと、グラビアを捲る。
確かに美人だ。可愛い。
将都は率直にそう感じた。
そして“作られた感”がない雰囲気は、確かにこれまでのアイドルとは一線を画しているように見える。
とはいえ、将都にとっては遠い存在であり、所詮は芸能人。
自分とは違う世界に生きる人間なのだろうと、青年誌を置くと、ゲーム雑誌とお菓子を買って、自宅へと向かった。
将都の自宅は、通っている高校のある千利町にあった。
住宅街にある一軒家だが、ここで一人暮らしをしていた。
いや、正確には住み込みの家政婦と一緒に暮らしている。
「おかえりなさい、将都さん」
帰宅した将都に挨拶をしたのは“小末 岬”。
家政婦派遣会社“angel housekeeper”に所属の家政婦。
二十四歳。
将都から言わせれば、テレビ画面の向こう側のアイドルより、目の前に実際にいる歳上のこの女性の方がよほど魅力的且つ悩ましい。
思えば、この岬もいつもポニーテールにしているなと、國分 香那の話題を思い出し、将都はふと彼女を見つめた。
「どうしました?将都さん」
見つめてくる将都の視線が気になった岬。
「ん?あ、いや、ただいま」
将都は慌てて(何でもないよ)と手を振った。
一つ屋根の下、この不思議な組み合わせの生活は、将都の家庭の問題が理由であった。
将都の父親は、地元中小企業としては大手の“有限会社オシオフーズ”という食品会社を経営しており、母親もその会社で役員として働いていた。
将都は、そんな両親との仲があまりよくないのだ。
両親も、そんな将都のことを可愛いと思ってはいなかった。
そこで両親は、将都が高校入学をしたのを機に、自分たちは会社や製造工場からほど近い、“和泉町”という県内でも富裕層の住む住宅街に引っ越し、元々住んでいたこの家を将都に与えたのだった。
一見、とんでもない親子関係だが、そこに家庭内暴力もなく上手く治まっているのだから、これはこれで押尾家にとっては最良の方法だった。
そもそも金があるからこそ成せる方法である。
とはいえ、将都はそれ以上を親に求めていなかった。地元の金持ちらしさもなく、オシオフーズ経営者の長男だと知るものはそう多くはいない。地元スーパー“オクヤマ”で週三でアルバイトをし、自分の小遣いだけは自分で稼いでいた。
将都は生まれた時から経済的に恵まれていたわけではない。
オシオフーズは、今でこそ地元で大手となったが、将都が幼い頃は、零細企業としてギリギリ何とか経営出来ている、そんな状態だった。
そんな中、日々あくせくと仕事をする両親は土日も関係なく多忙であり、それ故に親の愛を受けずない幼年から小学生時代を過ごした。
両親も構ってあげられなかったことは悪いとは感じており、そのことに報いるために、プロの家政婦を住み込みで契約させて置いたのだ。
ただ、会社が大きく軌道に乗り始めた頃に、余裕も出てきたのか、少し歳の離れた弟が生まれ、そちらは両親の愛を受けているようだった。
将都が、それを羨ましいと思うこともない。もう子供ではないということだ。
それに、岬は仕事以上に、彼に尽くしてくれていた。
最初こそ…いや、今でも時々、家政婦の岬にいけないことを考える将都だが、そこは健康な男子高校生として仕方がないとして、寂しい彼にとって、岬は姉のような存在であり、家にいてくれる安心感はあった。
「“國分 郁奈”?ええ、今大人気じゃないですか」
将都は、岬の用意した夕飯を一緒に食べながら、例のアイドルタレントのこと訊いてみていた。
ちなみに今夜のメニューは、牛肉カレーとツナサラダだ。
「どうしたんです?芸能人の話なんて」
普段、将都はそんなこと話題にしないのに珍しいと思った岬は、訊き返した。
「いやあ、友達がさ、ファンらしくて…」
「ああ、沖君かな?」
岬は、たまに家に遊びに来ることもあった沖のことは知っている。
「そ。明後日の連休初日にさ、何か京野城がロケ他になった映画のプロモーションだとかで来るらしくて、それに行くって」
「へえ、来るんですね!彼女。可愛いですよ、清純な感じが、私も好感持ってます」
将都は苦笑した。
「…清純っちゅーても、キャラ作りだろ?それが仕事なんだろうけど、実際はお高くとまっていたりなんてザラでしょ」
「夢のないことを。どうですかねぇ」
「高校生でテレビや雑誌に出ているんだから、そんなもんでしょ。前に子役やってた奴がクラスにいたけど、テレビとは別人だったの実際に見てるし俺」
将都が小学校の中学年の頃、教育テレビの子供番組に出演していた子役の女子生徒がクラスメイトにいた。
確かに他の女性生徒と比べて、美人でお洒落だったが、その性格ときたら、“あんたたちと私は次元が違う”という見下す発言さえしており、特に将都のような目立たない男子は、空気以下の扱いをしていた。
それがその子供番組のレギュラーの中では一番人気で、“素直でちょっと天然が入ってるところが可愛い”と好評だったのだ。
将都は、そんな子がいたことを思い出していた。
音を小さめにつけていたテレビのコマーシャルに、“國分 郁奈”が映ると、思わず目に入れてしまう将都。
「沖め…存在を認識しちまっただろうが」
小さくそんなことを呟くと将都はカレーをかき込んだ。
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