第三話 長い一分

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第三話 長い一分

「くそ、何て祝日だよ」  思わず愚痴を漏らす将都。  フードの男が、前を歩く女の子に何か“危険なこと”をしようとしている…。それが勘違いであって欲しいと願う将都だったが、フードの男が右ポケットから“何か”を取り出すのが見えた。 ――何だ?  それが何かも気になったが、何よりフードの男がその先を歩いている女の子に向かって早歩きになり、将都は目を大きくした。 「っ!!」  もう間違いでも勘違いでもない。  フードの男は、目の前にいる女の子を標的(ターゲット)に定めている。そして“何か危険なこと”をしようとしている。  さっきの異様な目つきから考えるに、恐らくは痴漢などの猥褻目的ではない。  命に関わることだと、将都は察した。 ――っくそ!間に合うか!  しかし鋭く察した直感に対し、身体の反応の方は遅れる将都。  しばらく鍛錬を怠っていたからであろうことは自身がよく理解している。  将都は、二年前に彼女を亡くして以来、真剣に稽古に励むことをやめていた。  それが仇となった結果だ。  フードの男のポケットから出てきたのはバタフライナイフ。折りたたみ式の、携帯するのに便利なナイフだ。  男が器用に素早く右手首を回転させると、鋭利な刃が出てくる。  それを見た将都は背中に冷たいものを感じた。  力強くナイフを握った男の脚が、早歩きから小走りに、そして駆け足に変わっていく。 ――マジでヤバイ!  将都は女の子に向かって大声を出すか迷った。  しかしそうしたところで、既に男は接近している。声に反応はするも、振り返って足を止められては意味はない。  将都は全力の踏み込みでフードの男との距離を一気に詰め、そして狂気的な行動を止めるために背中から衣服を掴み取ろうとした。  だが、あと一歩が足りない。 ――とっ、届かねえ!くそ!  ナイフの切っ先が女の子の背中に迫る!迫る! 「おらあああっ!!舐めんなよーっ!!」  将都は、気合いの大声を張り上げ、腕を伸ばしたその体勢から上半身を倒して前屈のような格好をし、そして更に下に倒した。  その瞬間、床に着いていた両足が勢いよく離れる。まるで躓いて思い切り転んだかのような体勢で、宙に浮いたのだ。  ナイフを持った男を止めるために、伸ばした手の届かなかった将都が、咄嗟に取ったそれは、“胴回し回転蹴り”。  手は届かずとも、脚ならば…と、勢いよくフードの男に向けて出した、大技だ。  すると全体重を乗せた将都の足の裏が、フードの男の背中に直撃した。  理想を言えば、首に直撃させて男の意識を刈り取りかったが、距離が足りず、背中に当たった形となった。  ドッ!と鈍い音と共に、突然の衝撃にフードの男は目を見開いた。  突然背中を強く押されれば、一体何が起きたか解らないというのは、誰もが同じ反応だ。この男も例外ではない。  “来る”と解ってるものに対しては人は本能的に身構えるものだが、その反対に来ると解らないものに対しては、人はそれをまともに受けてしまう。  ましてフードの男は、目の前の女の子を刺そうとしており、その常軌を逸した行動に集中していたことで、背中に受けた衝撃は理解が出来ない以上に混乱させられた。    突き飛ばされたフードの男は、思い切りバランスを崩し、胸を突き出しながら前の女の子にぶつかった。  女の子もまた、突然背中から突き飛ばされるような形となり、きゃあっ!と思わず悲鳴を上げた。  将都は背中から思い切り床に落ちた。  かなり無理のある体勢からの“胴回し回転蹴り”故、それは当然といえた。  受け身を取って頭を打ちつけることはなかったが、一瞬呼吸が苦しくなった。  フードの男と、その前を歩いていた女の子は、一緒にもつれるように前に転んだ。  女の子はうつ伏せに、その上をやや覆い被さる形で、フードの男は地面に倒れた。  将都は慌てて体を起こす。  二人が一緒に倒れてるのを見て焦ったが、フードの男のナイフは、地面に落ちており、血もついてないのを確認する。 ――よしっ!間に合った!  安心し、思わず気持ちで叫ぶ将都。  だがそれも一瞬のこと。それが精一杯だった。  フードの男はすぐに体を起こさんと、手と膝を立て、そして落としたナイフを手に取った。  女の子はまだ床に伏せたままだ。 ――こいつ!  呼吸が苦しいなど感じている場合ではない。将都は瞬時に飛び起きた。  そしてうつ伏せで倒れている女の子の背中に、握ったナイフを突き立てようとする男に対し、低い体勢で思い切り飛びついた。 「おりゃああっ!タックルーーっ!!」  大声と共に、将都はフードの男にぶつかると、不格好ではあるものの女の子から引き剥がすことには成功した。  フードの男は、あと一歩のところで背中を突き飛ばしたのが、この(まさと)”だと理解すると激昂した。 「何だ!貴様!」  将都は無理やり腕を回し、地面にうつ伏せで倒れるような格好でフードの男にしがみ着いた。腕の輪の中に捕まったフードの男は、上半身だけを起こしたような格好になった。 「放せテメー!!」    フードの男は、“しがみ着く将都”を振り解いて立ちあがろうとするも、地べたに座ってるような格好で踏ん張れずにいた。  何せ将都は、寝そべったような格好で胴体に腕を回している。つまり全体重を引きずらせている状態であり、フードの男は彼をどうにも引き剥がせなかった。 「重いんだよこのクソガキめがっ!」  二人の男が揉み合っているそのすぐ側で、倒れた女の子は手をついて顔を上げると、その光景に思い切り驚いた。  どっちが自分にぶつかったのかは分からないが、二人の男がもつれ合っているそれは、とても日常的ではない。おまけに、その内の一人はナイフを握っているのだから、理解も不能であり、ただただ怖いと感じた。  状況の理解は出来なくても、立ち上がりこの場から逃げないといけない、そう思った彼女だが、非日常的なことを目の当たりにすると、人は思いの他、咄嗟の行動が出来ないもの。  女の子は転んだ痛みもあってか、膝に力が入らなかった。  そんな彼女のことをギロリと睨むフードの男。  その視線に気づいた女の子は気圧され恐怖した。  瞬間、彼女は、フードの男が何か自分に危害を加えようとしていること、そして将都がそれを止めに入ったのだろうことを理解した。 ――に、逃げなきゃ…  だが、フードの男の目が怖くてその場から立ち上がれない女の子。  フードの男は、女の子が自分のことに気づいたことを察すると、将都を引き剥がすのに躊躇せず持っていたナイフで、自分の身体に回されている腕の左の方を切りつけた。  その瞬間、将都は右上腕二頭筋あたりに鋭い違和感を感じた。  そしてそのあと、すぐに痛みがやってきた。 「ぐっ!」  将都は思わず声を漏らす。  その傷は深く、流れる血の量があっという間に床を真っ赤に染めた。  痛みもジンジンと増してくる。  だがその痛みは、将都の腕の締め付ける力をより本気にさせた。  何故なら、切られたナイフの危険さを、身を持って理解したからだ。  今手を離せば、そのナイフで目の前の女の子が刺され、命脈が絶たれるだろうと。  しかしフードの男は、その理由は解らないが、とにかく“目的”を達しようとする執念が強かった。  今度は将都の背中を刺したのだ。   「ぐわぁ!」  今度の一刺しはダメージが深い。将都の腕が緩んだ。  フードの男はその隙を逃さず、膝を立てて強引に立ち上がった。  緩んだ将都の腕の輪を抜けるように立った男は、血走った目で、すくんで動けない女の子を睨んだ。  睨んでいるのに、口角は上がり、笑みを見せているのが実に不気味だ。 「俺のものにならないなら、一生誰のものにもならないようにするぞおお!裏切り者おおおお!!」  男は、ナイフを持っていない方の手で、パーカーのフードを取った。  その男の顔を見て、女の子は涙目で首を横に振った。  すると男は女の子に迫らんと左足から一歩踏み出した。  だが、二歩目を踏み出そうとするが右足が上がらず、思わず転びそうになった。  将都だ。  出血をしながら、将都が男の右足首を掴んでいた。 「このしつこいガキめ!テメーも一緒に死ねええっ!」  男は、手にしてるナイフを逆手に持ち変え、“目的”に対して執拗に邪魔をする将都のことを上から突き刺そうとした。  うつ伏せの将都は、男のその様を見ていたわけではないが、手に凶器を持ち、人を刺そうとしている以上、再び自分に対して攻撃をしてくることは予想していた。  そして女の子が恐怖で腰が抜けていることも、見えていた。  つまり、今自分が男にやられては、目の前の女の子が殺されてしまうのは確実ということを。  瞬時にそう判断した将都は、上から迫ろうとしているナイフより早く、男の右足首は掴んだまま、体を寝た状態で回転させた。そして斜めに仰向けになるような動きに加えて、同時に右脚を上げ、自分の頭の方、つまり男の方に向けて伸ばしたのだ。  将都はそのまま流れるように背中を床に着けた状態での前屈、ヨガでいう“逆転ポーズ”のような格好になった。 「な、何しやがる!」  困惑する男は突き刺そうとした手を止める。  次の瞬間、フードの男はバランスを崩した。  将都は、掴んでいたフードの男の右足首を固定し、自分の右脚を絡めてフックしたのだ。  両手、両脚で絡み取られ、男は立ってはいられずバランスを取ろうと踏ん張るも、尻餅をついてしまった。  更に将都は、左脚も絡みつかせてフードの男の右脚を完全にロックした。  フードの男は、今自分が何をされたのか、何故バランスを崩して腰を落としたのか、全く理解出来なかった。  そして自分の右脚に、将都が逆向きで“抱っこちゃん人形”状態でしがみ付いているという光景が、全く意味不明だった。  しかし理解など関係なく、フードの男の自由が奪われたことは事実であり、慌てて将都を右脚から引き剥がそうとするも、手が上手く届かなかった。  手がダメと理解すると、今度は自由な左脚を使って蹴り剥がそうとするが、両手両脚で絡み密着している将都は、そんな不格好で繰り出される蹴りで放れることはない。  将都は、自分の顔の前にある男の足首を掴んだ。  フードの男は状況に理解は出来ずとも、将都に“何かされる”と本能的に察知し、握っているナイフで絡みついている将都の脚目掛け、思い切り刺そうとするが…。  次の瞬間、右脚にこれまで体験したことのない激痛が走り、男はナイフをその手から放したのだった。  床に落ちるナイフ。  将都は、肘の内側をフックさせ両手をクラッチに移行。両脚で男の膝を更に固定し、踵を自身の体ごと捻った。 「どわあああああっ!」  瞬間、男が悲鳴を上げる。  見事に極まった脚関節技、“ヒールホールド”。  プロレスや総合格闘技でお馴染みの技ではあるが、シンプルにして危険な技故に禁止している団体もあるほどで、男の右脚の膝関節は完全に破壊された。  靱帯を捻じ切り、おそらく半月板も壊れたであろう。  男は地面で悶え、悲鳴を上げ続けた。  将都は、男の脚がどうなるかを知って、あえて極めた技だった。   将都が男の不審な雰囲気に気づいてから、僅か一分程度の出来事だった。

  だが、将都にとっても、狙われた女の子にとっても、また目的が成し得なかった男にとっても、それ以上に長く感じた時間であった。


  本格的な寝技を極められるというのは、フードの男にとっては全く初めての体験だった。

  殴られる、蹴られるなどは、何となくイメージしやすく本能的に反応することが出来るだろう。日常的とは言わないまでも、子供の頃の喧嘩、親や先輩から叩かれる、酔っ払いやガラの悪い輩に絡まれる、そんな時にあるいは拳や脚が飛んでくることもある。

  しかし脚を絡め取られ、転ばされるということは、あまりに非日常。そこから膝を破壊されることも含め、寝技と呼ばれるものの訓練を行なったことのない者にとって、未知の出来事だろう。  フードの男は、対応は勿論、反応すら出来なかった。  男の右脚から技を解くと、将都は息絶え絶えに、仰向けに大の字になった。


  普段からの鍛錬怠っていたことと、異常者とナイフという組み合わせを相手にした超実戦に、高めていた集中力が一気に切れ、酸欠を起こしたのだ。


  口を大きく開けてはふはふと困難そうに呼吸を繰り返す。 


「こ、こ、いつ…め…いてえ…いつつ」 

 そして急にナイフで刺された箇所が痛くなってくる。出血が止まらない。


   酸欠と出血多量で、気が遠のく将都の視界が徐々に霞み、そしてどんどん暗くなっていった。 「誰か警察と救急車をお願いします!」
  異常に気づいた客たちが集まってくる中、声を張り上げて助けを求めるのは、フードの男に狙われた女の子だ。  将都は、耳元で誰かが何かを言ってる声…、そしてパトカーのサイレン…、それらが聞こえた気がしたが、次第にそれらも遠のいていった。

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