第八話 お礼がしたい

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第八話 お礼がしたい

2003.5.18(Sunday) 「あ、いや…お礼って言われてもなあ…別に金もいらないし…っていうか、まだいたの、君」  ここは将都の自宅の応接用に使っている和室だ。  と言っても、ただの高校生の将都に、普段から誰かお堅い客が来るわけでもなく、使用する機会は極めて少ない、そんな持て余していた部屋だ。  岬が日々の掃除で綺麗にしているので、恥ずかしくなく今日の訪問客を通せられていた。  この日、直前に電話連絡を受け、昼からマネージャーと一緒に、何と“國分 香那”が訪問してきたのだった。  岬は、同行したマネージャーの顔は初見ではなかったが、将都は初めて顔を合わせた。  病院で治療を受けた際に香那と会った時は、マネージャーは廊下で待機していて顔を見る機会がなかったのだ。見た目は五十代くらいの、厳しそうな女性で、掛けている眼鏡のせいか、どこか“ロッテンマイヤー”を連想させた。  岬は、客用の座布団に座っている三人にお茶を出すと、自身もそのまま話に同席した。香那側からは、事件を受けての話だということで、保護者代理として一緒に聞いておく必要があったからだ。 「ま、まさか!違います。今朝の新幹線に乗って東京から来たんですよ。今日は日曜ですし、学校お休みなので…。夜は東京で収録のお仕事もあるので、ここでの話が終わったらすぐに戻ります」  近所に出掛けるように、東京から宮城に来て帰るのだから、同じ高校生とは思えないなと、売れっ子タレントの凄さを感じた将都。いや、彼女の場合は、その行動力が凄いのか…とも。  そして今日の香那も、また一段と可愛いかった。  テレビや雑誌で見る、あのナチュラルなイメージとは違うのは相変わらずだ。今日はサイドの髪をまとめて耳を見せるハーフアップが爽やかで、また大人っぽいメイクはいい意味で実年齢より歳上に見えた。  確かにこれは、“國分 香那”だとバレないだろう。ただ、バレなくても、その魅力に、歩いていたら男にナンパでもされるのでは?と、将都は少し心配にもなった。  そんな香那の訪問理由だが、“将都に、命を助けていただいた礼がしたい”と強く希望しており、それを直接伝えるために、そして話をするために東京から出向いて来たのだった。  “大事なことは対面で話すべき”、という三木からの教えが影響していると、マネージャーは補足した。 「わざわざ?いや…本当、来てもらって悪いけど…俺マジで気にしてないんだよ。有名人だと思ってなかったし。とにかく無事でよかったなと」  苦笑する将都は、両手のひらを前に出した。 「私は、気にしてます!」  困った将都は、彼女の隣のマネージャーに目をやると、人差し指で頰を書きながら(すみません)とでも言いたげな顔で軽く頭を下げていた。  マネージャーのその顔から察するに、香那は良くも悪くも真っ直ぐな性格なのだろうと、将都は思った。  貝谷はまだ病院から身動きが取れないから、安全に問題ないとしても、自分の家に超人気アイドルタレントがいるというのも、落ち着かない。  早く追い返そうと、将都は話題を変えようと頭を回転させた。   「ところで、香那さん…」 「はい」 「君、メチャ忙しいでしょ?人気ぶりと、あと東京の進学校に通っているらしいじゃんか。とすれば、お勉強の方もぉ…」 「はい、とっても忙しいです」 「なら尚のこと、こんな所になんて来てる場合じゃあないっしょ?」 「大丈夫です」 「あ?大丈夫?」 「確かにスケジュールは超忙しいですが、三木さんは私には金儲けより、細く長く仕事を続けてほしいって、健康やお肌に悪いような詰め詰め状態にはしていません」 「…へえ」 「そこは身内贔屓かな?って思うけど…。あと勉強もきちんとやっています。先週の中間テストもバッチリでした、戻ってくるのは明日以降ですが、自己採点では、“厳しめに”見て450点です」 「……そスか」  真面目な顔でVサインを出す香那。  この娘は、自分の想像を超えた優秀な女子高生だ。そう理解すると将都は、首を横に振りどこか観念したようにため息をついた。 「解った……どんな頼みでも聞いてもらえんの?」  将都がそんなことを尋ねると、「はい!」と笑顔になる香那を前に、マネージャーが少し慌てて「常識の範囲に限りますよ」と、彼女の肩を叩いた。  夜更かしでゲームをすることや、漫画を読みながら昼寝をすることが趣味の将都が、一体どんな頼みごとをするのか、岬は少し興味深かった。  将都は目線を逸らし、頰の内側を舌でなぞり、少し間を空けた。 「…うん…やっぱ、あれか。ディズニー」  立てた人差し指を振りながら将都はそう言った。 「ディズニー?」  香那は首を傾げて、そのまま同じ言葉を返す。 「そ…デート。デートしよ」  “デート”というワードに、香那は目を大きくした。  マネージャーは度肝を抜かれたような顔をし、岬も手を口に当ててビックリした声を抑えた。 「あ?何?どうしたの?」  三人の反応に、逆に苦笑する将都。本人的に何かおかしなことを言ったつもりはなかった。  香那は目を大きくしたまま黙ってしまったが、マネージャーは何か声高に「あんた常識の範囲がああ…」とか何とか騒ぎ、岬は将都の背中を叩いた。 「っいってえ!まだ完治してないって岬さん、何すんのよ」 「あー!ごめんなさい!……じゃなくって、超売れっ子アイドルタレントとデートなんて出来るわけないじゃないですか!」  騒がしくなった岬とマネージャーそれぞれの顔に向けて、右左の手のひらを突き出す将都。 「ちょ、ちょっと待って!…別にいいだろ。ホテル行くだとか、温泉旅館に泊まりに行くってえなら問題あると思うけど、ディズニーランドだよ?高校生の男女が行って何か問題でも?なぁ香那さん」  将都が、香那に話を振ると… 「……そう、ですけど…逆に“そんなこと”でいいんですか?デートで。もっと高価な物でも買えたりしますよ、私稼いでますから」 と、首を傾げた。    これには騒いでいたマネージャーも、その口を閉じ黙った。いや…、閉じたと言うより、開いたまま、塞がらない感じだった。“そこ!?”とでも言いたいのだろう。 「勿論、それで香那さんがいいなら、ぜひ」  将都が笑顔でそう言うと、香那は「…解りました!それじゃあ」と頷いた。  マネージャーがどこかに置いてかれているように、将都と香那の間では、話が簡単に成立してしまった。  岬はため息をつくも、香那がいいと言うのならそれでいいかと、片眉を下げて苦笑した。  将都の香那への“頼み”にはそれなりの理由があった。あっさり口から出た感があったが、決して適当に言ったわけではない。  今の将都の叶えたいことは、金で何とかなるものが殆どだ。  例えば新しいゲームハードが欲しい、高校卒業後には車が欲しいなど…。それは自分で何とか出来る。  仮に出来ないとしても、親に頼み込めばまた何とかなるだろう。将都の親は金はあるのだから。勿論、不仲の親にそんなことを頼む気はないが、しようと思えば出来るという意味でだ。  つまり香那に頼む意味はない。彼女でなくても叶えられるからだ。  逆に高校生の将都に高価な物と言われて思いつくものがない。  それ以外の願望となると、自動車免許の取得、ディテクティブ•アカデミーの入試合格といったものだが、これは自分以外ではどうにもならないこと。  そこで、香那という“存在価値”に触れられて、自分も欲した願望を照らし合わせて思いついたのが、“ディズニーデート”なのだ。  ゲーム好きで若干陰キャな将都だが、意外にもディズニーランド好きで、それは岬も知らないことだった。  一昨年、2001年に開園したディズニーシーも興味はあったが、思い出深いディズニーランドに今一度行きたいと以前から思っていた。  多忙だった両親にどこにも連れて行ってもらえなかった幼少の頃、まだ元気だった祖父母につれて行ってもらったのが、最初の思い出だ。  その時は、叔父叔母、その子供たち、つまり将都の従兄妹(いとこ)らも一緒に行った。  初めて行ったディズニーランドの魅力は勿論、皆で楽しい時間を過ごすという、普段寂しい生活を送っていた将都にとっては夢のような体験だった。  それからは毎年、祖父母を含めた親族の恒例イベントとして、ディズニーランドに行くことが続いた。  しかし将都が小学六年生の頃に、祖母が病で他界。歳上だった従兄妹らも、部活だ受験だと忙しくなり、皆で集まって行くことはなくなった。  次にディズニーランドへ行ったのは、それからおよそ三年後。中学三年生の修学旅行だった。  東北の中学校の多くは、修学旅行先は東京方面が定番であり、その中の生徒らが楽しみにしているメインイベントがディズニーランドであった。  その時には、同じ中学出身の沖を含めた、仲良し男子グループで、弾けるように楽しんだのは、今でも良い思い出だ。“ああやっぱりここ最高”という気持ちが、将都の中に刻まれた。  そして、思春期真っ盛りの少年少女の中には、ディズニーデートに憧れる者は少なくはないだろう。  “子供の頃”は親戚とでも、“修学旅行”なら男子グループでも、十分楽しめた。  が、やはりプライベートでは恋人でもつくって、あのテーマパークで一度はデートしてみたいと思うものが若者だ。  そんな時が将都にもあった。 『じゃあ、一年!私たち、一年続いたら記念にディズニーデートしよっか!』  その声が、今も将都の耳から離れない。  二年前に、亡くした彼女の言ったことだ。  人生初のディズニーデートに、人生初の彼女と行く約束だけが残り、相手はこの世からいなくなった。  その上書きをしたいわけではないし、その後に彼女がいたこともないが、ディズニーランド自体に行きたいと思う一方で、誰かとデートで行くということが想像出来ずにいた。  でも、“國分 香那”という、人気アイドルタレントとデート出来る機会は、一生ないだろう。価値としては十分だと思った。恋愛感情がある相手でもなし、死んだ彼女も許してくれるだろうと思った。  それに、女子は女子同士でもディズニーに行けるが、男子はさすがに…、たまに男同士で行く者もいるのは知っているが、将都は仲が良くても例えば“沖と二人”でディズニーランドに行くなどは、死んでも嫌だねと思っている。そこは、苦笑すべき彼の思いだろう。  将都がふと昔のことを考えている間に、マネージャーは三木に電話を掛け、その件の話をしていた。  “三木が了承するわけがない”と思っていたマネージャーだったが、電話の向こうからは、大きいお笑い声が聞こえてきた後、「いいよ」の一言が返って来た。 『…ただ、できれば平日、仕事のキャンセルはしなくていい日を選んでくれ』  マネージャーは電話を切ると、「三木さんは香那さんに少し甘い」とブツブツ言いながら、スケジュール帳を捲って、デートの出来そうな日を確認し始めた。  実際、三木は香那を贔屓にはしていたが、何も考えずに身内だからとそうしているわけではない。  香那のプライベートでの姿がイメージと大分違っていることで、今のところパパラッチや非常識なファンに、付き纏われたことがないこと。そして彼女が勉強を頑張っているのは、仮に芸能界でダメになっても、人生いつでもどんな仕事でもやっていける努力をしているのを知っていたからだ。  勿論、彼女は今の仕事が好きだ。三木の仕事の入れ方のお陰もあるだろうが、歌も、演技も、やり甲斐を感じているようで、後々は役者としてやっていきたいという目標もあった。  三木はそんな彼女の応援がしたかった。  だからこそ目先の金儲けより、安心して活動できる事務所であるよう、香那だけではなく所属タレントに対して考えているのだ。  これは親会社である“庄司エンタープライズ”の社長も、常々言って来ていることでもあった。  タレントは商品だが、同時に人でもある。無茶はさせるなと。  そして今回の将都の頼みについて、了承した大きな理由に、三木が彼と直接話したことで、決して間違いを犯さない人物であるという実感を得ていたからに他ならない。  三木は人を見る目はある。  だからこそ、大手芸能事務所で役員の立場にいる。  その目から見て、将都は一見冴えない高校生だが、嘘のない正義の心を持っていると理解した。それは、貝谷から命懸けで香那を救ってくれた事でも十分証明されていることではあるが、何にしても今回の“デート”の件は問題ないだろうと判断した。  また指定した場所も了承した理由だ。  ディズニーに来る客は、周囲に目を向けるより、テーマパークそのものを楽しむのに夢中になっている者が殆どだ。街中を歩くより、“國分 香那”だとバレるリスクは、むしろないだろうと。 「しかし、ディズニーランドか…。また行くにはいい機会かもな」  マネージャーからの電話を切った三木は、オフィスチェアーの背もたれに寄りかかると、彼女の中学入学前、東京に引っ越した際に“どうしても行きたい”とせがまれて連れて行ったことを思い出した。
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