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第九話 京葉線
2003.6.18(Wednesday)
薄明るくなってきた東京駅前の早朝。
時間は午前五時前。
将都は近くのビジネスホテルからキャリーケースを引いて出て来た。
今日は、香那の“礼を受け取る日”。つまりディズニーデートの日だ。
将都は前日に東京入りし、東京駅から程ない場所にあるビジネスホテルで一泊していた。
実は、この機会に合わせて、都内にある志望進路先である“坂崎ディテクティブ・アカデミー”の見学をしようと考え、実行に至ったのだった。
高校にはその旨を伝え、欠席にならないように届けを提出していた。
アカデミーは府中と新東京の二校があり、その両校を見学することで二日間の休みで提出していた。
が、実際には新東京校だけの見学で、二日目はディズニーに行くために取った休みというのは、高校には内緒であることは言うまでもない。
アカデミーを、見学しての感想は、ズバリ“刺激を受けた”の一言に尽きた。
特に射撃と、逮捕・格闘術の訓練は鳥肌が立った。
将都の憧れる、二年前に命を救ってくれたという私立探偵は、アカデミー出ではないらしいのだが、それでも無事に入学が叶えば、その人に少しでも近づけるような気がして、ワクワクが止まらなかった。
その熱冷めぬまま一晩を過ごしての、今朝。
香那とは、朝の五時に東京駅構内の八重洲南口改札で、待ち合わせをしていた。
ちなみに、この時間を指定したのは香那の方だった。
“あの見た目”なら、人の目のない時間を選んだということでもなさそうだが、何故こんなに早い時間がよかったのかは、まだ理由は聞けていない。
年中、人でごった返している東京駅も、朝の五時前となると殆ど人の姿はなく、実に静かなものだ。
そのため、ガラガラと音を立ててキャリーケースを引く音が構内に響いた。
そんな将都の向かう先に、柱に寄り掛かりながら携帯電話をいじっている女の子の姿があった。
香那だ。
彼女もこちらに気づいたようで、互いに認識し合うと笑顔になる。
「おはよう」
「おはようございます。めっちゃ早い時間にして、ごめんなさい」
笑顔で謝る香那は、今日も可愛い。
「いや、早いのは平気だけど…香那さん眠くない?」
「私はいつも忙しいから起きるの早いんです。それにやっぱディズニーはゲート開くところか入りたいじゃないですか!」
(そういうことか)と、この時間の待ち合わせに納得した将都は、そんなテンション高めの香那が、また可愛く思えた。
そして彼女のその格好だ。
香那にとっては、気合いを入れる相手でもないだろうが、それでも服装は実にお洒落だ。
大人っぽいスカートとストライプのボーダーニットの組み合わせは、上品さと可愛らしさを併せたような魅力を醸し出している。
ファッションに興味のない将都は、一緒に歩いて不釣り合いになりすぎないかと、少し心配になった。
「今日は帽子なんだね」
将都が香那を見て最初に目についた帽子について触れる。
まっすぐに下ろしたナチュラルストレートに、帽子が、また映える香那。
「うん、変ですか?」
「ん?あ、いやぁ…よく似合ってる」
「…ありがと」
早速二人は、京葉線のホームに向かい、広い東京駅構内を歩き始めた。
その間、他愛もない会話が続いた。
将都は、前日のアカデミーの見学のことや、国家資格を取得して、私立探偵になることを目指していること。
香那は、中間テストの実際の点数が488点だったことや、志望進路先は留年制度のない最大在籍八年の早稲山大学を目指していること。
「へえ、早稲山か。進学校に通う人は違うなあ」
香那はあえて仕事の話題は出さないようにしているのだろうが、学生らしく進路のことを互いに話し合っていると、どこにでもいる高校生と何ら変わらないなと、将都は彼女が有名アイドルタレントであることを忘れそうになった。
「ところで身体、もう良くなりました?」
横を歩く将都を見ながら、香那は尋ねる。
「え?」
「あ…後遺症とか、ないかなって心配で」
貝谷の狂刃にやられた傷のことを心配していた香那。
血塗れの彼の姿が、頭から離れないでいた。
そして、本来なら自分の命脈を断っていたかもしれない貝谷の凶刃に対して、身を挺して守ってくれたことには、本当に感謝しているとともに、怖さも感じていた。
「おう、もう大丈夫。俺強えから!」
将都は口をへの字に、軽くマッチョポーズをして見せた。
それを見て、クスクス笑う香那。
京葉線のホームに着くと、既に始発の車両がドアを開けて出発を待っていた。
ホームや車両には、平日とはいえ、早朝からディズニーリゾートに遊びに行くのだろうと見て分かる客達が、ポツポツと目についた。
「そういえば、刑事訴訟って取り下げたんだって聞きましたよ。あの人…」
車両内の椅子に揃って座ると、香那は将都にそんなことを言った。
彼女の言う通り、貝谷は将都への訴訟を取り下げていた。
だが、今日はわざわざ時間を取って遊びに付き合ってもらっている立場故、貝谷のことは聞きたいことでもないだろうと、あえて話題にはしまいと考えていた将都だったが、香那から振られ答えることとなった。
きっと三木から聞いて知ってはいたのだろうと、将都は頷いた。
「そう。あいつ、証言を一変して、香那さんへの殺人未遂を認めたんだよ。それで逮捕に至って…検察側が刑事訴訟をすると動いているみたい」
「証言を変えたって…どうしたのかな?」
「さあ…」
実際、貝谷にどんな心境の変化があったのかは、将都にも解らない。ただ、直接話をしに行った、“あの晩”の成果は少なからずあったのかと思った。
「でも、安心しました」
“安心”、微笑む香那の顔を見て、将都は、これで自身が貝谷に狙われることはなくなると、出た言葉だと思った。
「ああ、これで香那さんの安全も…」
「それもですけど、将都さんが暴行障害で有罪にならなくて、安心したってことですよ」
「あ、俺のこと?」
「そうです。私を助けてくれて、大怪我して、それなのに犯罪者になっちゃったら、私病んじゃうところでした」
口元は笑いつつ、少し悲しそうな目でそう言う香那を見て、本気で自分を心配してくれていたことを理解する将都。
同時に、その相手が全くの他人ではないことに、やはり思うところがあるのだろうとも思った。
何だかんだと、共に過ごした、第二の家族のような存在が貝谷家の人たちだ。その両親も娘とも、今回の件で、一生まともに会う機会はなくなった。
関わりたいとは思わないとはいえ、貝谷とも子供の頃は純粋に良い思い出もあるだろう。
その複雑な香那の気持ちは、将都には想像は出来ない。
「そんな顔しないで、今日は楽しもう」
将都が笑顔でそう言うと、香那は頷いた。
電車が動き出し、車両が地下から地上に顔を出すと、朝日が眩しいくらいに差し込んできた。
梅雨時期で、天候を気にしていたが、今日の予報は一日晴れだという。むしろ、少し暑いくらいになりそうだった。
朝日注ぐ、その向こうにはきらめく海が広がっている。その水面は太陽光を浴びて、輝きを増しているように見えたのは、既に“ディズニーマジック”の影響を受けているからなのかと、将都は思わず考えた。
普段、通学通勤で使っている人には“ただの電車”なのだろうが、将都は京葉線に乗って舞浜に向かうその道中は、まるで何か物語を読み進めていくかのような高揚感を子供の頃から感じていたが、それは今日も変わらない。
そして将都は、窓から広がる風景、特に新木場駅から葛西臨海公園駅までの埋立地特有のそれを見るのが好きだった。
ただ、胸踊るばかりではない。
亡くなった彼女への想いもあるからだ…。
だが今日は純粋に、そして久しぶりに、一日楽しもうと思えたのは、隣に香那がいてくれるからだった。
舞浜駅に到着すると、車内にいた客達の殆どがそこで降りた。
将都は、駅構内にあるコインロッカーにキャリーケースを入れ、ディズニーランドのゲートへ向かう。
駅から歩いて程なく見えてくる国内最大ディズニーショップ“ボン・ヴォヤージュ”。その前を通ると、既に辺りに流れている聴き覚えのあるディズニー作品のサウンドと相まって、香那のテンションも上がってるのが伝わった。
「ヤバい、久しぶりでドキドキしてきましたよ!」
両手をきゅっと握りそう言う様が可愛い香那。
将都はそんな香那を見て微笑ましく思った。
「俺もだよ」
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