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その夜、良太郎は容赦ない殴打に、二度三度と畳へと叩きつけられた。
梨畑で突き飛ばされた、あの遠い夏の日を思い出す。しかしながら目の前に屹立する健三の顔は、そのときと比べものにならぬ険しさで、もちろん唇も笑いに歪んでいない。そして与えられた暴力も、より荒々しい。猛烈な痛みが身体を疼かせる。
「だ、旦那さま……、そのくらいにしておきませんか……今日はめでたい日ですし、私からもよく叱っておきますので……」
良太郎を引っ張ってきた小作人が、怒り心頭といった様子の健三を見ておろおろと声を震わせた。しかし、それに構わず、健三は今度は足を振り上げ、うつ伏せになった良太郎の背中を激しく踏み付けた。思わず漏らした叫び声が夜の屋敷内に響き渡ったが、それを聞いても健三の蹴りは止まることはなく、その怒りがとてつもなく苛烈であることを良太郎は身をもって思い知る。
「お父さま」
その場に似合わぬ可憐な声が、良太郎の耳に降ってきた。それまで部屋の隅に座して、荒ぶる義父をただ静かに見守っていた女児が、はじめて言葉を発したのであった。
「ねえ、お父さま。もう堪忍してやって」
「馨」
健三が振り上げた足を止めて、女児の方を見た。
それが、良太郎があの女児の名を知った瞬間だった。
――かをる、というのか。あの女は……。
良太郎はずきずきと痛む背をさすりながら、その名を心に刻みこむ。その毬栗頭の上に、義理の父娘になったばかりのふたりの会話が降り注ぐ。
「しかし馨、お前に狼藉を働いたのは、たしかにこいつなんだろう?」
「はい、お父さま。それは間違いありません」
馨の声はなおもころころと鈴のように鳴る。
こんな場面でなければ、いつまでも聞き惚れていたい声音だ。良太郎はずきずきと軋む身体を少しずつ持ち上げながら、そんなことを思った。我ながら呑気な考えだとはぼんやり思ったが、それほどまでに馨の唇から鳴る音はどこかそそるものがある。あの艶やかな肌と同じように。
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