第一話 昭和七年「邂逅と衝動」

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 良太郎は村の畦道をひた走りに走っていた。  やがて畦道は村境の堤防に達し、終わりを迎える。良太郎はその勢いを変えることなくひと息に堤を駆け上る。そして、河原へと下る。水の流れがよく見える川辺まで辿り着いところで、良太郎はやっと足を止めた。  春の陽は荒川の水にさんさんと差し、きらりきらりと水面に跳ねている。良太郎は息を弾ませながら、その光景を眺める。  心が落ち着くまで、ただただ、眺め続ける。飯場の女たちの噂話、それに背を向け働く母の横顔。  それに比較して、梨畑に翻る万国旗のなんと華々しいことか。そしてその下で特別な一日を過ごす男たちの晴れやかさといったら。  良太郎にはそれが無性に恨めしかった。  そのとめどもない思考が遮られたのは、背後に人の気配を感じたからだ。  見たことのない着物姿の女児が、春の河原に佇んでいた。表情がよく見えぬので、年齢はよく分からなかったが、良太郎より幼いのは確かだ。背の高さから推測するに、おそらく十才くらいであろうか。  川を渡る風がざわめき、女児の髪がふわり、となびく。結びもしていない黒髪は、腰近くまでの長さがあり、どこか艶めかしくさえある。  良太郎は急に目の前に現れた見知らぬ女児に、数瞬の間目を奪われていたが、そのままやり過ごすのもどうかと思い直し、ひとまず女児にゆっくりと問いかけた。 「誰だ? お前」  対して女児は、なにも答えようとしない。少し笑うように唇を震わせたのが見えただけである。いや、怯えているのかも知れない。  川のせせらぎを耳にしながら、良太郎は思う。  ――さては、俺の目つきが険しすぎだのだろうか。いつも皆に言われることだが、こればっかりは直しようがないんだよな。
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