二十六話 神楽殿の幻④

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二十六話 神楽殿の幻④

 小嶌神楽が終わると、美雨は悪樓に手を差し伸べられ、立ち上がった。どうして、あんな映像が頭の中で神楽と重なったのか、理由は分からない。そして、なぜ突然涙が溢れて泣き出してしまったのかも。  悪樓は、その理由を追求することもなく、ただ涙を拭ってくれ、優しく微笑んで抱きしめてくれた。 「美雨、疲れただろう。今日はゆっくり貴女の部屋で過ごすといい。私が(しとね)を共にしてしまったら、また触れてしまいたくなる」 「は、はい」  でも、悪樓が側にいるとよく眠れるんです、なんて、とても恥ずかしくて美雨は言えなかった。  ひんやりとした悪樓の手に触れると、気持ちが落ち着いて気持ちが温かくなる。神楽殿からゆっくりと二人は降りていき、深く頭を下げる島民たちの間に、見慣れた、友人たちの姿が見えた。  美雨の姿を見るなり、穂香や大地が手を振って笑いかけた。屋台から引き上げて、彼女たちも、この島の行事である小嶌神楽を楽しんでいたようで、美雨は嬉しくなる。 「美雨!」 「あっ、みんなも神楽見てたんだね。凄い綺麗だったね」 「うん、綺麗だったよ。このお祭りはこれで終わりみたいだけど、美雨はどうするの? このまま、私たちと一緒に帰る?」 「えと……」  穂香の問いかけに、美雨は言葉に詰まった。小嶌神楽で幻覚を見てから、悪樓に貸して貰ったあの本が、気になって仕方なかったからだ。冒頭だけを読んでも、美雨が感じた『感情』に対する答えが載っているような気がする。   (私、悪樓さんとできるだけ長く一緒にいたい。側にいたい、離れたくない……な)  美雨が、ふと視線を泳がすと穂香の背後から、ピリピリとした表情の陽翔がこちらを睨んでいる。それに気づいて怖くなり、美雨の脈が跳ねると、肩を抱く悪樓の着物を無意識にぎゅっと握っていた。 「なぁ、美雨。いい加減にしろよ。いつまでその人に迷惑かけるんだ。怪我はしてないんだろ?」 「う、うん、でも……。私、悪樓さんのお屋敷に帰る。また明日逢おうよ」 「はぁ? お前、何言ってんの。ほら、帰るぞ。穂香ちゃんも心配してるだろ。俺もお前のことを心配してるんだよ。俺はおばさんから美雨をよろしくねって、子供の時から言われてるんだ。俺と帰ろう?」  いつもなら、イライラした陽翔が怖くて、何か不満があっても、頷いて従っていた美雨だが、初めて反抗するように断った。  すると、陽翔は周囲の視線を気にするようにして苛立ちを隠し、笑顔を浮かべると、美雨の側まで歩み寄って『しょうがないなぁ』と手首を掴もうとする。美雨が怯えて一瞬身を固くすると、そこに、無表情の島民たちが立ちはだかる。  あれほど柔和で、優しい笑みを浮かべていた村長や、年老いた巫女の八重までが、恐ろしい形相で陽翔を睨みつけているのだ。 「男は美雨様に触れてはならん。この島で生きるならば、不敬を慎み、わきまえなされ。儂らはあんたらを歓迎しているんじゃ。小嶌の掟は、破らんでくれ」 「は……? なんだよそれ」  感じたことのない緊迫感に、陽翔を含めて全員が息を呑む。美雨が悪樓を見上げると、氷のように冷たい目で陽翔を見ていた。不安そうにする美雨に、悪樓は彼女を見下ろして、肩を抱き寄せると言った。 「美雨はお前ではなく私と過ごしたいという。彼女は、私の嫁御寮なのだから当然だろう? 今宵は、私が用意した屋敷に、大人しく帰るといい」 「んだよ、嫁御寮っての。馬鹿じゃねぇの」 「よせ、陽翔。今夜は帰ろう。美雨ちゃんの気持ちを尊重しなきゃ。寝やすい場所の方がいい」 「ああ、すいません。そろそろ僕たちは帰ろう。明日は漁業のお手伝いと農業の見学をさせて貰おう。しばらく帰れないだろうし、僕たちもお世話になってるぶん、なにかやらなくちゃ」  突き放すような冷たい警告に、陽翔は唇を噛んだが、樹が場の雰囲気を察して彼の肩を掴む。険悪なムードを壊すように勝己は機転を利かして、村人と悪樓に頭を下げると、謝罪した。そのおかげなのか、村人たちの緊迫した空気が和らいで彼らが微笑む。  穂香は悪樓と陽翔のやり取りに違和感を感じ、由依と大地は黙ったまま、おかしな空気になってしまったその場を見守る。  美雨は、みんなを気にしつつも悪樓に肩を抱かれながら、屋敷へと向かった。道中、悪樓と手を繋ぎ、間隔の開いた電灯と月の光を頼りに歩きながら、美雨はチラチラと彼の顔を見上げた。 「どうしたのだ。腹でも痛むのか、美雨」 「ううん、悪樓さん。な、なんかごめんなさい。私があんなこと言い出すから、凄く嫌な雰囲気になっちゃった」 「いや。最初からあれは気に入らぬ若造だ。貴女がその場にいなければ、殺していたよ。それに、最初から貴女を連れて帰るつもりでいたので、気にするな」  とんでもなく物騒なことを、悪樓は美しい笑顔で答えた。
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