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空虚に溺れる
間近で見つめた黒目がちの目は、その大人びた服装や香りとは裏腹にあどけなさを感じさて、少しだけ、居心地が悪い。
腰に這わせた指が、暖かい肌と、その奥にある内臓の震えを感じ取って、思わず逃がさぬように両腕で細い身体を抱き込む。
…昔は、自分の方が華奢だと言われていた気がする。気が、するだけである。
後ろは壁だというのに細い腕でむずかる様に肩を押されて、思わず可愛い、と口から零れた。
赤い唇が引き結ばれたのを見て、何処まで強情なんだと少し笑ってしまう。
こちらを睨んでいても可愛いだけだ。
誘っているようにしか見えないのだから、自分も大概だと思う。
あぁだの、うぅだの未だにこの状況から逃げようと模索している幼馴染を見下ろして、出来心で唇を合わせてみる。
驚いたように跳ねた身体で、縋る様に腕が首に回る。
(…可愛い)
口が開かないから、ほんの少し唇をかんでみると細い呻きが聞こえた。
心なしか震えている。
埒が明かないのであやすように話しかけてみる。
「玲央、れーお。…ね、抱いてあげるから、開けて。ほら、あーん」
好きな男に連れ込まれて、甘やかすような声で抱いてあげると囁かれて、逃げられない様にと手を絡められて。
玲央にしてみればお誂え向きの状況だろうに、それでも震えて、首を縦に振らない。
(…どうして?)
思えば、玲央は昔から自虐的な発言が多かった。
だからいつも、そんなことないと言い続けていたが。
(俺が、間違ってた…?)
依然として眉を顰めて、目を伏せて微動だにしない幼馴染を見やる。
目が、合ってしまった。
腕が緩んだ瞬間に、振り払われる。
ベットが軋んで音を立てるのも構わずに愛斗は逃げ出した身体を抱きすくめた。
数年前よりも骨ばって、筋肉が落ちた華奢な体は、堅く強張って息が上がっている。行き場がなく握られた手を導いてベットの縁に座らせるけれど、依然として目は合わない。
俯いた表情は見えないが肩が震えていて、かつてのように握った手に、水滴が落ちてきた。
…泣かせて、しまった。
「っ、ごめん、玲央…ごめん、ごめんな、怖かったよな」
きっとこうなると予想はできていて、その上で行為に踏み切ると選択したのは紛う事なく自分だったから、謝罪を口にする事しか出来なかった。
(…昔と同じだ)
浅い息を吐いてしゃくりあげるのを抑えるように涙を零すのを、自分はどうにもできない。
「ごめん…」
口をついて出る言葉は昔と全く変わっていなくて、自己嫌悪に陥りかける。
緩く首を振る幼馴染をみて、自虐めいた笑みがこぼれた。
「っ、まな、愛斗…あの、あのね、」
濡れたままの瞳で真っすぐにこちらを見るのを認めて、話さなくていいとかぶりを振る。袖を引かれるがままに目の前に膝をつくと、柔らかく抱きしめられた。
ほんの少し上擦った声で名前を呼ばれる。掠れて、震えて、それでも甘い声。
「まなと、愛斗」
「…ん、居るよ」
ふふ、と上機嫌な声で笑って、体が離れた。
「ね、膝の上乗って」
ついさっき僕がしてたみたいに。
小悪魔めいた笑みでそう言われて何となく、どうなるかが分かってしまう。
言われるがままに従うと、機嫌よさげに口角が上がった。
両の手を握って、指を絡める。
さっきまで自分がしていた事なのに、されると恥ずかしい。
どう足掻いても体温が上がってしまう。
自分の物より小さく細い指が、愛おしそうに手の平を弄る。
「ふ、大きぃねぇ」
嫋やかに笑って不意に手を放された。
ただ熱を燻らせる意地悪を楽しんでいることに気が付いて、眉をしかめる。
何を思ったのか、指が頬に触れて、次いで甘やかに口を啄んだ。
心地よく触れただけのそれに物足りなさを感じて、食み返すより先に唇同士が離れてしまって、思わず玲央の肩を掴む。
そこで、はたと気が付いてしまった。
思わず名前を呼ぶ。
「―――……玲央?」
自分を見つめる幼馴染の瞳には、誰も写っていなかった。
ただ、唇の端に笑みを浮かべてぼんやりと空を見るだけで、
異常なほどの空虚がその顔を埋め尽くしていた。
(あぁ、そっか)
異常なまでの自己否定と自虐。
傍目にも判るほどの異常性を孕んだ虚無感。
それを作り、育て上げたのは。
「…俺、だったのか」
――――空虚に溺れる。
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