やる気がイマイチな受験生へ

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「神様、かみさまぁ~、お願いします。何卒、なにとぞぉ~」  矢田部は両手を火をおこす勢いでこすりあわせて、お賽銭箱のむこうにおはす神様にむかってお願い事をした。  もっとも親のすねをかじる学生の身。賽銭に投げられる金額は五百円が限度であったが。  矢田部は大学受験を控えて、夏休みの自習の合間に、地元で有名な学業成就の恩恵が受けられるという丹前神社というところに来ていた。  もともと神の存在などろくに信じていなかったが、今回ばかりは話が別である。  これまで貧しいながらも自由気ままに活動することを許されていたが、三年になって急に親が「大学くらいは出ておけ。でないとお前のゲームはすべて捨てる」なんて言い出すものだから、慣れない勉強を始めて今も要領がわからず四苦八苦していた。おまけに金銭面の問題から受験を許された大学は一校のみ。これでは神にもすがりたくなるというものだ。  蝉の声がシャウシャウシャウと鳴きわたる。彼は使い込んだハンカチで汗をふき、リサイクルしているペットボトルで水道水を喉に流し込んだ。 (それにしても、誰も寄り付かないなぁ……)  丹前神社の規模は小さく、神主さんも常駐していない、販売所も御朱印を書くところもない辺鄙な地所であった。  その原因のひとつに交通アクセスの悪さが関係しているのかもしれない。  この神社の近くには大きな車道がひとつ横切っているだけで、マイカーを持っていない学生の身である彼では、ここに辿り着くまでに最寄り駅から徒歩で五十分以上かかったのだ。  普段日光にあたっておらず、部屋にこもって受験勉強の日々を送っていた彼には、この蝉と紫外線から受ける肉体的刺激にはほとほと参った。  十分歩く度に休憩し、水道水をこまめにとって、痛くなった足の裏をさすって、息も絶え絶えにここまできた。  何度か引き返したい衝動にも駆られた。だがその都度「これだけ苦労して神社に辿り着くのだから、さぞや大きなご利益がもらえるかもしれない」と自分に言い聞かせて、鈍い足を運んだ。そうして塩を振られたナメクジのように身が溶ける寸前に、この寂れた神社へ辿り着いたというわけだ。 「う……やべっ」  矢田部は身を震わせ、股間をもじもじとさせた。参拝を終えた安心感からか、急に尿意が襲ってきたからだ。  こういった寂れた、誰もいない神社だったら、そこらへんの草むらで用を足せばいいかもと一瞬思ったが、いやいやそれでは神様にバチが当たると思い直して、トイレを探した。  ひょこひょこと歩きながら、神社の裏へ回り込むと、ちょうど公衆便所があった。  誰の手入れもされてないであろう、黄ばんだ漆喰が目立つ不潔そうな場所であった。  彼は急いで駆け込む……と、便所にはいる直前、ちょうど脇に生えている大きな柳の木のそばに、若い女が立っているような気がした。  股間を抑えながら、びくっと肩を震わせ、柳の木のほうをみる。誰もいなかった。 (なんなんだろう……でも、それどころじゃない!)  彼は公衆便所の中に入り、小便器の前に立ってチャックを下ろし、用を足した。  腎臓のフィルターを通した尿素と老廃物が下半身から排出される音の長さに呼応して、みるみる体に安堵感が沸き上がる。  ここにトイレがあってよかった。  人間なら誰しもが味わえる、一日のなかでの至福の時間。  蝉の音も遠くに聞こえ、はぁーっとリラックスの境地に達していたとき。 どぉん! と背後の個室トイレのドアを殴りつけるような音が突然響いた。 「うぇひぃぃあっ!?」彼は思わず身を縮こまらせてしまった。  心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。彼はぎこちなく首だけを後ろの個室へ向けた。  先程の衝撃で鍵が破損したようにみえる個室がひとつ、苔だらけのタイル地に溶け込むように存在していた。  その不安定な扉の個室の奥から、 ガッ ガッ ガッ ドゥルルルルル……ブゥーイィ―――ン! という機械の駆動音が響く。 矢田部はこの音に聞き覚えがあった。 (この音は……チェーン・ソー!)  がくがくに震える手でなんとかイチモツをしまう。 「HAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!!!!!!」  突如、日本語にない発音が扉のむこうから聞こえる。  目が離せない。首をぐるりと振り向いたまま、その個室から視線を外に逸らすことができない!  つむじ風が舞いこみ、慣性の法則に任せて扉がおのずと、ギィィィィィ……と開く。  中から現れたのは。  チェーン・ソーを起動させつつ、血の涙を流す、2メートルを超える大男だった。 「……PPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPYYYYYYYYy!!!!!!!!」  誰かの顔の皮を自分の顔に貼り付けたのか、やけにだぶついたごわごわな表皮で、甲高い叫び声をあげる怪人。  矢田部は思わず、うぎゃぎゃぎゃdrftgyふじこlp……! と叫びながら背中を突き押されるような勢いで公衆便所を飛び出した。  つんのめって思わず入口前で転ぶ。荷物をぶちまける。だがのんびりしていたら絶対に殺される……!  (なんでチェーン・ソー!? なんで便所から怪人!? なんでこんな裏ぶれた神社に!? 意味不明! 意味不明!)  矢田部は取るものも取りあえず立ち上がり、ペットボトルもリュックも投げ捨ててその神社を後にした。  後日、ここへ参拝にきたことが彼の大学受験時における致命傷になったことは言うまでもない。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ドゥルルルル、ブゥーイィ―――ン!   チェーン・ソーを稼働させた状態でトイレから出てきた血みどろの大男は、ゆっくりとした足取りで巨大な柳の木のもとへむかった。  その一部始終を観察していた黒髪を垂らした白装束の女は、柳の木の裏から姿を現した。「まあ、素敵な演出じゃない♪」思わず声がでる女。  大男は女と対峙する。彼はチェーン・ソーを振り上げたかと思うと、二度、三度と空を切る。  そのあと、チェーン・ソーの電源を切り、そこらの地面にぽいと投げ捨てた。 シャウシャウシャウ………ミィンミィンミィン……  お寺の裏では、蝉たちの詩情あふれる声だけが響く。  大男は胸ポケットからひとつの小箱をそっと取り出し、彼女の前に掲げた。 「HA……APY……BIRTHDAY、トモコ」  指の毛の手入れもされてない大きな手で、箱を開くとそこには燦然と輝く指輪があった。 「プ、プリーズ……MARRY ME?」 「Of course ,yes!」そう女が答えると、二人は愛の抱擁を交わした。  大男はその体躯に似合わずむせび泣く。  女は生後間もない子猫のような無邪気な笑顔で抱きつく。  彼は言った。 「や、やった……俺、うれしい」 「あたしもよ、ジョニー。まさかこんなサプライズを仕掛けてくるなんてね」 「いった……すべてがうまく、いった……」 「あら、すべてうまくいったというのはちょっとオカシイんじゃない? トイレで準備している間に、誰か一般人に見られたでしょ」 「お、お前かと……おもった」 「いくら用を足すのが遅いからって、男子トイレにまで覗きにいかないわよあたしは」 「あ、あいつ……俺たちのことバラすかも」 「特殊メイクをした俳優同士が、こっそり撮影所を脱け出して裏の神社であいびきしてたって? そんなの彼にはわかりゃしないわよ。むしろずっとパニック状態だったから、白昼夢でもみたんじゃないかと錯覚するんじゃないかしら」 「トモコ……愛してる」 「ミートゥーよ、ジョニー」
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