4.愛する君へ

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4.愛する君へ

 彼女はどうしたのだろう。クレハのことが気にかかって仕方なくて、けれど自分から彼女の住まいを訪ねる勇気などなく悶々としていたユキトの耳に、その声が聴こえてきたのは、クレハを拒絶したあの日から一週間が経ったころだった。  水晶の丘を渡る風に乗り、その声は丘中に響き渡っていた。  けれど、それが神への佳ではないことはすぐわかった。  乗せられた歌詞が歌い手の意思を明確に、これ以上ないほどきっぱりと語っていたからだ。 ──愛する君へ。 ──君がいなくなって初めて気づいたよ。僕が歌い続けたその理由を。 ──愛する君へ。 ──神なんて本当はいなかったんだ。僕にとって神は君だけでよかったんだ。 ──会いたいよ。会いたいよ。 ──生きて笑っている君のために、歌いたかったよ。 ──愛する君へ。 ──届いてよ。 ──届いてよ。 ──届いてよ。  声に誘われ、窓の外を見たユキトは息を呑んだ。  声の主は、シンヤだった。  ユズリハの死から半年以上こもり続けていた彼の姿は、すっかり変わっていた。美しい亜麻色だったはずの髪は、黄ばんだ白髪となり、落ちくぼんだ目を覆い隠している。手足もやせ細り、粗末な杖にすがらねば、立っていることも叶わないのだろう。  けれど、それほどに老いさらばえながらも、彼の口から洩れる歌声は朗々としていて、こもりきりになる前となんら遜色なかった。歌われる歌詞に呆気にとられながらも、長老たち管理者たちでさえ、聞きほれてしまうほどに、彼の歌声は美しかった。  風に吹かれ、シンヤは歌う。 ──愛する君へ。 ──愛する君へ。  愛する、君へ。  クレハの歌声に撫でられた瞬間と同じ震えが、ユキトの体を覆った。  気が付いたら、もぎ取るように絵筆を握っていた。  神の囁きが、小さくなる。小さくなる。  聴こえなくなったら……自分は、死んでしまう。  わかっていても、止められなかった。  無我夢中でユキトは走り、クレハの家へと向かう。窓には帳が下ろされていたけれど、気にせず、ユキトは彼女の家の壁に向かって絵筆を走らせた。心の赴くままに筆先を滑らせ、壁一面を白く染め続けていた。 ──これはきっと、あなたが生まれた町の景色よ。  クレハの声が聴こえた。
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