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5.あなたと歩く
無我夢中で手を動かし続けた。寝食を忘れ、壁に向かい続け三日。
目前には、自らが壁へと落とし込んだ雪の原が広がっていた。
ぽろり、と絵筆が手から落ち、ユキトは地面に膝をつく。一面の雪へと変わった壁にもたれかかりながら、ユキトは拳でそっと壁を叩いた。
「クレハ……見て。見てよ」
家の中からはことり、とも音がしない。
同様に自身の中にある神の囁きも聴こえてこない。
怖い。
怖い。
……クレハもまた、同じなのだろうか。
同じ恐怖を感じながら、それでも。
ふぁさり、と衣擦れの音が響く。さわり、と揺れる風の中、
「ユキト」
声と共に細い腕がそうっと背中に回され、思考が破られた。衣服越し、じわり、と温もりが染みた。
「綺麗な……雪」
囁くクレハの声がユキトの背中を震わせる。その震えに後押しされるように、ユキトの唇から言葉が落ちた。
「クレハの言う通りなのかもしれない。これは……神の囁きが生み出したものじゃない。僕の中にあって、僕が望んだから出てきたもの。誰かに引っ張られて生み出されたものじゃない。これは……全部、君に見せたくて……」
「うん。うん」
クレハの腕が強くユキトの背中を抱く。
そうして……彼女は小さく息を、吸った。
──あなたのくれた雪はなによりも温かかった
──進めと促す誰かの指先よりもずっと
──だから私は
──伸びる足跡に背く
──背いて、私は
「あなたと歩く」
触れた体を通し、クレハの歌声がユキトの中へと流れ込んだ。
その瞬間、どくり、と体の中でなにかが震えた。
神の囁きなどではない、荒々しいその震えにユキトがはっとしたと同時に、クレハも顔を上げた。
お互いの中に長く沈み込んでいたなにかが共鳴し、固く閉ざされた扉を開き、最後の力を振り絞るように身もだえたのだとわかった。
「僕ね、見てみたいんだ。頭の中にしかないこの雪景色を」
呟き、ユキトはクレハに体を向ける。
「一緒に、探しに行ってくれない? クレハ」
祈るように彼女の瞳を覗き込むと、クレハはふわりと瞳を和ませて頷いた。
「私も、見たい。この雪の世界で歌ってみたい。ユキトの横で」
クレハがそうっと手を差し出す。
この先にあるのは……多分間違った道なのだろう。定められた道を逸脱し、神様からも見放される未来しかない、悪路と呼ぶのもおこがましい、道なき道なのだろう。
そう思ったけれど、ユキトはクレハの手を取った。
冷たいその手は震えている。
けれど、ユキトはそのクレハの手を引いて水晶の丘をゆっくりと下り始めた。
降り注ぐ陽光の中、辿る足跡などない雪原にも似た世界に向かい、歩を踏み出し続けた。
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