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「えっ、そうなの? どうして喧嘩なんか…」
「反対されたんだ。フランス料理人になる事…」
「どうして? 反対する理由は?」
「実家は代々受け継いできた料亭で、俺は五代目の店主になる予定だった。まぁ簡単にいえば「老舗料亭の息子がフランス料理人になってどうする?」っていう理由…」
「そうだったんだ…」
「今まで黙っててごめん…」
そう言って筑間は恋に頭を下げた。
「ううん、いいよ、気にしないで」
筑間が頭を上げて食事を再開する。恋も残りを食べて食事を終え、2人はコーヒーを飲みながら話の続きをする。
「それで? ご両親の反対を押し切ってフランスに行った後は? 帰国してからご両親と仲直りはしたの?」
恋がそう尋ねると、筑間は首を横に振って答える。
「してない……フランスに行った後、一度も実家に帰っていないんだ」
「ご両親から連絡は?」
「初めの頃は何度か連絡があったけど、俺の方が忙しくて連絡をする暇もなかったし、それっきり連絡はなくなったな。今、俺が日本に帰国してる事すら知らない…」
「雑誌やテレビでお店を紹介しても、碧は表に出てなかったから分からないんだ…」
「うん…」
筑間の家族の事は詳しく聞いた事はなく、いつも恋の家族の事ばかり話していた。まさかフランス料理人の筑間が、老舗料亭の跡取りだったとは考えもしてなかった事で、恋は驚きを隠せなかった。
「あっ!」
恋は昨晩の肉じゃがや卵焼きを思い出し、伏し目がちで筑間に言う。
「昨日の夕食……ほんとは美味しくなかったんじゃない…?」
「ん? いや、マジで美味かったよ。俺好みの味だったし」
「ほんと?」
恋は上目づかいで尋ねると、筑間は笑顔で言った。
「実家の親父が作る肉じゃがより、よっぽど美味い! 親父の料理は味がしないんだ…」
「ん? 味がしない? 薄いって事?」
「いや、気持ちの問題だな。老舗料亭とあって、著名人がお忍びで来たり、招待客をつれて来たりするんだけど、代々受け継がれる『味』っていうのがあるんだ。まぁそれが一般的に言われる『美味しい店』の原点なんだけど」
「うん…」
「その『味』を受け継いで守っているんだ。一応レシピはあるけど、かなり昔の物だから、現代の材料で同じように作っても違うんだよな。それを上手く調整して代々伝わってきた『味』にするんだけど…」
「すごいね。でもそれが?」
「オリジナル性がないんだ。料亭の『味』は変わらない。いつでも同じ『味』で食べられる日本料理だけど、それだけ……」
「それだけって…」
「俺は『おふくろの味』を知らない。どこの家庭にもあるような『昔懐かしい母の味』っていうの? それを俺は味わった事がない。俺が食べて育ったのは、万人に美味しいと言われる『老舗料亭の味』で「贅沢だ」って言われた事もあった。でも美味いと思っても、幸せを感じる事はなかった…」
「そっか…」
「恋が作ってくれたプリンタルトや夕食の肉じゃがや卵焼きって、レシピ通りの材料で作るけど食べさせる相手の事を思って作るだろ?」
「うん…」
「俺だって店に来るお客様の事を思って作ったり、恋の事を考えながら料理を作ってる。だけど親父は違う。老舗料亭の『味』を守る事しか考えていないんだ。だから料理が美味くても、幸せだとは感じない。俺には恋の料理の方が美味いと思う」
「そうなんだ…」
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