三 後宮 <3> 混沌の天龍国

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三 後宮 <3> 混沌の天龍国

 ***    劉秀は日が暮れるのを待ってから、実家である沈家の屋敷に忍び込んでいた。もしまだ明るい時間帯に表から入っていったら、泰然に何を言われるか分からない。「よく戻ってきてくれた!」ならまだいいが、その前にクドクドと説教をされるはずだ。そんな時間はないのに。  しかし、屋敷の中には危惧していた兄の姿はなかった。異様なくらいがらんと静まり帰っている。以前劉秀がここで暮していた時は、屋敷に仕えている者がたくさんいてとてもにぎわっていたのに。不思議に思いながら、劉秀は父の書斎に向かう。  ここに、皇后暗殺の証拠が見つかればいいが……そう上手くはいかない。父の書斎には帳簿ばかりが山積みになっていた。劉秀はそのうちの一冊を開いた。最近の日付が記されている。 「金策が上手くいっていないのか?」  金のめぐりが悪いのか孟秀敏に吸い取られていってるのか分からないが、知らない間に実家は火の車になっていたようだ。劉秀がこの家を出る前は様々な商売をしては儲け、とても羽振りのいい一族だった。しかし、今やこのありさま。従者たちがいなくなったのも、給金が出せなくなり解雇せざるを得なかったからかもしれない。  この書斎には、それらしいものはなさそうだ。そもそも、皇后の暗殺を企てているのは沈家や孟家ではないかもしれない。後宮を探ってきた皓宇と情報をすり合わせて、孟家の疑いが強くなってから再び調べた方がいいのではないか。劉秀は立ち上がり、持っていた帳簿をその山の上に置く。 「う、うわっ」  雑な積み方をしたせいで、その山が一気に崩れていく。ドサドサッと崩れていく音が、静かな屋敷の中に響いていく。どうか誰にも聞こえていませんようにと祈りながら劉秀は帳簿を積みなおしていく。急いでいたので、順番なんて気にせず。 「……なんだ?」  同じ大きさに揃えられていた帳簿の山の中に、少し小さめな書物があった。それは少し古く、紙が日光に当たり黄ばんでいる。 「いつ頃のものだ?」  劉秀は深く考えず、それを開いた。そして、大きく息を飲む。 「これは……っ! 裏帳簿か!」  決して表に出せない金の流れが、細かく記されていた。どこから金を調達し、それがどこに流れていったのか。日付の新しい項には孟秀敏への裏金の記録が細かく記されている。 飛嵐が失墜した今、貴族としての威厳を取り戻そうとしているのか……孟氏へ多額の賄賂が送られている。市中の噂の通りだ、馬鹿にはできないな、と劉秀は肩を落とす。恥ずかしくて顔から火が吹き出そうだ。 「一体この金はどこから湧いてきているんだ?」  帳簿を遡っていく。出ていくばかりだった帳簿の中に、入ってきている金があった。それがどこから来たのか。同じように賄賂として沈家に流れてきたのか、汚い商売でもしているのか……劉秀は文字を追う。 「……え」  彼は言葉を失った。目を大きく見開き、怒りのあまり、手に持っていたその帳簿をぐしゃっと握りつぶしてしまう。額には冷たい汗が伝い、足が震え始める。 「これは……どういうことなんだ……」  震える体で書斎を出て、劉秀はよろよろと廊下を進んで父の姿を探した。扉を片っ端から開けていく。それを止める者は誰もいない、広い屋敷の中、劉秀がたった一人で怒りをあちこちにぶつけているようだった。  屋敷の中にはどこにもいない。劉秀は外に出て倉庫へ向かった。ほんのわずかな灯りが倉庫から漏れている。 「父上!」  大きな声と共に倉庫の扉を開ける。そこにはポツンと一人だけ男が座り込んでいた。劉秀の父だ。ゆっくりと振り返り、落ちくぼんだ目で劉秀を見る。しばらく会わないうちに、父はめっきり老け込んでいた。袖から見える手首は細く、首筋は痩せこけている。劉秀はそんな弱った姿に一瞬慄くが、ここまで来た時の勢いを逃さないよう帳簿を眼前に突き付けた。 「なんなんだよ、これ! この5年以上前の収入源は……どうして闇市場の商人から金が入っていきているんだよ! これじゃ、まるで……」  万家に着せられた罪を思い出す劉秀。皇帝陛下の至宝を盗み出し、闇市場で売りさばいていた罪。父は大きく息を吸ってから、こう答えた。 「今さらになって気づくとは。さすが、泰然の言う【出来損ないの息子】だな」 「否定しろよ!」  堪らず裏帳簿を地面に叩きつける。 「いつからだよ……こんな汚い商売なんてやってたのは!」 「見ればわかるだろう。もうずっとずっと前からだ。お前は、そんな汚い商売で儲けた金で育てられたんだよ」  一見すると、羽振りがいいように見えた沈家。しかし、現当主に商才はなかったようだ。新しい商売を見つけては手を出し、破綻させ、多額の損失を出していた。年々膨らんでいく赤字。それをどうにか返済しようと考えたのが、誰も興味を持っていなかった、皇帝陛下すらなくなってから意識するようになった宝物庫の宝を売りさばくことだった。  窃盗を始めた頃は良かった。借金を完済して、元手を作ってまた新しい商売を始める。そこで利益を出せたら、売りさばいた宝をなんとか買い戻そう。そんな絵空事ばかりを考えていたある日……その金回りの良さに目を付けた者がいた。孟秀敏だ。 「宝物庫に忍び込んでいたとき、嗅ぎつけた孟氏が現れたんだ。皇帝陛下にバラされたくはないだろう、と脅されて……」  孟秀敏は恐ろしい企みを口にする。何とかして、皇帝からも気に入られ、孟家のやり方に口を出す万家を政の中枢から追い出したい。バラされたくなければ自分に従え、共に万家を滅ぼそうと。もし皇帝の知るところとなれば、死罪は免れない。沈家は頷く他なかった。 「どうして万家を追放なんて……」 「あの方は正義感が強かったからな……孟氏の汚職を追求しようと、証拠集めをしていたらしい」  どう万家を追放するのか、その計画を沈家の者たちが聞くことはなかった。それよりも先に、宝物庫の宝がなくなっているということが皇帝陛下にバレてしまう。たまたま扉が開いていたせいで……背筋に冷たい汗が伝う。どう切り抜けようかと思案していた時、これ幸いと思った孟秀敏が内密に提案してきた。 「偽の証人連れてきて、万一族が闇で売りさばいったって皇帝陛下の前で嘘の証言を言わせるんだよ! これで万家は追放間違いなしだ!」  劉秀の父は、その恐ろしい案に乗った。自らの悪事がバレないよう、ただそのことしか考えてなかった。 「三大貴族の矜持はないのかよ! 皇帝陛下をお支えするのは本来の役目だろう?」 「そんなもの、もう知らん」 「陛下を裏切るような真似をして、万家を追放してまで……」 「そうでもしないと、この家を守ることができなかったんだ!」 「沈家の価値ってなんなんだよ!」  他の人間を死罪に追い込み、一族は都を追放され、幼馴染は苦界に落とされた。そこまでして守らなければいけない沈家の価値というものが、劉秀には理解できない。父は小さく笑う。 「お前はそういうと思っていたよ……三大貴族としての矜持とやらが残っているのはもうお前だけだからな」 「他にもこのことを知っている奴がいるのか……?」 「お前以外はみんな知っているよ。泰然なんか私が孟家に付き従っていることにすぐに気づいて、それを見つけ出したぞ。アイツはお前と比べて頭がいい」 「兄貴も知っていて告発もしなかったのかよ!」 「できるわけないだろう。罪を告白したら、どのような仕打ちを受けるか……このことを知った泰然は『沈家を守るために』と言って進んで協力した」  劉秀は放り投げた帳簿を拾う。これと今の話さえ皇帝陛下に告発したら、きっと正しく沈家の者たちは裁かれるだろう。 「俺は父上とも兄貴とも違う! 二人とも間違っている!」  帳簿を持って一目散に飛び出していく劉秀。彼の父はその背中を見送り、大きく息を吐いた。胸元から短刀を取り出し、鞘から抜き出す。灯りをまばゆく反射するその刃先を、首筋に通る太い血管に向けた。 「ここまで、か……」  自分の罪を裁くのは、皇帝ではなく自分だと決めていた。誰の手も煩わせず、自身で始末をつけるべきだ。もう限界だ……天龍国を長く支えていた沈家はその矜持すら失い、皇帝を蔑み、罪ばかりを犯し続けている。今この時だってそうだ。  息子たちに大罪人という罪を背負わせることを詫びながら、彼は刃を立てる。グッと強く押し込み、刃を手前に勢いよく引いた。  *** 「……ハァッハァッ」  劉秀は走って王宮に急ぐ。いつもお茶屋に扮して忍び込むときに使う扉に近づいた。王宮の周辺はしんと静まり返っている。好都合だ、孟氏の息がかかった者に捕まったら一巻の終わり。間違いなくこの帳簿を皇帝陛下に届けなければ。劉秀はそっと忍び込んだ。いつもなら多くの商人が行き来する通用口を通って、玉座を探してさらに奥へ向かう。高い塀も飛び越えているうちに、劉秀は気づかないまま皇帝と妃の住まい・後宮に忍び込んでいた。 「どこだ、ここ」  似たような扉が続く廊下。どう見てもそれらは玉座に向かう扉には見えない、きっともっと豪勢なはずだ。廊下の先から話し声か聞こえ、劉秀はとっさに柱の影に隠れる。声は劉秀が隠れた廊下にまで来ることなく、遠ざかっていく。そっと胸を撫でおろした時、真後ろにか細い息遣いが聞こえてきた。 「!?」  振り返る劉秀。そこにいたのは、思いがけない人物。 「公主様……?」 「あなた、見ない身なりだけど……どこの者?」  疑うような眼差しを劉秀に向ける春依。ここで彼女が叫びでもしたら、劉秀は一気に取り囲まれて捕まってしまう。逃げようか、と足を後ろに引いたとき――春依は劉秀の体に縋りついた。 「あなたが何者でも、この際関係ありません! どうか雨龍を、私たちをお救いください!」  上目遣いの春依。その目には涙が溢れ、今にも零れてしまいそうだった。公主の頼みを無下にすることはできない。それに、彼女が放った言葉があまりにも不穏すぎる。 「雨龍太子様に何が?」 「……こちらに来て。ついてから話します」  灯りを持った春依の先導で後宮の奥に進む劉秀。彼女の頭には金色のかんざしが刺さっていて、シャラシャラと音を立てて飾りが揺れている。 「ここです、ここを下りて」  地下に進む階段を下りるように指示される劉秀。代わりに灯りを受け取り、階段を下りる。 「ここは……?」  冷たい空気が外に向かって流れていく。その中には血生臭さも混じっていた。 「公主様、ここで何を?」 「ここに雨龍の薬があるのです。どうか手伝ってください、私だけでは……」  こんなところに薬があるようには思えないが……劉秀は先に地下に降り立つ。そこは牢だった。奥に目を凝らすと、ぼんやりと座り込む女の姿が目に飛び込んできた。灯りを向けると、劉秀は叫びだしていた。 「魅音! どうしてこんなところに!」 「劉秀! 後ろ!」  振り返る劉秀。彼に向かって、真っ黒な布を被る何者かが刃物を振り下ろそうとしていた。
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