三 後宮 <1> 皇后妃の懐妊

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 ***  張り切って稽古をしていた皓宇だが、すぐにぐったりと疲れ果ててしまった。剣技の弱さだけでもなく、体力がないのも問題だと朱亜は思う。休憩を提案した静はお茶を淹れに炊事場に向かう。朱亜は皓宇と二人きりになった。花街の座敷で二人きりになるよりも、明るい空の下の方が緊張しなくて済む、と考える朱亜。 「そういえば、皓宇、ここ最近もずっと調べていたけど……何か新しく分かったことってあるの?」  皓宇は相変わらず王宮に通い、過去の事件を調べていた。朱亜も付き添っていたけれど、まだ文字は読めないから、ただそばにいるだけである。 「あぁ……何か引っかかって、死因について調べていたんだ」 「死因? なんで急にそんなことを。どんな風に殺されていたかなんて関係ある?」  皓宇はにやりと口角を上げる。 「いや、とても面白いことが分かった」  彼は資料を広げる。何が書いてあるのかさっぱり分からない朱亜のために皓宇は読み上げてくれた。 「まずは初めの頃、花街の妓女が殺されたとき、殺害方法はすべて【刃物による刺殺】だった」  体を刺され、大量の血液を失ったことによって死に至ったのだろう。 「その後、市中で官吏が殺害されて以降はしばらく【毒物による薬殺】が続くんだ」 「殺しの方法が、変わっている……?」 「そうだ! 薬殺が数件続いた後、後宮に出入りしていた薬問屋が殺害された。そこからまた凶器が変わっていく」  事件が幾度か発生するたびに、コロコロと変わっていく殺害の方法。しかし、心臓が抜き取られていくことだけが共通していた。 「これって……もしかして、愉快犯とかいるんじゃない?」  殺害の方法が多岐にわたるならば、犯行のすべてが邪王復活を企てる者による犯行なのか疑わしくなってきた。朱亜のそんな疑問に、皓宇は首を横に振った。 「共通していることがある。心臓を抜き出す時に使われている短刀だよ」  事件が皇帝の知るところになって以降、なるべく医官による死体の検分が行われている。それを担当している医官の所見によるとすべての事件で【刃先が波打った短刀】が使われているようだ。朱亜は「なるほど」を頷く。 「ここ最近は……後宮や王宮内での事件が多かったが、あの晩以降は発生していない」 「もう【血命薬】がいらなくなったってこと?」 「それは分からない。必要なくなったのか、違う理由があるのか……」  やっぱり、あの時皓宇を襲った女官が死んでしまったのが惜しい。彼女が生きていたらもっとたくさんの情報を引き出すことができたのに、と朱亜は肩をすぼめる。 「後宮でも発生しているなら、そこに行って調べることはできないの? 女官だってそこで公主様のお付きをしていたんでしょ?」 「後宮にはそんな簡単に入ることはできないよ」 「そうなの? 皓宇でもダメ?」 「皇帝から許しが出れば可能かもしれないが……基本的には男子禁制。あそこに立ちいることができるのは女性か宦官、そして皇帝陛下のみと決まっている」 「かんがん?」  聞いたことのない言葉だ。朱亜が繰り返すと、皓宇は教えてくれた。とても言いづらそうだったけれど。 「子どもを残すことができないように、その……性器を全て切り落とす処置、去勢が行われた男たちのことだよ」 「ひえっ」  朱亜には『付いて』いないけれど、【それ】を切り落とす痛みを想像すると体がぞっと冷たくなった。 「後宮のお后様たちと、間違いが起きて子どもを作れないようにしているってわけね……。あれ? でも明豪は?」 「彼が去勢したかどうかは知らないが、どうやら子供を残すことはできないらしい。皇帝陛下がおっしゃっていたのだから間違いないはずだ」  だから自由に王宮の中を歩き回り、太子や公主とも親しげなのか。 「女か去勢した男しか入ることができないなら……よし! またウチが!」 「頼む、それだけはやめてくれ、朱亜」  拳を突き上げようとする朱亜の腕を皓宇は掴んだ。 「なに? まだ何も言ってないんだけど」 「また潜入すると言うのだろう? それはだめだ。朱亜に危険な事ばかり頼みたくはない」 「でも……」  それ以外でどうやって内情を調べたらいいのだろうか? 朱亜は掴まれたままの腕を見る。皓宇は少し掴んだ手を緩めて、今度は朱亜の手を握った。 「朱亜、少し気になっていたことがあるのだが……君はこの戦いが終わったらどうするんだ?」 「え?」 「この時代の邪王を討つことができたら……」  邪王城に乗り込む前、小鈴にも同じことを聞かれたのを思い出す。もうずっと前のことのようだ、と朱亜は振り返った。あの時は何も思いつかなかったけれど……朱亜は考えを巡らせる。 「邪王を討ったら、今度は魅音と協力して天龍の首飾りを見つけて」  それで……と続けようとしたけれど、朱亜はそれ以上口を開くことができなかった。皓宇が握っている手にわずかに力を込めて、その瞳が一瞬だけ曇る。  当たり前に、元の時代に戻って、故郷で幼馴染たちや家族と一緒に暮らすものだと思っていたし、周りからもそう望まれていると思っていた。でも、今、朱亜の『周り』にいるのは、彼女を救世主として崇めていた村の人々じゃない。この時代にやってきた朱亜と協力してくれる、唯一無二の相棒。彼も朱亜が何を考えているのか、手の温度から感じ取ったのかもしれない。 「朱亜がいなくなったら寂しくなるな」  包み隠さない彼の本音が、朱亜の心に染みわたる。そんなことを言われたら、自分だって寂しくなってしまうじゃないか。 「食事時を賑やかにしてくれる者も、剣の稽古をつけてくれる者もいなくなる」 「……うん」 「その前に、私は約束を果たす必要があるな」  朱亜は胸元に仕舞っているかんざしに手を当てた。花街から戻ってきてから付け毛はしていないため、かんざしを付ける場所がなくなってしまった。だから今は失くさないように大事に持ち歩いている、借り物のかんざし。 「うん……そうだね」  皓宇は笑みを見せるけれど、その笑顔は寂し気だった。そんな表情を見せられると、朱亜の胸もきゅっときしむように痛んだ。  ガサリ、と物音が聞こえた時皓宇は慌てて朱亜から手を離す。そして二人ともバッと勢いよく距離を取った。
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