一 王宮 <1> 金色の髪の皇子

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 ***  翌朝。朝日を浴びて、小鳥がさえずる。なんて穏やかな朝なのだろう。 「朱亜様、もうお目覚めですか?」  慣れない環境と枕のせいか、日の出と同時に目が覚めてしまった朱亜は、物音が聞こえる台所を覗いた。そこには朝食の支度を始めようとしていた静がいた。 「何か手伝うよ、静さん」 「いえいえ、朱亜様は皓宇様の大切な客人。お手を煩わせるわけにはいきません」 「でも、何もしないのも落ち着かないし。それに、タダで住まわせてもらってご飯だって食べられるんだから、少しくらい手伝わないと!」  朱亜はさらに「手伝わせてよ!」と強く念を押す。静は折れ、桶を朱亜に渡した。 「これで、そこにある瓶に水を貯めてくださいますか? 井戸はここを出てすぐのところにありますから」 「はーい」  静が言ったとおり井戸はすぐそばにあった。敷地内に井戸があって、いつでも透き通った水が汲める。なんて恵まれた環境なのだろう、と瓶に水を貯めながら考えた。皓宇が羨ましい。何往復もしていると、劉秀が静に尻を叩かれながら外に出てきた。 「ほら、見なさい! 朱亜様は早起きして手伝ってくださるというのに、なんですかアンタのこの体たらくは!」 「痛いって、分かったから」 「ほら、早く馬に餌をあげてきなさい」  朱亜にだらしないところを見られて、劉秀はバツが悪そうだ。そそくさといなくなっていく。劉秀が姿を消した方向から馬の鳴き声が聞こえてきた、朝ごはんを待っていたに違いない。  台所に戻る。鶏の骨や野菜から取った出汁で粥を炊いている。朱亜が「おいしそう」と覗き込んでいると、皓宇が起きてきた。 「おはよう、朱亜。ずいぶん早起きなんだな」  皓宇はまだ少し眠たそうだ。 「おはよう、皓宇」 「おはようございます、皓宇様」  静は皓宇が顔を洗うための水の用意を始める。朱亜はその間、粥が焦げ付かないように鍋を見張る。皓宇がすぐに身支度を終えて、朱亜に近づいてきた。 「朱亜、頼みがあるんだ。劉秀に妖獣の倒し方について指南してくれないか?」 「ウチはいいけど……」 「はぁあっ!」  馬の世話を終えた劉秀が戻ってきた。朱亜はいいけれど、劉秀は朱亜から何かを教わるのは嫌がった。反抗しようとしたが、静に頭を叩かれる。 「なんでコイツなんかに! いてっ!」 「お前は皓宇様の護衛でしょう! それくらいできるようになって、役立ちなさい」  皓宇の言葉には逆らうのに静の言うことには従うらしい。渋々と頷く。 「じゃあ、朝ごはんを食べたら早速稽古しようか。皓宇は?」 「私は王宮に行くよ。昨晩聞いた妖獣の倒し方について、皇帝陛下にもお話しなければ」  皓宇は素早く朝食を平らげて、迎えに来た馬車に乗って行ってしまった。取り残された劉秀はとてもいやそうな顔をしている。 「劉秀ってどれくらい強いの? ウチより強い?」 「はあ? 当たり前だろう? 俺は兄貴より剣術の腕は上だったぞ」 「じゃあ、先にウチと腕試ししようよ。まずは劉秀がどれくらい強いのか知って、それから妖獣の倒し方の練習しよう」  静が用意してくれた木刀を手にして向かい合う二人。劉秀が「これを機にボコボコにして追い出してやろう」と企んでいるのが目を見ただけで分かる。確かに、体格も大きい劉秀の方が有利に見える。けれど、朱亜は負ける気がしない。  劉秀が大きく振りかぶって朱亜に襲い掛かる。朱亜は後ろ脚で蹴って彼の懐の中に飛び込んだ。驚く劉秀の腕を掴み、足を引っかけてひょいっといとも簡単に転ばせていた。 「朱亜様、お見事!」  木刀の剣先を劉秀の喉元に突き付けると、拍手の音が聞こえてきた。静が様子を見に来ていたらしい。 「さすが皓宇様を助けてくださった方、こんなにもお強いとは」 「いや、今のは反則だろう! コイツは俺を引っかけて転ばせただけだ」 「でも勝ったのはウチでしょ? 相手は妖獣だよ、人間じゃない。どんな方法でも、倒してしまえば勝ちなの」  劉秀は口ごもる。 「劉秀も剣の筋はいいんじゃない? まあ、ウチの幼馴染たちほどじゃないけど」 「……そんなお前でも邪王は倒せなかったんだろ?」 「うん」  大きく息を吐く劉秀。邪王を倒すには、コイツ以上強くならないとダメだということに気付いたようだ。そして、朱亜のことを舐めていたこともほんの少しだけ反省する。だからと言って、不審人物であることには変わりないが。 「よし、まだやるぞ。昼までにお前から一本奪ってやる」 「おぉ! いいじゃん、やろう!」  太陽が高く昇っていく。その間までに、劉秀が一本取れることはなかった。静が用意してくれた昼食の饅頭を並んで食べていると、宮の外から馬の足音が聞こえてきた。皓宇が帰ってきたのかと思った。けれど違う様子。静に連れられてやってきたのは王宮の官吏だった。上下真っ黒な衣装に身を包み、恭しく頭を下げる。 「あなたが皇子殿下のおっしゃる、妖獣を倒す術を知っている方ですか?」 「は、はい……そうだけど」 「殿下より伝言がございます。どうか皇帝陛下の前にてその腕を披露してほしい、と」  朱亜は劉秀を見る。彼は「行ってこい」と言わんばかりに頷いている。 「ちょっと付いてきてよ、劉秀」 「なんでだよ」 「怖いじゃん、一人で行きたくないよ!」  言い争いが始まりそうになったとき、官吏が咳ばらいをする。 「(シェン)劉秀も共に、とのことです。どうぞ」 「……承知しました。その前に、お前は着替えた方がいい、朱亜。その服では皇帝陛下に失礼だ」  朱亜は劉秀のちょっといい服を借りる。急かされながら劉秀と馬車に乗り、あっという間に王宮に辿り着いた。 「……邪王城と全然違う」    邪王城と王宮。それは同じ場所にあった。けれど、あの時死体の兵士が蔓延っていた門の前には、精悍な顔つきの兵士たちが周囲を見張っている。その数は朱亜が多すぎるんじゃないかと思うほど。官吏の言葉に門が開くと、大理石でできた道が宮殿に続いている。その先に皓宇が待っていた。あの頭巾はここでは被らないようで、あの髪色はとても目立った。 「すまない、朱亜。皇帝陛下に話をしたところ、本当なのかご自分の目で確かめたいとおっしゃって」  今、捕らえられていた妖獣が庭にいるとのこと。皇帝の前で自らの腕を見せるなんて緊張するな、と朱亜は思う。しかし、皓宇はさらに口を開いた。 「話をしたら、皇帝一族全員がご覧になりたいとのことだ。いいか? 朱亜」  そんな見世物のようになるとは思わなかった。緊張よりも強い羞恥心が身を包む。けれど協力すると約束した手前、断るわけにもいかない。朱亜はぎこちなく「いいよ」と答える。 「準備しているから少し待っていてくれ。劉秀、朱亜についていてほしい」  朱亜の手綱を任された劉秀は胸を張る。皓宇の背を見送ってから、朱亜は気になっていたことを聞いた。 「皇帝一族って何人くらいいるの? 皓宇とはどんな関係?」  相変わらず無礼な言い方である。劉秀はそれを注意してから説明してくれた。皇帝陛下の前で朱亜が粗相をしてしまえば、その責は皓宇が背負うことになってしまうから、少しでも無礼のないよう躾けておかなければ。 「皇帝陛下――颯龍(ソンロン)様は、皓宇様の兄帝であらせられる」  天龍国を治める皇帝・颯龍。朱亜にとっては天龍国最後の皇帝でもあるため、名前は何となく聞いたことがあるような気がする。  颯龍には妃が2人いる。隣国から外交のために嫁いできた皇后・香玲(シャンレイ)。この国一番の貴族(モン)家に名を連ねる貴妃・美花(ミンファ)。子も2人いて、香玲妃のもとには春依(シュンイー)公主。美花妃のもとには雨龍(ウーロン)太子をそれぞれもうけている。 「ただ、香玲妃はご懐妊であるという噂がある。くれぐれも驚かせたり、腹の子に障るような真似だけはやめてくれ。久しぶりの御子なんだ」  雨龍が生まれて以降、不幸が続き颯龍に子は恵まれなかった。中には呪われていると噂する者もいる。その噂がまことしやかに囁かれるようになったのは今からおよそ5年ほど前、太子・雨龍が倒れてしまった頃からだった。雨龍は元々病弱だったが、悪い病にかかったのかはたまた本当に呪われたのか、一時は意識がなくなるほど重篤な状態に陥った。何とか一命をとりとめたけれど本調子とは言えず、周りはとても気を張り詰めている。 「わかった!」 「お前、本当にわかったのか?」 「大丈夫だって。とりあえず、ちゃちゃっと妖獣を倒すところを見せたらいいんでしょ?」  朱亜は庭を覗き込む。広い庭には玉座が組まれ、宰相たちが並んでいる。その端っこに、やけに小柄な男がいた。こちらをじろじろと見ている。その視線が孕むのは劉秀が朱亜を見る時のような不信感ではなく、どこか浮足立ったような子供のようなものに近い。こんな距離から自分が見えるのだろうか? 朱亜が首を傾げると、皓宇が呼びに来た。 「朱亜、出番だ」 「……はーい!」  劉秀はハラハラと朱亜を見送る。朱亜に刀を渡した皓宇はそっと耳打ちする。 「朱亜は何もしゃべらなくて大丈夫だ。だから、昨日のように妖獣を狩ってほしい」 「うん!」 「頼んだ」  皓宇に頼られると悪い気がしない。先を歩く皓宇が立ち止まり礼をするので、朱亜も同じように頭を下げた。 「皇帝陛下。この者が妖獣を倒す術を知る者でございます」  見えないけれど、颯龍は頷いているらしい。宰相の1人の「妖獣を放て」という掛け声に周囲がざわめいていく。皓宇も安全な場所まで離れたのを確認して、妖獣が捕らえられていた檻が開かれる。  その中から、瘦せこけた妖獣が足を引きずりながら現れた。邪王城にいたものより、昨日倒したものよりずっと弱そうだ。しかし玉座からは女性の悲鳴が聞こえてくる。みな、この化け物に怯えているようだった。  朱亜は刀を抜く。妖獣のよろめいた脚が駆け出し、朱亜に向かってくる。朱亜は飛び上がり、空中で身をよじり一回転半して着地する。朱亜を見失った妖獣は、彼女にとって隙だらけな獣。まずはこれ以上逃げないように脚の腱を切る。また悲鳴だ。嫌なら見に来なければいいのに、と思いながら朱亜は再び飛び上がり、今度はその細い角を狙った。陶器が割れるような音が、一瞬だけ静まり返った王宮に響く。妖獣はうめくこともなく、その場に倒れ絶命した。  朱亜はようやっと玉座を見る。すると、中央に座る皇帝がわずかに震えているのに気づいた。まさか何か粗相を!? と朱亜は一瞬不安になる。
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