一 王宮 <1> 金色の髪の皇子

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「素晴らしい!」  皇帝の喜ぶ声に朱亜は胸を撫でおろした。皇帝の左隣に座る少しふくよかな女性は気分が悪いのか口元を押さえ、右隣に座る女性は少年の肩を抱いていた。ふくよかな女性が皇后なのかもしれない。身に着けているかんざしも着ている服も、右隣の女性よりも豪勢で派手だ。貴妃と思しき女性も、朱亜から見たら十分派手だけど、皇后と比較すると控えめである。 「皆も見たか! いや、角を壊すだけとは今まで全く気が付かなった。早くこの話を兵に伝えよ。そして討伐に向かわせるのだ」 「しかし、皇帝陛下」  宰相の1人が頭を下げる。 「妖獣討伐に兵を割けば、王宮の警備が手薄になり……皇帝陛下にも危険が及ぶかもしれません。あの事件が解決するまでは……」  颯龍は口元のひげを撫でつける。 「そうだな……分かった。お主、朱亜と言ったな」  答えようか朱亜が戸惑ったとき、皓宇がすかさず「左様にございます」と答えてくれた。 「後ほど褒美を遣わそう。皓宇、少し話がある。お前は私についてこい」 「承知いたしました」  皓宇は朱亜の肩に触れ「後ほど」と小さく告げた後、足早に去ってしまった。朱亜が庭の真ん中に取り残されている間に皇帝一族は席を立ち、片づけが進んでいく。妖獣の死体は誰も触れたくないのか、取り残されていた。 「無事に済んで良かった」 「劉秀!」 「全く、ヒヤヒヤしたぜ。殿下の用事が終わるまで、俺たちもどこかで待たせてもらおうぜ」  劉秀は一歩歩き出すが、すぐに足を止めてしまった。視線の先から、先ほど皇帝に進言していた宰相が現れる。 「これは沈家の落ちこぼれ殿」 「……孟秀敏(モン シウミン)」  たっぷりとした口ひげ、恰幅のいい腹。劉秀より背が低いのに、その視線はまるで見下しているようだった。後ろに控える若い男二人も、同じような視線で劉秀を見ている。朱亜は「あれ?」とあることに気付く。控える若い男のうち一人が、どことなく劉秀に似ているような? 「あの皇子殿下も涙ぐましい無駄な努力を続けていらっしゃいますなぁ」  あの苛立たしい視線が朱亜にも向く。 「このような野蛮人を皇帝陛下に引き合わせるなんて。陛下に取り入るためとはいえ、側室の子で王位継承権も持たず利用のし甲斐もない、異邦人との間にできた異形の皇子様のすることは恐ろしい」 「ちょっとアンタ!」  朱亜は怒りを見せる。自分のことを「野蛮人」と呼ばれるのは別にいい。けれど、この世界の恩人でもある皓宇のことを悪く言うのは許せない! 朱亜の手が腰から下げている刀に向かいそうなのを見て、劉秀は慌てて朱亜を羽交い絞めにした。 「すぐ暴力に訴えようとするなんて恐ろしい! なあ、飛嵐(フェイラン)泰然(タイラン)」 「秀敏様、早く参りましょう。これ以上沈家の落ちこぼれや野蛮人と話すのは時間の無駄でございます」 「おぉ、そうだな飛嵐」  嫌味を言うだけ言って、秀敏は去っていく。後ろについていた若い男・泰然が、とても小さな声で劉秀に耳打ちしていく。 「いい加減孟家に仕えろ。沈家のためだ」 「絶対に嫌だね」  劉秀の返事を聞いて、泰然は舌打ちをする。三人の姿が見えなくなってから、ようやっと朱亜は自由になった。 「あの劉秀そっくりな人って、もしかしてあんたの兄貴?」 「そうだ」 「ふーん。そっくりだけど、あんたの方が男前かもね。それにしても、ずいぶん嫌な奴! あの秀敏とかいう男! 何者なの?」 「お前も見ていただろう? 政を司る宰相の1人。この国一番の貴族だ。元は三大貴族とも言われていたが、そのうち一つは失墜、我が沈家は孟家に媚びへつらい、孟家が幅を利かせているのがこの王宮だ」 「劉秀も貴族なの?!」  全然そんな風に見えない! と朱亜が付け足すと劉秀は彼女の頭を叩いた。 「父がどこからか湧いてくるのか湯水のように金をつかい、孟秀敏に貢ぐようになってしまった。原因は知らん……でも、俺はそれが嫌で家を出た。だからもう貴族ではない」 「だから皓宇のところにいるんだ」 「そうだ」  早くここを離れないと、また秀敏に絡まれて嫌味を言われかねない。一度王宮の中に入ると、待ち構えていたのか少女と少年が立ちはだかった。 「雨龍太子殿下、春依公主殿下」  劉秀は慌てた様子で頭を下げる。朱亜も続いた。そういえば、この二人もあの玉座に座っていたような気がする。 「皓宇叔父様の護衛の者ですね。2人とも、頭を上げなさい」  鈴を鳴らしたような軽やかな声。顔を上げると、春依と呼ばれる公主が微笑んでいた。その後ろには、春依の陰に隠れもじもじと照れくさそうな太子・雨龍がいる。共に10代前半のように見える。 「先ほど、あなたのお手並みを見ました。まるで舞のような華麗な手さばきに、我が弟・雨龍は大変感激しています。ねぇ、雨龍」  春依の呼びかけに雨龍は小さく頷く。その言葉に偽りはないようで、視線はまっすぐ朱亜の方に向いている。 「それで思ったのだけど、あなた、雨龍の護衛にならない?」 「え?」 「もちろん、給金はたんまり差し上げます。叔父様のところにいるよりも生活は豊かになるわよ。そんな合わない服を着なければいけないなんて、あなた、貧しくて仕方なくあそこにいるのでしょう?」  朱亜は首を横に振る。 「いや、いいです」 「あら? お金だけじゃ足りない?」 「そういうわけじゃなくて、ウチ、皓宇と約束してるから」 「……約束?」  春依のまなざしが鋭くなる。あまりの朱亜の不敬な態度にいら立ちを覚えているのかもしれない。劉秀はとっさに口を塞ごうとしたとき、王宮の中が急に騒がしくなった。 「おい! また【アレ】だ!」  兵士の叫び声が聞こえてくる。春依は雨龍を抱きしめる。【アレ】というものがどれほど恐ろしいのかわからないけれど、彼はとても怯えていた。 「またあの死体か?」 「あぁ、女官が殺されていたらしい。こっちだ!」  劉秀は眉をひそめた。朱亜が何が起きているのか聞こうとしたとき、焦った様子の女官と、先ほど玉座の端っこにいた小柄な男が近づいていた。 「太子様、公主様。ここは危険でございます!」  男は春依の背中に手を添えるが、視線は朱亜に向いている。 「お早くお戻りくださいませ。太子様は私が……」  雨龍の肩を抱こうとした女官の手を春依がひっぱたく。女官は怯えるような表情で春依を見つめる。 「そのような汚らわしい手で雨龍に触れないで! この子は、私が東宮殿まで送ります」 「しかし……」 「他の者に雨龍は任せられません。ほら、行きましょう雨龍」  春依に添われ、雨龍も歩き出す。最後に振り返って、朱亜に向かって手を振ってくれた。朱亜も手を振り返そうとしたけれど、劉秀はそれを止める。女官と小柄な男もそのあとに続こうとするが……。 (何? アイツ)  最後に朱亜に向かってにっこりと微笑んでいく。気味が悪くて全身に鳥肌が立ってしまった。 「ねぇ、何なのアイツ。気色悪い」 「明豪(ミンハオ)の事か? あれは後宮に暮らす胡散臭い占術士だ、気にしなくていい」 「ふーん……ところで【アレ】って何のことなの?」  女官の死体が見つかった、とも叫んでいたような気がする。劉秀に尋ねると彼はこう教えてくれた。 「心臓がくり抜かれた死体が見つかったんだろう。5年ほど前から、この国で連続して起きている怪事件だ」
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