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魂修復士
翌日から、月霞は朝早く起床し、ハンナに二人分のお弁当を作って貰い、自然創造課に出勤するようになった。
ここ最近は、保存食のようなビスケットしか口にしていないとシズクから聞かされ、栄養状態が心配になった月霞は、ハンナに頼み込んでお弁当を作って貰うことにしたのだ。
煮沸が終わった水を、白の世界に繋がる漏斗に注ぎ終わったところで、シズクとお弁当を広げる。
シズクは、すぐにハンナの料理のファンになり、美味しい美味しいと嬉しそうに手作り弁当を頬張っていた。
朝早くから、月霞が帰宅する夜遅くまで、少しでも溜まった仕事を減らそうと、二人は単純作業ではあるが、根気と体力が必要な仕事をこなし続けた。
しかし一向にコンテナに溜められた水は減らない。
シズクは不満も漏らさずに、せっせと働き続けている。
月霞も、シズクの助けになるべく、一心不乱に水の精製作業に没頭した。
シズクが仮眠を摂るタイミングで、シェアハウスに帰宅した月霞を、風呂上がりの死神が迎えた。
後ろ頭にいつも通り銀髪を纏めていたのだが、濡れた後れ毛が細い首筋に貼り付いている様が、何とも色っぽく、月霞は早鐘を打つ鼓動を必死に紛らわした。
死神は、ハンナに頼まれたと言いつつ、月霞のために夕飯を温めてくれる。
リビングの灯りは落とされ、半人前たちは皆眠りについていた。
「ずいぶん遅くまで、毎日頑張ってるな」
唐揚げを頬張っている月霞の向かいに腰掛けつつ、自分も相変わらず多忙で、夜遅くまで帰らない大夢が、自分で淹れた珈琲を飲みながら、感心したように言った。
「疲れるけど、柔らかいベッドで寝られる私は、シズクちゃんより恵まれて居ると思います。
申し訳ないくらいに。
あの子の負担を少しでも軽く出来るように、今は私が出来る限り力になってあげたいんです」
「労働意欲が旺盛だな。
お前は半人前ではないんだから、そこまで身を粉にして働く必要もないだろう」
ぱさ、と死神が髪を解く。
解放された長い銀髪が背中に流れてシャンプーの香りが月霞にまで届いて来る。
清潔なその匂いに、月霞は何故か赤面して、直視出来ずに、死神から目を逸らした。
「そうですけど……。
私、この世界に来て、気付いたことが多いんです。
当たり前だと思っていたことの全てが、半人前たちに支えられていて、私はそれに気付かないで、感謝もしないで生きて来た……。
当然だと思って享受して来たものの裏に、誰かの努力とか、もっと言ってしまえば、犠牲とかが在って初めて成り立つ現実が在るんだって」
「ほう、成長したな、それで、うちにはいつ来てくれる?」
「うち?」
月霞が不思議そうに首を傾げると、湯気の立つ珈琲を啜った大夢が、自分を指差す。
「死神庁にだ」
「死神庁……?
大夢さんと初めて会ったあの建物、死神庁って言うんですか?
受け付けの人以外、誰も居なかったですよね?」
「あの時は、全員、取り調べ室に居たか、量刑を決めるために自分の部屋に籠もっていたんだ。
普段は騒がしくて、常に人手が足りない。
最後の抵抗に暴れる罪人なんか来た日には、仕事に支障が出て残業三昧だ」
「他の場所は『課』ですよね。
死神だけ『庁』なんですね」
「黒の世界の始祖は死神だからな。
他の仕事は、死神から派生して行った。
死神庁は、いわば、黒の世界の最高指導部とも言える」
「へえ。そうなんですか。
大夢さんは、由緒正しき仕事に就いてるんですね」
「まあ、扱ってるのが神剣だからな」
「神剣?」
「罪人の体から、魂を取り出す時に使う神器のことだ。
短剣みたいな形状をしている」
「へえ、漫画とかアニメみたいですね。
死神さんって、凄く忙しそうですけど、何人くらい居るんですか?」
「大体二十人かそこらだな。
その人数で、審判を担えって言うんだから、この世界を作った奴は鬼畜だな。
死神だって普通の人間だ、過労でぶっ倒れる奴だって出て来るってのに、人員はいつまで経っても増員されない。嘆かわしいことだ」
渋い顔をして、大夢が珈琲を啜る。
月霞の食事が終わったと見るや、湯気の立つカップを差し出してくれた。
「ミルクティーだ。
疲れた体に沁みるだろう」
死神の細やかな気遣いに礼を述べつつ、口を付けると、優しい甘さの温かなミルクティーが、月霞の体に浸透して行く。
ほう、と息を吐くと笑顔になっている自分に気付いた。
安心しているのだとわかった。
死神が居る当たり前の日常。
穏やかなお茶の時間。
何より大切な、心休まる大夢とお喋り出来る憩いの時間。
いつからか、月霞は、一日の終わりに訪れる、このたった一時間にも満たない時間のために、納得出来るまで働こうと思うようになっていた。
大夢に、成長した自分を見て欲しい。
恥ずかしくなく、これが自分です、と、言えるようになるまで仕事を頑張って、一人前になって、一点の曇りもない言ノ葉月霞を見て欲しいと思うようになっていた。
誰かに誇れる自分で居たい。
その思いは、純粋にシズクを助けたいという気持ちに変わり、仕事を頑張るモチベーションにも繋がった。
白の世界では味わったことのない達成感と充実感。
白の世界に生きていた頃は、自分で自分を褒めても良いんじゃないか、なんて微塵も考えたこともなかった。
自分が嫌いで、何も成すことの出来ない出来損ないなのだと思って、疑わなかった。
でも、黒の世界に来てからの自分は、昔の自分が見たら、ちょっと驚くくらいあらゆることにチャレンジして、自分を肯定しかけている。
すぐに調子に乗れず、『しかけている』というのが、如何にも自分らしいといえば、らしい。
自分は、何処まで行ってもネガティブ思考から抜け出せず、もしかしたら理想が高いのかも知れないと、最近思い始めている。
何もせずに理想だけは高いのだから、自分に自信が持てず、いつまで経っても満足出来ないのも、無理はない。
でも、月霞の心は確かに、自分を肯定する方向に傾いている。
それは、喜ばしい変化といえた。
「ほら、飲んだら風呂行って来い。
明日も早いんだろ?」
かちゃかちゃと、食器をシンクに運びながら死神が、ぶっきらぼうにお茶の時間の終わりを告げる。
「あ、洗います」
月霞が立ち上がろうとすると、振り向いた死神がにやりと唇を歪めて笑う。
「箱入り娘より、俺がやった方が早い。
それくらい知ってるだろ」
ぐ、と悔しそうに月霞が喉を詰まらせる。
取り落としたり、食器同士をぶつけ合ったり、今まで一枚も皿を割らなかったことが不思議な程、月霞は食器洗いが得意ではない。
ハンナの手伝いで食器洗いをする度、盛大な音をさせているのを、大夢も知っているのだ。
「う……ありがとうございます」
素直に敗北を認め、すごすごと引き下がった月霞は勧められた通り、風呂に向かったのであった。
シズクとともに、勤勉に働くこと、二週間。
水を煮沸している間に、弁当を広げ、完成した綺麗な水を白の世界へと供給し、声を掛け合って、ポリタンクの水を水槽に移す。
黙々と作業を続けていた月霞とシズクの間には、苦労を共にする、確かな仲間意識のようなものが芽生えて居た。
シズクは子供らしい無邪気さで、月霞に懐いていたし、初めてこの部屋に訪れた時に漂っていた、絶望すら感じさせる暗鬱な空気は、溜まった仕事の量にさしたる変化はもたらさなかったものの、確かに明るい方へ変化していた。
それを肌で感じているから、シズクも笑顔を絶やさない。
過酷な労働の中に在っても、二人の精神は環境に負けることはなかった。
そして、唐突に、月霞は自然創造課での仕事の終わりを、ネネから知らされた。
自然創造課に派遣出来る半人前を二人、確保出来たと、ネネは話した。
シズクと別れるのは残念だったが、自分より有能な半人前たちがシズクの負担を軽減してくれるなら、それはそれで望ましいと、月霞は一抹の安心と、スプーン一杯の寂しさを味わっていた。
「自然創造課も大変だったでしょう。
暫くゆっくりすると良いわ。
でね、月霞さん」
ネネが桜色の唇を人差し指でなぞる。
いつも見せるネネの癖は、妖艶な雰囲気を増大させる。
同性の月霞ですら、ネネが纏う色っぽい空気に、魅入ってしまう程だ。
「次に働く部署なんだけどね……」
意味深に一呼吸置くと、ネネは微笑みながら告げた。
「わたしの工房の手伝いをお願い出来ないかしら」
月霞は、工房内を見回す。
広い工房にも関わらず、訪れる度に、水晶玉──魂が増えている気がする。
水晶玉といっても、占いの館なんかで使われるような、丸い形状のものはごく稀だ。
ほとんどは、大小様々で、形も歪んでいる。
どうも最近、それら溜まって行く魂そっちのけで、ネネはひとつの水晶玉を仕上げるのに掛かり切りのようだ。
猫の手すら借りたい、とネネが月霞に協力を求めるのも無理からぬ話かもしれない。
「わかりました、じゃあ、明日から、此処に来ます」
了承した旨をすぐさま伝えると、即答した月霞にネネは目を丸くする。
「月霞さん、休んで良いのよ?
あなたは半人前ではないのだから」
大夢にも同じようなことを言われたなと思いながら、月霞は首を横に振った。
「働きたいんです、私。
私が役に立つなら、何処ででも。
……あ、天体課は、もう無理ですけど」
月霞の台詞に苦笑いを浮かべながら、ネネは頷いた。
「すっかりワーカーホリックね。
頼もしいやら心配やら。
前にも言ったけど、無理は絶対にしないこと。
辛かったらいつでも辞めて構わないのよ。
誰も文句は言わないわ。
誰が見ても、あなたは頑張っているんだから」
「はい、ありがとうございます。
ネネさんにはお世話になってますし、是非お礼として、お仕事の手伝いをします」
「そう……。
それは助かるけど。
まだあなたの魂を白の世界に帰せる方法が見付からなくて、本当にごめんなさい」
月霞はかぶりを振った。
正直、仕事に没頭し過ぎて、白の世界へ帰る方法が見付かって居ないという懸案の存在すら忘れて居た。
今はただ無心に、自分を成長させることにだけ心が向いていた。
「大丈夫です。
ネネさんの仕事に支障のない範囲で、帰る方法を探して貰えれば、私はそれで」
「わかったわ。
じゃあ、月霞さん、明日からお願いね」
ネネが折れる形で、月霞の次の就職先が決まった。
月霞は、足取りも軽く家路に着いた。
水晶玉──魂から、其処に刻まれた『罪』を取り除く。
水晶玉に刻まれた『罪』は、黒ずんでいて、傷が付いていたり、触るとざらざらする。
罪を取り除くため、磨くだけではなく、黒ずんだ部分を割ったり、削ったりして、魂に刻まれた罪を排除して行く。
小さくなった魂と、同じ濃度まで罪をなくした別の魂を継ぎ接ぎして、ひとつのまっさらな魂にすることもあった。
魂を修復するための技術は、幾通りも在った。
ネネは惜しみなく、魂修復の技術を教えてくれた。
ネネの仕事を減らす手伝いをするため、月霞は貪欲に知識を吸収して行った。
月霞が順調に技術を習得する傍ら、ネネは、アイスピックのような鋭い先端を持つ水晶を創る作業に明け暮れていた。
何に使うために、武器のような物体を創っているのか、疑問は在ったが、ネネに聞くことはしなかった。
やがてそれは、刃、短剣と言って差し支えないほど、鋭利な物体に成って行った。
その頃には、月霞も好奇心を抑え切れず、ついにネネに聞いてしまった。
「あの、前から聞こうと思ってたんですけど、ネネさんは何を創ってるんですか?」
すると、ネネはいつもの柔らかい微笑みの中に微かな憂いを含みながら、月霞の質問には答えなかった。
「月霞さんにも、わかる時が来るわ。
今はまだ、わたしの技術が未熟なせいで、完成にはあと少し時間が必要なの。
だから、月霞さん、もう少し待っていてね」
言葉は柔らかいものだったが、質問の本質に答える気はない、そんな強い意志がネネからは感じ取れた。
それ以来、月霞がこの話題に触れることはなかった。
ネネの工房に通うようになってから、半月程が過ぎた。
一対一で指導された結果、月霞の魂修復術は、ネネが太鼓判を押す程、上達していた。
ネネはお墨付きをくれたが、月霞としては、技術がネネに追い付いているとは思えなかった。
高評価は嬉しいが、まだまだ師匠のネネの足元にも及ばないだろうというのが、正直な感想だった。
ネネが長い年月掛けて積んできた技術を、一朝一夕で習得出来るとは、月霞も、ネネだって考えて居ないだろう。
ネネが、心配なく仕事の手伝いを任せられるくらいの存在になりたい、というのが月霞の当面の目標だった。
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