「優先すべき事項」

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  「妻が還ってきました」 担当する男性“I”は相談の席で、そう答えた。福祉相談員“Y”の体験である。     10年前、彼女は被災地域に支援スタッフとして派遣された。 災害から半年後の現地で、災害ストレスを抱えた人達の、心のケアが仕事。震災により、妻を失ったIは、娘と仮設住宅暮らし… 亡くなる直前、夢中で掴み、そこだけが引き千切れた一房の毛髪の前で項垂れる姿は覚えている。 朗らかな彼に安心する。恐らく妄想だろうが、どんな事でも、回復の糸口になればと思った。 その頃から仮設住宅地では、妙な噂が蔓延り始める。 「Iさんの部屋から女性の笑い声がする」 「腐臭、後、変な女、見た」 「本人は“奥さん”って言ってるけど、あの人のところはその…」 心霊絡みと推測された。しかし、当時も今も、この手の話は絶えない。 酷い災害だった。本当に… Yは視た訳ではないが、家族を失った者達の強い想い、突然奪われた命は残るモノ…と思う。 だから、Iが室外機に妙な祭壇を作ったと聞いても、それが心の支え… いや、失った者が本当に還ってくるなら、良い事だと思ったと言う…  終わらせたのは、娘の一言だった… 夜遅くに1人で相談所に来た未就学の少女が口を開いた第一声… “お母さんのオバケをなくして” 話を聞けば、人の形を保ってはいるが、グズグズで、目だけは自分を常に睨み、虫だらけの口で不明瞭な声を上げる母親だったモノに付き纏われている(拙い言葉から聞き出した内容を要約した) お父さんは喜ぶが、自分は、もう限界… 目に涙を溜め、話す少女… Yは、以前読んだ本を思い出す。死者を生蘇らせるが、期待したモノとは違う悪霊が来る話… 自身の考えを踏まえた言葉は、娘の泣き声に遮られた。 「違う。アレは私のお母さん。間違いない!だって、あの目は… あの目は!!おっきな波来た時、あたし突き飛ばして、お父さんに…お父さんに “また作ればいい” って言った時の目と同じだもん!」 泣き崩れる少女を他のスタッフに任せ、仮設住宅に向かう。真っ暗な窓でIと何かの…例えるなら、歯茎が崩れて喋る女性の声が響く部屋の外… 茶色に腐った毛髪、何処から集めたのかも、わからない爪、骨片だらけの神棚を、瓦礫の中で燃やした。 彼の部屋から絶叫が聞こえ、全てが終わった…  Iは入院し、娘は施設に預けられた。今でも、手紙のやり取りがあるそうだ。最後に自身がとった行動について、彼女は語る。 「“これから”がない方とある方、優先すべき事項を考え、行動しました。それが私の仕事です」 強い瞳に迷いはなかった…(終)
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