ノイズ

5/5
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
「いやあ、凄かったです! ハマり役でしたよ、トワさん!」  本公演に向けた集客が終わり、すっかり無人となったエントランスルームで絢香が興奮気味にそう言った。特殊メイクを施していたトワは、少し照れ臭そうにキャビネットの木目へ視線を落とす。 「まさか見られていたとは……あの演技、結構勇気いるのに」 「何言ってるんですか。滅茶苦茶ピッタリでしたよっ。録画して工場長にもお見せしたいぐらいでした!」 「それはあまり宜しくないというか……しかし、不思議と清々しい気分なのは確かです」  言いながら、トワは目線を上げる。要因は判らないものの、いつにも増して自然に笑顔を浮かべられている感覚に浸れた。  あらゆる技術を結集させたエンターテインメント事業──観点を変えてみようと提案した絢香が最初に持ち出してきたその案件は、情報処理を生業としていたトワにとって想像だにしない世界だった。  しかし、いざ踏み込んでみると、途端に今まで殻に籠っていた真の自分が産声を上げたかのような衝撃が全身を迸った。己の新たな才能の開花──根拠のない戯言だと考えていた現象が機械のトワにも巻き起こった革新的な瞬間だった。 「絢香さんには感謝してもしきれません。今までありがとうございました。お陰で私は、今こうして自分のことを好きになれています」 「いいえ、これがわたしの責務ですから。ですが、まだこれで終わりじゃないですよ? 新たな自分の道を開拓できたら、今度はそれを長く伸ばしていくことが大切ですから。お望みであれば、いつでもサポート致しますよっ」 「ええ。まだまだお世話になります」  そう言葉を紡ぐ最中、トワは妙な感覚が胸部に染み込むのを感じ取る。異常があるわけではない。しかし、何やら柔い熱や欠如感が身体の奥に刻み込まれるのを度々感知していた。  このところ変だった。感情がないにも拘わらず羞恥心を覚えたり、高揚感を覚えたりと、人間紛いの感覚を抱くようになっている。後日、工場長とメンテナンスの相談をした方がいいだろう、と彼は密かに考えた。  多少の疑問を抱きながらも、トワは絢香の朗らかな表情を見やる。自然と浮かんでしまうその笑顔にはやはり口端の痙攣が発生しない。胸部の妙なノイズと共に、変化した自分の現状をゆっくりと咀嚼していく。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!