3.まるで犯罪加害者家族のような生活へ

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3.まるで犯罪加害者家族のような生活へ

 でも世間はそう思ってはくれなかった。潮は名家のオメガをかどわかした悪い奴だと。  うちに殺到したのはマスコミだけではない。インターネット上には実家の住所が載せられたせいで押しかけて来る野次馬がいるから、父や母が出勤するのも一苦労だ。幸い、今のところ職場まで押しかけては来ていないから、「迷惑だ。辞めてくれ」などと言われてはいない。  父は営業だからテレワークして得意先に直行直帰したり、母は時差出勤させてもらったりしている。ただ、年子の兄である俺は、性的にも好奇の目で見られて大学にも碌に通えていないありさまだ。  潮が出向いたクラブは、所謂アルファとオメガの『出会い系』だったらしい。  この世界には男女の性とは別に「バース性」と呼ばれる三種類の性――アルファ、ベータ、オメガが存在する。殆どの人は特徴のないベータだが、一割ほど存在するアルファは知能や体格、容姿に恵まれていることが多く、あらゆる組織でリーダーシップを発揮し社会の支配階級にいる。  オメガは、アルファよりも希少だ。男性であってもオメガなら、アルファの子を産むことができる上、とりわけオメガが産む子はアルファになる確率が高いから、多くのアルファが血眼になってオメガのパートナーを求める。オメガにはアルファを惹き付けるためにか容姿の優れた者が多い。定期的に発情期が訪れ、アルファを魅了するフェロモンを発する。  アルファとオメガには「番」という関係があり、行為中にアルファがオメガの項を噛むと、オメガはそれ以降、生涯そのアルファにしか発情しない。アルファも、番になったオメガに忠誠を尽くす。離婚届一枚で別れられる普通の結婚より遥かに強い絆だ。  とりわけアルファとオメガのロマンティックな関係として語られるのは「運命の番」だ。会えば一目で惹かれ合い、決して離れられないと言う。運命の番との交合は、他では味わえない至上の快楽だとも。  だが、全てのアルファとオメガに運命の相手がいるわけではない。むしろ現実に「運命の番」に会ったことがあるという人は殆どいない。だから、その存在自体を「都市伝説だ」と一笑に付す人もいる。  音也さんが亡くなったのが事故だということは明らかだった。「念のための事情聴取」ということで潮は警察に呼ばれたが、警察官が少し席を外した間に自死した。運命の番を失い人生に絶望したんだと思う。  水島家が財界で有名な名家だったこともあり、この事件はたちまち世間の好奇の目に晒された。  マスコミの取材だけでも十分きつかった。彼らが始終張り付いているから、自宅への出入りはすぐにできなくなった。住まいを変えて雲隠れすると、今度はターゲットを元の自宅近所の人たちに変え、時間にかかわらず夜討ち朝駆けで手あたり次第に突撃し、「何でもいいから情報をくれ」と迫った。こんな風に迷惑をかけたせいで、おれたちはとてもじゃないが、元の家には住めない。  でも、もっと性質が悪かったのは素人の『特定民』だ。プライバシーなどお構いなしに無遠慮に情報を漁り、SNSに投稿したり情報源の怪しいサイトを立ち上げたりする。あっという間に自宅住所や潮のプロフィール、プライベートな写真までもが掲載された。  更に参ったのは、それを見た事件とは全く無関係の人から、脅迫めいた手紙や電話が大量に届いたことだ。「人殺し」「お前も死ね」「殺してやる」「ヤリ●ン」「兄貴のオメガも犯してやる」など、見るに堪えない汚い文言が書き連ねられていた。  おれのバース性がオメガであることも、ごく親しい友達にしか打ち明けてなかったのに今や周知の事実だ。おれに対する具体的な脅迫が届いたので警察に相談した。その結果、なるべく警官がまめにパトロールする、一人で外出しない、どうしても誰も付き添える人がいない時は警察に連絡するようにと言ってくれた。でも、個人的な用事で何度も警察の手を煩わせるのは申し訳ない。それまでのやり取りで、いかに警察の人たちが二十四時間休みなく働いているか身に沁みていた。だから、おれは極力オンラインで講義に参加し、キャンパスにも行かないようにしている。  ずっと避けていたキャンパスに、どうしても用事があってこの日は出向いた。おれの顔と評判をなぜか学生みんなが知っている。 「他人の婚約者を奪ったんでしょ、あの子の弟が」 「しかも死んだらしいじゃん」 「殺したようなもんなのに、よく堂々と大学に来れるよね」  そうやって指を差したり、ひどい奴になると勝手に俺の写真を撮ろうとし始める。声が聞こえなくても、独特の嫌な表情でひそひそ話している姿を見ただけで、動悸がし始める。この人も、おれのこと噂してるんじゃないかって。  困惑しながらリュックからキャップを取り出していると、一番仲の良い友達グループが食堂前に固まっているのを見た。彼らは目で『こっちに来いよ』と訴えている。でも、今のおれが彼らと合流したら、友達まで白い目で見られるかもしれない。それは申し訳なさ過ぎる。おれは、グループチャットに短くメッセージを送った。 『ごめん。今は無理。みんなを巻き込みたくない』  別の友達に対して送ったメッセージのスクショが週刊誌に載ったこともあった。そいつとは仲が良いと思っていたから、裏切られたようでショックだった。以来、事件に関することをチャットで送るのも慎重になっている。
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