4.厳しい世間の風当たり

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4.厳しい世間の風当たり

 おれに向けられる視線は冷ややかだったり、面白半分だったりと、肯定的なものではないどころか、むしろ否定的だった。自宅マンションにいつの間にか貼られた誹謗中傷ビラ、読むに堪えない罵詈雑言だらけの匿名の手紙、投げ込まれたゴミや汚物類を考えれば、同じことがキャンパスで起きても何もおかしくない。想定内じゃないか。  ぎゅっと強くこぶしを握り締め、背筋を伸ばして前を向いて歩き始めた。だが、心の中には、どろどろとしたものが渦巻いていた。  おれのせいじゃないのに、って。  そのまま就職課に直行する。加害者家族支援団体の人がくれた資料が気になっていたからだ。潮のやったことは犯罪じゃない。でもそう思ってる人が世間にいる以上、おれの就職にも、犯罪加害者家族と同じことが起こるんじゃないかって心配になったから。  おれには夢がある。  製薬会社に入って良い抑制剤を作って、おれみたいなオメガがもっと生活しやすい環境づくりに貢献したい。稼いだ給料で、検査だ抑制剤だって、これまで散々迷惑をかけた両親に少しは恩返ししたい。  ……それと、あまり人に言ってはいないけれど、製薬業界で働く初恋の人とまた逢いたい。  子どもの頃から身体が小さく、運動も苦手だったおれは、いじめにあいかけた。庇ってくれたのは四つ上の幼馴染・(ひろ)()君だ。彼は三軒隣に住んでいた。背が高くて、脚も早いし力も強い。彼は近所の子どもたちのリーダーで、おれをいじめる奴にもビシッと言ってくれた。 「歩をいじめたら仲間に入れてやらないぞ」 「俺がいない時に歩がいじめられてたら、守ってやれよ」  ガキ大将の彼の命令は、仲間内では絶対だ。お蔭で、他のグループの子らにちょっかいを掛けられそうになっても、彼と仲間たちが守ってくれた。彼とは四歳差だ。薬学部は六年制だから、小学校だけでなく大学でも二年は同時在籍できて嬉しかった。彼は就活とかで忙しいタイミングで、実際はキャンパスでも殆ど会えなかったけど。  就職課で知った現実は、覚悟していた以上に厳しかった。バース性がオメガだと言った時は、 「オメガ雇用機会均等法も浸透してきていますから、大丈夫ですよ」  そう請け負ってくれたのに、おれが名乗った途端、相談員は手のひらを返した。 「ええと……。噂に聞いたんだけど。君の弟さんが、槇村製薬次期社長の元婚約者さんと運命の番だったとか、その運命の番はお二人とも亡くなったとか」 「少なくとも弟は『運命の番だ』と言っていましたし、僕は彼を信じています。二人とも今亡くなっているのも事実です」  さらりと答えると、相談員は居心地悪そうに身体を揺すり始めた。 「……槇村製薬は大手でしょ? その次期社長の婚約者を奪ったとか、そういうセンセーショナルな話があると、ちょっと腰が引けてしまう会社も、もしかしたらあるかもしれないね。いやまあ、これはあくまで私たちが思っていることで、製薬会社さん側がどう思うかは、実際は分からないけど。福多君は成績も優秀だし、挑戦してみる価値はあると思うよ、うん」  愛想笑いを浮かべている相談員は、大企業に(おもね)っているとしか思えない。彼らを当てにできないことを痛感しつつ、就職課のコンピューターや資料で、製薬会社の初任給などのデータを調べた。……両親は慰謝料の額を教えてくれなかったけれど、おれの給料で払える額かなあ。あわせて、OB・OGの情報を調べてメモを取る。どうにか連絡を取って、話を聞かせてもらおう。  世間の風の冷たさを感じるのはこれが初めてじゃない。そう自分に言い聞かせながらも寒々しい気持ちで就職課を後にした。  OB・OG訪問は散々だった。まず、そもそもアポが取れない。メールを送っても返信すらもらえない。電話しても大半は出てもらえず、居留守を使われているのを空気感で感じた。稀に出てもらえたとしても、興味本位で『あの事件の』兄貴と話してみたいって思っているのがありありだった。会ってもらえた場合も似たり寄ったりだ。インターネットには潮の顔写真は散々出回っていたから、しげしげと顔を見られ、 「へえ、弟さんとは似てないんだね」と言われる始末。 「あのぉ……、今日は御社の採用や、お仕事についてお話を聞きに来たんですが」  やんわり潮の話はやめてくれと伝えても、通じない人も多かった。仮に真っ当に相手をしてくれる人がいたとしても、 「福多君から連絡があったって人事部に報告したら、採用できないって言われてるから」と釘を刺される始末。  事件前から、先輩たちからは就活に臨む心構えとして、 「何十社から、『お祈りメール』もらうから。いちいち落とされてもへこむなよ」って言われていたけど、こんなのが十回以上続くとさすがに落ち込む。  お祈りメールというのは、不合格通知メールの最後に『あなたの今後のご活躍をお祈り申し上げます』みたいな定型文が添えられていることから付いた俗称らしい。  そもそも就職できるのか不安になってきたが、もうひとつ不安なのは慰謝料だ。
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