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稚児
腰巾着だの稚児だの、捜一の連中に陰口を叩かれまくりながら、俺はスッポンのように課長に張り付いて、性犯罪班の仕事を学んだ。
課長も俺のことをいつも側に置いてくれ、何でも仕込んでくれた。
事件の酷さも然ることながら、被害者の心に寄り添う時、どうしても負の感情の余波を浴びる。班の刑事たちは皆、ともすれば爆発しそうな怒りを心の奥に沈め、被害者の心の傷に寄り添い、繊細かつ神経を尖らせた聞き取りで、犯人検挙へ足がかりを掴んでいた。
俺も例外ではなく、メンタル崩壊寸前になりかけることがしょっちゅうで、その度に俺は姉貴の墓の前で頬を叩いて気合を入れた。
後で知ることになるが、課長も13歳の時に義理の兄から性的虐待を受けていたとかで、この仕事は日々、過去の傷を抉るような思いだったに違いない。
救いようのないキツイ事件の後など、課長はふらりと夜の街へ流れていった。
一度、一緒に愚痴り合いたいと思って追いかけたら、知らない男とビルの合間で抱き合っているのを見てしまった。
幽鬼のように青白く、プツリと心の線が切れてしまったかのような無表情で、首筋にキスをされながら涙を流していた。
課長も、何度もメンタル崩壊の淵を彷徨っていたのだ。どうしようもなく心の中に渦巻く負の感情を、後腐れない相手にぶつけなくては自分を保っていられなかったのだろう。
ああ、あんな綺麗な人を壊したくない。あの人が壊れたら、誰が姉貴のような被害者に寄り添ってくれるというのだ……。
課長の、ビー玉のような空虚な瞳を見て、俺も、泣いた。
だから、課長が警部に昇進したタイミングで、俺は捜査一課長に談判した。
俺と一緒に、課長を所轄に逃がしてくれないか、と。
俺がずっとあの人の下について支えるから、と。
「とんだお稚児さんだな、おまえ。ま、市川には将来的にあの新宿東署の生活安全課を引っ張ってもらう話が上がってる。あそこの生安こそ何でもござれでキツイが、市川のような性犯畑の玄人こそ適任だ……いいだろう。加川、おまえは市川の稚児になって、完璧な状態にメンテして新宿東署についていけ」
「いいんですか、やっべ、マジで話通るなんて思わなかったっす」
雲の上のゴリラだと思っていた一課長は、気さくで豪快なオヤジだった。
「俺を何だと思ってるんだ……ここんとこドラッグも低年齢化してるし、性犯係の守備範囲は広がる一方だ。市川のこれまでの働きかけで、性犯罪捜査は随分向上しているが、所轄で牽引できるだけの人材がまだまだ育っちゃいない。あの伝説の女形にはここで潰れてもらうわけにはいかねぇんだよ」
「伝説の女形って……」
「あ? こっちのことだ……とっとと行け」
そして直談判から半年後、俺たちは仲良く田無署に転属し、更に2年後、満を辞して新宿東署に着任することとなる……。
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