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傘がない。
でも、雨は止まない。
だから、帰れないでいる――。
そういう単純なことではないのか?
俺も又、有本と同じく思ったことが顏に出てしまったらしい。
有本は、そのことにすぐさま気が付いたのだろう。
困った様に笑った。
そんな表情をすると、有本の雰囲気はますます優しく柔らかくなる。
輪郭からして曖昧になり、周囲や背景へと溶け込んでいってしまいそうになった。
その表情を奇跡的に保ったままで、有本は言い足してきた。
「傘をさ、なくしたんだ――」
「えっ?」
「だから、雨が止むのを待つしかないよなぁ――そう、思ってて」
間延びした語尾には、全く力が込められていなかった。
口先では言っていた、「雨が止むのを待つ」感じはまるっきり見受けられなかった。
すっかりと諦め切ってしまったかの様な、『絶望』が色濃くにじんでいた。
有本は、傘を『失くした』と言った。
俺の耳には、確かにそう聞こえた――。
もしかしたら、単なる俺の聞き間違いなのではないのかと思い、
「傘を持ってくるのを『忘れた』んじゃないのか?」
と、改めて訊ねてみた。
有本は俺の目を見ながら首を二度、三度と横に振ってみせた。
「違うよ。今日、今さっきなくしたんだ。――なくしたばっかりだ」
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