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 西香織が死のひと月前まで付き合っていた相手は、一つ年上の大学生だった。佐元(さもと)という苗字の彼は、通う大学は違っていたもののサークル活動を通じて知り合ったそうだ。  夕菜は佐元の住所までは知らなかったが、彼のアルバイト先は知っていた。西香織と遊びに出掛けた際、彼女の彼氏が働く書店に立ち寄ったという。レジを打つ彼をからかう彼女と、まんざらでもなさそうな彼の様子が、至極羨ましかったそうだ。 「そういうのさあ、羨ましいよなあ」  最寄り駅に向かう電車の座席で夏紀が口にすると、隣りで翔真は目を丸くした。 「夏紀、そういうの羨ましいとか思うの?」 「逆に翔真は羨ましくないのかよ」 「僕、彼女ができるとか思ったことないし……夏紀もそっち側の人だと思ってた」 「そっち側ってなんだよ。俺は随時募集中だぞ」  日曜昼間の電車でガタゴトと揺られながら、翔真はくすくすと笑う。小憎たらしい様子に、その頭を軽く叩く真似をする。 「日曜にオカルトを探しに行く男子は、きっとモテないよ」 「それを言うならおまえも同じじゃんか」 「だから僕は、彼女ができるなんて思ってないよ」  口数は少ないくせに、翔真の方が一枚上手だ。 「じゃあ、どっちが先に彼女ができるか、勝負しようぜ」 「多分、永遠に引き分けじゃないかなあ」 「悲しいこと言うなよ」  午後一時を過ぎた頃に電車は郊外の駅に停車し、ホームへ下りた二人は改札を抜けた。駅舎を出て見上げると、青い空にぷかぷかと白い雲が浮いている。六月も終わりに差し掛かり、雨が降る気配はない。まだ蝉も鳴かないが、そろそろ夏を迎える空気を感じる。今年の夏は何をしよう。浮足立った気持ちになる。  そんな気持ちには二度となれない西香織を思い出し、少しだけ心が塞いだ。言葉を交わしたことさえないが、彼女が近くに存在していた人物であることに変わりはない。ただ死んだだけでなく、誰かに殺された彼女は、ほんの少し先の未来に対する期待や希望まで奪われたのだ。  やはりあの涙は、彼女の幽霊の仕業なのでは。夏紀がそんな思いにとらわれていると、手元のスマートフォンで地図を見ていた翔真が足を止めた。一軒の小さな本屋。チェーン店ではなく、個人が細々と開けているような小さな店だった。平屋の軒下には、文庫本を平積みした二台のワゴンが仲良く並んでいる。  顔を見合わせ、緊張しながら自動ドアをくぐった。奥に延びる細長い建物で、左右の壁に沿って背の高い本棚がしつらえてある。店の中央にも壁に平行に本棚が並び、本が満載してあった。  小説、専門書、雑誌コーナーと区切りがあり、漫画本は扱っていないようだ。近くに大学があるせいか、特に充実した専門書コーナーには大学生風の客が立ち読みをしている。  細い通路を奥に進むとカウンターがあり、向こう側の椅子に一人の男が座っていた。手に持った文庫本を読んでいて、こちらに気付く様子はない。  どうする、と翔真が小声で耳打ちし、夏紀は取りあえず近くの本棚に手を伸ばす。微塵もわからない統計学の本をパラパラと捲り、ちらちらとカウンターの様子を覗った。隣りでは翔真も熱力学の本を手に取り、初めて見る公式や専門用語に、思わず唸り声を漏らしている。  カウンター内にいるのが、恐らく夕菜の言っていた西香織の元彼、佐元と言う男だ。しなやかな体躯に、鼻筋の通った精悍な顔つきをしている。本を読んでいる姿がこの上なく様になっており、間違いなくモテる男だと確信する。果たしてこいつは、西香織殺しの犯人か、それとも絵に涙を流させる犯人か。  一人の客が会計に向かったのを見て、咄嗟に棚に本をしまい夏紀もその背に並んだ。慌てて熱力学の本を本棚に押し込み、翔真もついてくる。彼は戸惑いを露わにし、どうするのと囁く。 「聞いてみる」  夏紀がそう返し、翔真が口を開く前に、会計を済ませた客が踵を返してすれ違った。 「いらっしゃいませ」  二人の客に挨拶をする彼は、目の前の夏紀が本を持っていないことに怪訝な顔をした。そばの翔真にも視線を移すが、彼も手ぶらだ。 「どうしましたか」  僅かな警戒心を感じ取り、夏紀は躊躇ってしまう前に切り出した。店員のエプロンの胸元には「佐元」と書かれた名札がある。この彼で間違いない。 「西香織さんについて、教えてください」
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