覚醒パーソナルジム ストロング・ウィル

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 朝の喧騒が銀行の回廊に響き渡る。  黒髪をきちんと整え、新品のスーツを身につけた男、彼の名前は、羽柴弘人(はしばひろと)。地方の国立大学 経済学部を卒業して、今年の春から大手銀行に勤めることになった新人銀行員だ。  配属先の支店で、彼は朝から客からの質問を満面の笑顔で返し、同僚たちとの情報交換に精を出す一方で、誰にも見せない孤独感が彼の胸を締めつけていた。  彼が学生の頃、夢見ていたのは人々の生活を支える真正の銀行員だった。  だが、新人研修が終わり、実際の業務を始めてみると、彼が身を置く世界は一転した。  彼の任務は、主に投資の運用を客に勧めることだった。  その大半は年配の方々で、彼らの不安な顔を見る度に心が痛んだ。  彼らは貯金だけで生きていくのは難しいという事実に気づいていたが、投資という新たなリスクを加えることに戸惑っていた。  毎日の業務が彼の心を試すもので、彼自身も投資のリスクを理解していただけに、直接投資を勧める難しさを実感していた。 「銀行はなぁ、客に金貸して利息とって、投資を勧めて手数料をもらってなんぼの世界だ。客が損をしようが知ったことじゃない。お前のようなきれいごとを抜かすやつは、そんな甘い考えを捨てるか、銀行を辞めていけ!」  彼の上司は金儲けにこだわり利益を最優先する銀行の本質を露骨に示していた。  彼はその言葉に憤りと無力感を抱いた。  だが彼の意志とは裏腹に、銀行の方針は不変であり、彼にはそれに従う他なかった。  彼がそういう思いを先輩の銀行員に話しても、「世の中そうゆうものだ。」というだけでなんの解決にもならなかった。  そんなやりきれなさを感じながらも半年がたち、彼はいつしか銀行のやり方に染まっていった。 「羽柴、今月もノルマ達成だ!もうお前も立派な銀行員だな。」  上司からそう言わしめるほど、彼は客が損をしようが、以前のような罪悪感も無くノルマを達成することだけに専念するようになっていた。  そして、彼が真正の銀行員の姿を忘れかけて1年が過ぎようとしていた時であった。彼にとって転機ともいうべき事件が起こった。 「おにいさん、ちょっと止まって。」  仕事帰りに居酒屋で酒を飲みながら夕食を済ませ自宅へと帰る途中のこと、彼の後ろから不気味な声がした。  彼が後ろを振り向くと、そこには目つきが鋭く、上腕二頭筋と大胸筋がものすごく盛り上がってプロの格闘家のような筋肉をした、身なりは半グレそのものの男がいた。  上腕に異様な模様のタトゥー、荒い肌と金髪、そして薄ら笑いを浮かべた顔が何とも不気味で恐怖を感じさせた。 「おにいさん、金貸してくれる?」  半グレは殺気を漲らせて彼にそう言った。 (カツアゲだ!)  彼の体はガタガタとふるえた。 「おれさ、財布落としちゃって困ってんのよ。有り金全部だして。」  半グレはヘビのような薄気味悪い目で彼を睨みつけた。 (ここで断ったら、オレはただでは済まないだろう。こんなごついやつにかなわないよな。)  彼は観念したように自分の財布を黙って半グレに渡した。 「ありがとう、おにいさんイケメン。ついでにおにいさんの名刺も貰っておくわ。」  半グレはそう言うと彼の勤務先が書かれた名刺を引き抜いた。 「ほー、おにいさん、銀行員なんだ。金はたんまりあるな。」  半グレは彼を上目遣いに見ると良い金蔓を得たかのようにニヤッと笑いながら立ち去った。  それからであった、ことあるごとに、 「おにいさん、また金貸してくんない。」  と、この半グレに仕事帰りを待ち伏せされカツアゲされた。 「おにいさん、分かっていると思うけど警察に駆け込んだらどうなっても知らないからね。」  半グレのその言葉に、「殺される。」と感じた彼は、恐怖に怯えた。  半グレはそれだけの物凄い殺気を放っていた。 (要求金額がどんどんエスカレートしていく。ああ、いつまでこんなことが続くのだ。)  彼は鬱々とした日々を過ごしていた。 (また、今日もカツアゲされた・・・) (ああ、強くなりたい!強くなってあの半グレを倒したい。) (でも、どうすれば強くなれる?) (空手、ボクシング・・・・。どれも強くなるまで時間がかかる・・・)  彼はそう思いながら、彼の沈み行く心のように太陽も沈んでいく夕暮れの街を重い足取りで歩いていた。  ふと気づくと、 “最強の体をつくりたいそこのあなた 覚醒パーソナルジム ストロング・ウィルへ!”という看板と質素でこじんまりしたフィットネスジムが、彼の目に留まった。 「いつのまにジムができたんだ?」  突然できたフィットネスジムに驚きながらも、彼は何かに引き寄せられるようにその中へ入っていった。 「あら、いらっしゃいませ。」スナックのママのような声がした。  そこには、日本人なのか外国人なのかわからない容姿をした国籍年齢不詳の男性が立っていた。筋肉隆々で緑色のモヒカン刈りの髪型、鼻と両方の耳たぶにピアスをつけ、腕に鷹のタッウーを入れた怪しげな男性だ。この男性の筋肉は、ボディービルダーのような見せるための筋肉ではなく、格闘技などの実戦向きに見えた。  その女性のような喋り方とは対照的に殺気立つ雰囲気を体中から醸し出していた。  パーソナルジムとあって、マックス5名くらいがトレーニングできる小さなスペースに一通りのトレーニング器具は揃っていた。でも、そこには彼以外に客は居なかった。 「私はトレーナーのサージェント・ヴァン、よろしくね。」  たぶん通称なのであろう、その男はそう名乗った。 「あのー、ほんとうにここでトレーニングすれば最強の体になれるのですか?」  彼は唐突に尋ねた。 「もちろんよ。ただし、このジムに入会できるのは私の質問に答えてあなたが適合するかどうかを判断してからよ。」 「質問ですか?」  フィットネスジムに入会するのに質問を受けて、それに通らないといけないことに彼は不自然さを感じた。でも、強くなれるならそんなことは彼にとってどうでもいいことであった。 「それでは、あなたはなぜ最強の体になりたいのですか?」  ヴァンは、突然、鋭い目つきに変わり彼に質問した。 「じ、じつはボク、半グレからカツアゲにあっていまして、そ、そのー、そ、それは、強くなって、ボクからお金を巻き上げている半グレを倒したいからです!つ、つまり、喧嘩に強くなりたいのです!」  彼は腹の底に溜まっていたものを全て吐き出すように、つい本音をぶちまけてしまった。 (あ、マズい、こんなこと言ったら、喧嘩の為に体を鍛えるのはよくない、と言われるに決まっている。)  後悔先に立たず、彼は断られるのを覚悟した。  ところが、 「ブラボー、ごーかーく!」  ヴァンは手を叩きながら雄叫びのように声を発した。 「えっ、合格?」  彼は呆気にとられた。 「そう合格。最近、ダイエット目的とか、カッコ良くマッチョになりたいとかいうイカレポンチが多いのよね。そんなのは最初からお断り。トレーニングは自分の存在を脅かすものと戦うためにするのよ。いいこと、私があなたをみっちりと鍛えてあげるわ。それに3カ月間は無料よ。ただし、このジムでのトレーニングに関することは誰にも話しちゃダメよ。企業秘密。約束を破ったらそれでおしまい。」  ヴァンは意味深なことを目が笑っていない笑顔で言っていた。 「3カ月間無料?お試し期間ということか?」  彼は何だか狐につままれた気持であった。  さっそく翌日から、”ストロング・ウィル”でのトレーニングが始まった。  最初は、入念なストレッチからはいり、次にトレッドミルで20分走った後、チェストプレス、ラットプルダウン、アブドミナルトレーナー等々の器具を使った筋肉トレーニングを20分、計40分をヴァンが付ききりでみっちりトレーニングしたくれた。 「筋トレしながら筋肉に話しかけるといいわよ。とっても美しいわよ、サイコーってね。」 「それから、苦しい時は憎らしい半グレの顔を思い浮かべるのよ。必ず倒してやるという強い思いを抱いてね。」  ヴァンの教え方は優しく丁寧で今まで経験したことのない独特の言い回で彼を鼓舞した。  ここまでは、普通のフイットネスのトレーニングメニューであった。 「さあ、筋トレが終わったら、仕上げは格闘術よ。」 「格闘術?」 「そ、ただ筋肉を鍛えたところで、最強の体は手に入らないわ。実戦で鍛えてこそ強さは覚醒する。だから、覚醒パーソナルジムなのよ。」  ヴァンが教える格闘術は関節技を主とした実戦技であった。 「実戦で使えない筋肉や格闘術なんてただのクソよ。これを身につければ、半グレなんかひとたまりもないわ。」  ヴァンの動きは素早く確実に関節を決めていた。 「手も足も出ない!この強さただ者じゃない。」  素人の彼でもそう思えるほど、ヴァンは戦いのプロで、とにかく恐ろしく強かった。  そして、1時間半にわたる不思議なトレーニングを終えると、 「さあ、トレーニングの後は、このプロテインを飲んでね。」  ヴァンからコップになみなみとつがれたプロテインを彼は飲まされた。 「プロテインは筋肉にとってのごちそうよ。トレーニングの後、筋肉に対するご褒美として必ず飲むのよ。」  彼はプロテインをゴクゴクと飲み干すと、何とも言えない爽快感が身体じゅうを駆け巡るのを覚えた。  それからヴァンのトレーニングメニューは日増しにきつくなっていった。 「ここで諦めたらあなたは一生後悔することになるわ。」 「人間なんていくらでも変われる。死ぬ気になって臨めばね。」  彼は、ヴァンにそう言われ苦しいトレーニングにも歯をくいしばって耐えた。 (あの半グレとオレの銀行での仕事、根本的に同じだ。他人から金を巻き上げているだけ。)  苦しいトレーニングに耐えているうちに彼の頭にそんなことが浮かぶようになった。 (ちくしょー、負けたくない!なにもかもからだ!)  彼は全身から漲ってくる熱いものを感じた。  そんな頃であった。ジム帰りの彼の後をつける強面のトレンチコートの男がいることに彼が気づいたのは。 (あの男、今日もオレの後をつけている。) (いったい何者だ?) (半グレの回し者がオレの様子を探っているのか、それとも、ヴァンが最初に言っていたジムでのトレーニング内容をオレが他人に喋らないように見張りをつけているのか・・・) (いずれにせよオレことを何かの目的でつけているのことは間違いない。) 何か不気味さを感じたが、とにかく彼はあの半グレを倒したい一心で必死にカマ―のトレーニングメニューをこなすため、ジムへと通い続けた。  そんなこんなで1カ月半余りがたったころ、また、例の半グレが彼の前に現れた。 「よお、おにいさん、ご無沙汰。また金貸してくれない?」  いつものように薄気味の悪い笑みを浮かべていた。 「悪いけど、お金はないよ。」  彼は毅然とそう言い放った。 「はぁ?今なんて言った?」  半グレは獲物を睨みつけるヘビのような目で彼を睨んだ。 「聞こえなかったのか、お前に貸す金はない、と言っているのだ。」  彼は自分でも不思議なくらい落ち着いていた。 「金がないならお前のとこの銀行からでも持って来いよ、オラッ!」  半グレは彼の胸元を掴み上げ、彼の体は宙に浮いた。  その時であった、 「ヒーッ、イテテテ・・・」  彼は半グレの手首をねじ上げ、半グレは悲鳴を上げた。 「テメェー、コノヤロー!」  半グレは彼めがけて渾身の右ストレートパンチを繰り出した。 「とりゃー!」  彼は半グレの右斜め前に素早くかわすと半グレの右手首を左手でねじり、右手で手の甲を押さえつけると半グレの体を地面へと叩きつけた。 「グェッ」  半グレはその場で気を失った。 「すごい!1カ月半でこんなに強くなっている!」  一番驚いたのが彼人自身であった。勝手に体が反応して戦闘モードになっているのだからだ。  彼は意気揚々とストロング・ウィルへ向かい、そのことをヴァンに話した。 「それは良かったわ。でも、当然と言えば当然よ。私が教えているのは実戦の技。いくら屈強な半グレといえども命がけの実戦はド素人よ。」 「でも、あなたは、その半グレに勝ったのではないわ、自分自身の心に一つ勝ったのよ。」 「・・・・・・」  ヴァンのその言葉に彼は自分自身の壁を一つぶち破ることができたのだと実感した。  彼は、今までの自分とは違う自分に出会えたような気がした。 「筋肉は裏切らない。これでわかったでしょ。あなたが戦わなければならない相手はまだまだいるわ。さぁ、今日もトレーニング開始よ。」  ヴァンは手をパンパンと叩くといつものトレーニングが始まった。 「あ、ハイッ!」  彼は今までにない何とも心地よい充足感を得ていた。  そして、無料期間の3カ月が経過したころであった。  彼は、会費を払ってこのパ―ソナルジムへ通う決心を固めていた。  ところが、 「えっー、どうなっているのだ!」  ストロング・ウィルはトレーニング器具や何から何まで跡形もなく無くなっていたのだ。 「ど、どういうことだ?」  彼には目の前で起こっていることがまったく理解できなかった。 「きみ、ここでトレーニングしていた人だよね?」  彼の後をつけていたあのトレンチコートを着た強面の男が声をかけてきた。 「あ、はい。」 「そうか、でも、ここではもうトレーニングできないよ。」 「あなたは?」 「私は、警視庁公安部の刑事。」 「警視庁公安部の刑事?」 「ど、どういうことですか?」 「ここはね、X国の民間軍事会社スグネルの傭兵養成施設の一部だったのだよ。」 「スグネルってあのX国の軍隊と一緒にY国との戦争をしている?」 「その傭兵養成施設?」 「そう、民間軍事会社スグネルの創設者 サルゴジンの命を受け、サージェント・ヴァンこと数々の戦場で情け容赦のない殺戮を繰り返してきた現役の軍曹 イヴァンが日本の適任者を紛争地帯へ送り込むための傭兵を育成するね・・・」 「しかも短期間で傭兵を養成するためのこういった施設は世界中にあるらしい。」 「そ、それじゃボクは傭兵になるための軍事訓練を受けていたというのですか?」 「そのとおり、きみをトレーニングして傭兵に仕立て激戦地域へ送り込むつもりだったようだね。」 「・・・・・・」  彼には公安部の刑事が言っていることの意味が全く理解できなかった。 「イヴァンからトレーニングを受けた傭兵は、みな勇猛果敢に敵に突っ込んでいくそうだ。それはまるで覚醒したかのように・・・」 「そして、その激戦地域へ送り込まれた者で生きて帰ってきた者は一人もいないと言われている・・・」 「きみも激戦地域へ送られ危うく命を落とすところだったかもしれないな。」 「まぁ、われわれ公安が内偵して、ここがスグネルの傭兵養成施設となっていることを突き止めたのだが、感づかれてとんずらしたようだがね。」  それを聞いた彼は恐ろしさのあまり体がふるえた。 「オレは傭兵にされるところだったのか・・・」 「・・・・・・」 「でも、ヴァンのおかげでオレも覚醒することができた。」  そう思うと、彼は全てが吹っ切れ、身体の芯から何か熱いものが湧いてきた。 「さぁ、これからは銀行との戦いだ!」  彼の身震いは武者震いに変わった。                     - 完 -
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