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第70話 体育祭 後半
「エール交換のお陰でバッチリやる気出たでしょ!」
親指を立てながら笑顔でウィンクをする皆川。
――お前か、お前がノノちゃんをこんな目に……。
詳しい事情を知らないA組の一部のクラスメイトが目をぎらつかせて皆川を見る。が――。
「俊くんやったね!」
「和美もすごくがんばってたね。応援ありがとう」
――目の前でこんなやり取りをされ、あまつさえお喋りゲージが尽きているにもかかわらず、健気にも笑顔で相馬を祝うノノちゃんを見せられては僕らもこれ以上皆川を責めることはできなかった。おのれ皆川。
皆川の計画通りかどうかは知らないが、僕らはまんまと綱引きの前に一体感に満たされたままE組に挑んだ。先頭に西野が立つE組は強大に見えたし、実際に強敵だったが、一丸となった僕らはそのE組を下したのだ。結果は三位。ただ、Aリーグ一位のD組が優勝したため、実質二位とも言える得点だった。
そして――。
「な、ぎさ…………」
そして僕の目の前で立ち止まった三村は、借り物競争のカードを手にした指を震わせながら渚の名を口にした。
「太一くん行って!」
「太一、靴!」
渚が声を上げ、七虹香が僕の靴を寄越す。
「いや、三村が呼んでるの渚――」
ただ、僕の言葉は渚に叩かれた尻の音で掻き消され、そのままトラックへと押し出された。僕は慌てて靴を履き、三村に手を取られて走りだす。他の走者は借り物の許諾を得られずまごついていたり、相手が校長先生だったりしていたのもあって、僕らは一位でゴールに。
『A組三村さん一位! さてさてカードの中身は如何に!』
「だーーって! 喋るな! 確認だけにしろっ!」
三村が顔を真っ赤にしてマルチメディア部の実況女子に迫り、マイクを遮る。
『ハイハイ、わかってますよ、どれどれフムフム』
実況はニヤついて三村の顔を見る。三村はそっぽを向いているが目は実況を睨んだまま。
『オッケーです!――はいはい、次の人~』
「結局、何だっ――」
「うっせー、だぁってろ」
三村が一位になったわけだが、カードの中身は教えて貰えなかった。
さらには――。
「瀬川くーん、ほらこっち! こちらに!」
テントへ戻る僕に向けて、次の走者の一人、山咲さんがカードを持つ手を振りながら走り寄ってきた。
「また僕ですか?」
「瀬川くんでなければ他にいらっしゃらないのです」
ただ、今度は三村の時と違って渚が睨んでいる。山咲さん相手だと渚の機嫌が悪い。
「いやちょっと困るんですけど……」
「ほら、早く行かないと順位が落ちます! 参りましょう!」
仕方なく、山咲さんに手を引かれて再びゴールへ。
『おやまたA組は同じ男子です! これは修羅場かー?』
「いえ、瀬川くんにはちゃんと他に彼女がいらっしゃいますのよ」
『何と! この女たらしめ! ではカードを拝見……中身は~~』
『――“浮気してそうな人”でした! 確かに!』
「ぇえ…………」
笑い声の中で山咲さんは僕に向けて小さく手を振る。
その後も女子の借り物競争では恋愛関係をネタにしたロクでもない内容のお題が飛び出してきていた。気になる相手だの、横恋慕してそうな人だの。なるほど、借り物の許諾がなかなか得られないわけだ。後で生徒会にクレームを入れておこう……。
◇◇◇◇◇
「じゃあ、太一くん、がんばってね」
本部席近くのスタートライン傍に集まった1500m走の選手たち。陸上部に中距離の選手は居ないとは言え、ひと月トレーニングしただけの僕では運動部には勝てるとは思えない。それでも渚が真剣な目で――大丈夫。太一くんなら――そう言ってくれるだけでやれそうな気がしてきた。
「瀬川くん、がんばって……」
「瀬川、渚のために頑張れよ」
ずっと一緒に練習してきた奥村さんと三村。奥村さんは渚のストレッチに付き合い、渚を落ち着かせていた。三村は皆の周ごとのペースを普段から管理してくれていた。
聞いた限りでは1500m走に陸上部は出ていない。運動部も特別目立つ選手は居ないはずという話だった。ただ、僕はスタートラインに並び立つ選手の中に、あの柏木祐希を見たんだ。
◇◇◇◇◇
「瀬川! ペース上げすぎ! それじゃ持たないっての!」
――僕を呼ぶ声が聞こえる。誰だ? 三村か? 今はそれどころじゃない。
僕は柏木祐希に食いついて行っていた。理由があったわけじゃない。ただ柏木が僕よりも一歩前に出て、それが気に入らなかった。別に柏木が何かやったわけじゃない。ちょっと何かが気に食わなかった。
柏木は速かった。部活はやってないと聞いていたのに。
兄は凄いんです――ことある毎に雫ちゃんは兄自慢していた。が、運動が得意ってレベルじゃないだろこれ。必死でついていく。全速じゃあないけれど、ついていくだけできつい。
「瀬川! 聞いてんのか! ペース落とせ!」
コーナーのたびに三村の声がするのに気が付く。叫んでいる。
でもそれどころじゃないんだ。僕はコイツの前に出なければいけない。
真後ろについて必死に脚を回す。
「瀬川! まだ三周あるんだぞ! ペース落とせ!」
まだ三周もあるのか。そう考えた瞬間に集中が解け、柏木は僕を引き離し始めた。脚が回らない。脚がもつれたら終わりだ。こんなに必死に走った経験が無いのでそんな心配ばかりが頭を支配し始める。柏木との距離を詰められないどころか、引き離されるばかり。
「瀬川! ペースを――」
「太一ぃ! 渚の相手してると思って踏ん張れー!」
三村の横に七虹香が増えてた。三村は叫ぶ七虹香を見て口を開けていた。
渚――渚は体力が付いたよな。最近はもう疲れ知らずになってきている。でも僕はどうだ? 努力が足りない気がする。渚の隣に居たいなら…………もっとがんばらないと!
太腿の根元に力を入れる。足先を送ることばかり気にかけていると持たない気がした。太腿の根元を交互に動かすことを意識すると、力まずに脚全体へと力が伝わる。なんとなく渚とイチャイチャしてる時を思い出す。それどころじゃないんだけど、腰回りの筋肉を感じられる。いつもの渚もそうだったかも……。
……気が付くと僕はトラックの上で両手をついて蹲っていた。
ただ……ただ、ゴールラインは乗り越えることができたようだ。だって渚がすぐ近くから駆け寄ってきたもの。渚の手に促されて横に倒れる。しばらく地面に身体を預けて何もできないで、何も考えられないでいた。
◇◇◇◇◇
「百合ちゃん、あとお願いね」
なんか、渚のそんな声を聞いた気がした。
さっきまでの堅い地面と違ってやわらかいマットの上のようだった。ただ、頭の下にある枕は高くて硬い。硬めの枕は好きだけど、あまり高くて硬いのは苦手。高さ的に仰向けが辛くて何となく少し横を向く――と、いい匂いが……。
「瀬川くん……こっちじゃなくて……反対向いて……渚が走るわよ……」
「ああ……うん……うん??」
促されて反対方向を向くと、運動場が見えた。
思い返せば何だか身に覚えのある高さに慌てて起きようとするけれど、眩暈がする。おまけに声の主に頭を押さえつけられる。
「――え……いや、これって……」
眼だけ動かして周りを見ると、まばらに居る生徒たちがチラチラとこちらを申し訳なさそうに見ている。
ただ、すぐに電子スターターピストルの音がして女子がスタートを切る。その中に僕は渚の姿をみつける。A組の白い鉢巻を巻いた渚は駆け出した。
渚はどこかで見たようなハイペースさで走り始めた。
「あの子はまたあんな飛ばしてっ!」
近くで三村の声がした。三村はまたコーナーの近くへと走って行った。
「渚! ペース上げすぎ! 落とせ!」
三村はさっき聞いたような台詞を渚にかけていた。
それでも渚はペースを落とさなかった。僕も三村と同じように叫びたかったけれど、必死な渚の顔を見るとなんとなくわかってしまった。渚も同じように思ったかもしれない。そして渚は今、さっきまでの僕と同じなのかもしれない。
「「渚、がんばれー!」」
二周目にして既に三村は諦めて、走り続ける渚を応援することに決めたようだ。七虹香と一緒に声援を送っている。渚はいつもよりさらに速いペースで三周を走り、少し勢いを落としたがそれでも走り続けた。そしてついに、二位以下を振り切って単独でゴールテープを切った。
――が、そこでハプニングは起きた。
渚が足を縺れさせたのだ。そこへ飛び出したのか、それとも偶然居たのかはわからないが、渚の前には柏木が居た。倒れる渚の両肩を支えた柏木。ただ、次の瞬間、渚は柏木の手を振り払っていた。柏木が渚の頭に手を伸ばそうとしたのだ。
頭の下の枕が一瞬、立ち上がろうと反応していた。
柏木はやっぱり気に入らないヤツだ。けれど、渚なら大丈夫な気がした。
そしてもし次があるならば、僕はあの柏木の位置に居ないといけない。
渚はゴール後、三村と七虹香に手を取られて僕の隣までやってきた。
「おめでとう、渚」
「太一くんこそ、がんばったね」
ニコリと笑った渚は、三村の膝枕で僕の隣に並んだのだった。
◇◇◇◇◇
「「戦・犯!!」」
2-Aのテントに戻ってくるなり田代と山崎に指さされてそう言われた。
おめでとう、おつかれ~~――と他のクラスメイトは声を掛けてくるがみんな苦笑い。
「いや、三位は十分すぎる順位だろ……」
あのあと、僕は失速しながらもゴールまで走り切り、ゴールぎりぎりで一人、追い抜かれたらしい。ただ、よくやったと七虹香たちは喜んでいたし、リタイアしなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
「違ウ! 俺たちの恋という戦いにおいて重大な条約違反を犯した!」
「太一お前、救護所のテントで奥村さんにひひ、膝枕をして貰っていたそうだな!」
「いやあれは不可抗力なんだが……」
「鈴代ちゃんという者がありながら奥村さんに手を出すとは!」
「そうだ! その後も鈴代さんと並んで寝てたとか! 救護所はハレムじゃないぞ!」
「渚も動けなかったから……」
「だが俺は見たぞ! 鈴代ちゃんにマママママッサージしてもらってたろ!」
「あー……あれはなんかゴメン……」
あの後、僕は渚にマッサージして貰っていたのだ。
恥ずかしいからやめてと頼んだんだけど、僕は奥村さんと三村に逃げ道を塞がれ、そのまま公開マッサージされていた。近くに居た曽根先生に呆れた顔をされたし、渚を心配したのか救護所までやってきていた柏木には冷めた目で見られたが、まあ、渚が楽しそうだからいいやってなった。
◇◇◇◇◇
「俊くん、ガンバレ~~~~ェ!」
振り絞るようなビブラートが響き渡る。目の前を相馬が走って行く。みんな、ノノちゃんの声が掻き消されないように抑え目に、しかし両手を振りながら応援していた。
午後最後の競技である男女混合リレーのスタートを切ったのは鈴音ちゃんだった。予備要員だったのに鈴音ちゃんは第一走者としての役目を十二分に果たし相馬へ繋いだ。2-Aが誇る我らがイケメンは足も速い。なんで文芸部に居るんだよと誰もが思うだろう彼は、果たして、一着で次の新崎さんへと阿吽の呼吸でバトンを繋いだのだ。
「新崎は絵になるなあ」
タブレットに大きく映る新崎さんを皆川さんがスチル保存していた。
確かにあの小顔美人に長い脚はアイドル顔負けだろう。そして体育祭限定だかどうだが知らないが、ポニーテールにしているのも珍しい。新崎さんがトラックを回ると他の学年のテントからも大きな歓声が沸き起こる。
「澄香ぁぁぁ! イケイケー!」
新崎さんから野球部の倉田へ、倉田からバトンを渡された宮地さんも声援が凄かった。宮地さんは持ち前の明るさと天元突破したコミュ力で学年全体の人気者だった。そして新崎さんと同じく、文化部なのに運動神経が半端ない。
「百合ちゃぁぁあん! ガンバレー!」
宮地さんからバレー部の永谷へ、永谷からは奥村さんへとバトンが手渡された。長い髪を一本にまとめた奥村さんは、渡辺さんほど運動では目立ちはしないが普段からのトレーニングは欠かさないと聞く。普段見るあのおっとりした奥村さんとは思えないような安定した体幹とスピードでテントの前を駆け抜けていったが、あれはきっと僕よりも速い。
「「ふぉぉぉおおおお!」」
――と、田代や山崎の感嘆の声も続いた。
奥村さんからバトンを手渡されたアンカー鈴木は余裕の笑みさえ見せながら悠々とトラックを回っていた。A組の精鋭は他のクラスの運動部のメンバーを抑え、大きく差をつけていた。特に女子メンバーが圧倒的だった。二番手のD組の男子も必死で鈴木を追ったが、鈴木はあざ笑うかのように後半ほどスピードを上げて一着でテープを切った。
途中からクラスのみんなの興奮が止まらなかった。だって、得点を集計した結果、一着なら学年優勝が間違いなかったから。僕が1500で二着ならリレーが二着でも優勝していたらしいと知ったときは申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、1500を代わった長谷は――俺なら三着は無理だった――などとフォローしてくれていた。
鈴木がテープを切った瞬間、2-Aのテントから歓声が上がった。皆につられて立ち上がってしまった僕は、思わず隣に居た渚を抱きしめてしまっていた。
第十章 完
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