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博士
皇帝ランギーニとの対話を終えたアクアスは鼻歌交じりに血塗られた皇宮を抜け、白亜の皇居宮殿――、今日の自らの住まいに戻った。
その手に間近に迫ったサニアス帝国皇帝の光り輝く冠の如く、事実上の帝国軍元帥となった彼を祝うかのように夜空には星々が煌めいていた。
「お疲れ様でした、殿下」
長い回廊の途中、その声に振り向いたアクアスは柔和に微笑む。
待っていたのは、かつてカローラス王国にてクーパー中尉と呼ばれていたスパイの女だった。
何事も卒なくこなす有能さを認め、今は腹心として側に置いていた。
「ここまで迎えに来てくれたのかい?アイリス」
伸ばした手で結い上げた長髪を撫でつつ、自らが付けた名を呼ぶ。
その手に頬を寄せて甘える姿は懐いた豹のようであった。
玉座への王手を掛けた彼に、好意的に接するのは隠し切れぬ野心の表れである。
過去の名を捨てたという彼女を今後、妃として迎える事があるならばそれに相応しい名が必要だろうと虹の女神の名を与えた。
「帝国大元帥へのご昇進、おめでとうございます。あとはソリオン皇子の儀式次第ですね」
そんな祝いの言葉に思わず鼻で笑った。
「ソリオン殿は魂授の儀には耐えられないよ。俺だって半分、ぶっ壊れちゃったんだからさ」
頭を指差し、アクアスは舌を出して誂うように告げた。
皇子に科せられた魂授の儀は、儀式に臨む者の精神と信念の強さが試される。
サニアス帝国の玉座に相応しき人格と精神力ならば耐え抜けるが、力及ばぬ弱者は心を壊し、廃人と成り果てる定めである。
アクアス自身も、かつてその儀を科せられたのだが―――…。
「壊れただなんて…、殿下は無事に乗り越えたではありませんか」
「俺は受け入れただけさ。抗っても弱ければ食われるのみ…、ならば、その強さを借りて己の糧にしてしまおうとね。長いものには巻かれるのが俺の流儀だから…」
自嘲しつつ、アクアスは腕の時計を確認。
間もなく、夜明けの時刻である。
「…さて、総帥になったことだし早速、あの計画に取り掛からないとね」
気を改めるように背筋を伸ばし、彼はアイリスの肩を抱きながら、ある場所へと踵を返した。
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