博士

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 皇都内某所にあるその研究施設は、最新鋭のセキュリティシステムと各所に置かれた防衛ロボットにより難攻不落の要塞と化していた。  関係者はその中に長期的に滞在し、滅多に外に出てくることはない。  行われている研究内容も秘匿され、近隣地域ではその場所に語ることさえ憚られていた。  そんな場所に明朝、一台の黒塗り公用車が吸い込まれた。 「…お待ちしておりました」  エントランスにて厳かに頭を下げて出迎えた施設所長は、車から降りてきたアクアスの胸に光る勲章に緊張の表情を見せた。  ―――全帝国軍元帥の逝去に伴い、アクアス・サニアスタが総帥に任命されたし。  日付の切り替わりと同時に関係各所に駆け巡ったその通達は、ある者にとっては吉報であり、ある者にとってはこの上ない絶望を齎した。  この施設の関係者にとっては、その後者であった。 「博士はまた書斎かな?」  前置き無しの問いに、そうだと答えた所長は硬い表情で案内を始めた。  病院の廊下のような白を基調とした無機質な廊下を渡り、巨大な鋼鉄扉が行く手を阻む棟の前へと到着。  所長の眼を鍵に、極悪囚人を収容するかのような厳重な施錠を解除すれば、白衣を纏った沢山の科学者が思い思いに研究に勤しんでいた。 「皆さん、ご苦労様です」  愛想良く笑顔を振り撒くアクアスに科学者達も笑顔で挨拶を交わすが、その目は決して笑っていなかった。  ――粗相をすれば、命はない。  この国において帝国皇家(サニアスタ)の膝下に在る者は、そのことを忘れてはならなかった。  植え付けられた恐怖を直隠す彼等を尻目に、アクアスは目的の御仁の下へ。  隔絶するように閉じられたこじんまりとした扉の向こう、堆く積まれた研究書物と壁一面の黒板に書き込まれた数式に囲われながら、その老人は考えに耽るように革のソファの上で微睡んでいた。 「…ちゃんとベッドルームでお休みになられた方が良いのでは?」  姿勢を正したアクアスは小首を傾げながら声を掛けた。  その声に老人は薄目を開け、じろりと彼を睨んだ。  狸寝入りはこの御仁の常套手段である。 「何の御用ですかな?」  体を起こし、彼はさも面倒臭いとばかりに鋭い眼光を飛ばす。  その首元と足首には逃亡など考えすら出来ないよう、発信機と麻酔針が仕込まれた器具が装着されていた。 「連れないなぁ…、貴方の大研究が日の目を見る時ですよ?ハスラー博士」  その知らせに老人、ハスラー博士はその眼を更に鋭くした。  彼は帝国一と謳われる科学者であり、医学から工学、物理学まで多岐に渡る学術分野を修める頭脳は天才と讃えられるに相応しい。  かつて世界を震撼させた翼肢病の原因と成るウイルスの原型を創り上げたのも彼であり、戦闘翼肢(バトルウィング)をも開発した発明家であった。 「皇帝陛下の御眼鏡に適い、この度、私が新たな軍事総帥となりました。遂に《クライス計画》が再開出来ますよ」  嬉々としてアクアスがそう告げた瞬間、博士は眼の前のテーブルにその拳を怒りのままに叩き付けた。  轟いた騒音に扉の外の研究員達は途端に震え上がり、悲鳴すら上がった。 「貴様がその名を口にするな…!あやつを死に追い遣った貴様等に…!」  沸き上がる怒りを露わに博士は声を荒げる。  しかし、そんな彼にアクアスは呆れたように嘲笑った。 「これは失礼。クライス博士は貴方の親友でしたね。しかしながら、彼は陛下のご要望に応えるどころか、その恩を仇で返したのですからの為にも計画名は変更出来ません。そもそも彼が自決しなければ貴方は日の目を見ることも無かったのですし…」 「黙れっ‼」  故人を貶すような発言に博士は再びテーブルを殴り付け、その衝撃にテーブルの片隅にあったティーカップが転がり落ちた。  白亜の破片と共に残っていた紅茶が床に飛び散り、その雫が脚を濡らしたが、博士は気に留めることもなく爛々とするその目をアクアスに向け続けた。 「………、そんなに悔しければ、クロスオルベの魂授結晶を超える発明をすることです」  不意に声色を変えたアクアスは黒板の片隅にあった機械竜の報告書を手に取った。  そして、それをテーブルに置くや傍らにあったペーパーナイフで印刷されていたカルディナの顔写真を突き刺した。 「カローラスは究極兵器の実働に向け、既に動いています。万物の語り部(シエンティア)が真に覚醒すれば、エルファの民もその本領を発揮するでしょう…、狼狽えている時間はありませんよ?」  そう脅しながら彼はテーブルに貫通したペーパーナイフから手を放し、突き立つその刃を見せつけるように指先で二度、テーブルを小突いた。 「……いつまで儂は、こんな悪魔の所業を続ければ良いのだ…」  呟くように訊ね、博士は顔を覆って項垂れる。  そんな姿を鼻で笑ったアクアスは、不気味なまでの笑みを浮かべ、クロスオルベに勝つまでだと吐き捨てた。
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