12. 伝説の人魚の栞

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12. 伝説の人魚の栞

 芭蕉(ばしょう)先輩は、戸惑いのなかに、刺すような冷たい眼差しをこちらに注いでいたが、美月(みづき)が窓の方へと視線を向けようとしたその瞬間、スタスタと駆けだしてしまった。 「どうしたの?」  きょとんとする美月。いまの光景をどのように伝えればいいのか。いや、そもそも伝えるべきなのかどうか。戸惑っていると、美月のスマホが震えだした。 「ごめんね、お母さんから」  席を立った美月は、少しだけ歩を速めて、出口の方へと向かっていく。  そのとき、ぼくの携帯も震動した。しかしそれは、テキストメッセージで、相手は芭蕉先輩だった。 《嘘つき》《信じない》  ――というメッセージ。ほんとうにぼくに宛ててのものなのだろうか。別のだれかとのやりとりじゃないのだろうか。どう返したらいいのかと、考えこんでしまう。  そのうちに美月は帰ってきて、「もうすぐ迎えに来てくれるって」と言う。もう一時間半が経っていることに気付く。できるかぎり元を取ろうと、デザートをとりにいこうとしてはじめて、クリスマスケーキのことを思いだした。  でも、無理に勧めるわけにはいかないし、「食べる?」といえば、「食べない」なんて言えなくなるのが、美月の性格だ。  美月が食べようとしないのだし、ぼくもやめておこう。  ぼくたちは残りの時間を、他愛もない話をして過ごした。もう今年は、「メゾン」でのバイトはない。美月と次に会うのは、来年になるだろう。      *     *     *  中になにが入っているのか分からないため、慎重に包装を解くと、そこにはお洒落な本の(しおり)が入っていた。  光沢のある紺色で、固そうな見た目ながらも、本を傷つけない優しい素材で作られているらしい。星座を繋ぐように、直線をいくつか組み合わせて描かれた白色の人魚が、表面を飾っている。  同封されていたメッセージカードには、こんなことが書かれていた。    ――――――  メリークリスマス!  鱗雲くんにはたくさん助けてもらっているので、お礼にこの栞を贈ります。大学の近くの本屋さんで「ご当地しおりフェア」というイベントがあって、そのとき鱗雲くんの地元で有名な「伝説の人魚」の栞を見つけました。3つしかないらしいのに、もう1つ売れていて、急いで手に入れました(笑)使ってくれると嬉しいです!    ――――――  そんなフェアをしていたなんて知らなかった。ぼくの地元では有名な「人魚伝説」のことをモチーフにしている栞。3つしかないということは、あまり売れないと見込まれていたのかもしれない。  蛍光灯に透かしてみると、白色の人魚はパッと明るくなった。光を受けると、色味が少し変わるらしい。  この人魚を見ていると、不思議と、美月がぼくにとって、特別な存在であるということが、強調されていく。  勢いよく立ち上がり、ケトルでお湯を()かし、インスタントコーヒーを作り、暖房をつけた。課題のファイルをダブルクリックする。スタートの合図のように、温かい風がどっと吐きだされた。  しかし、すぐには続きを書くことができなかった。知らず知らず、ため息をついてしまっていた。      *     *     *  事務室から「午前十時までに来てください」と言われたのは昨日のこと。あと三日で、今年が終わる。大学が開いているのも、今日までだ。  7号棟の二階にある事務室の隣の小会議室のドアをノックすると、大学院担当の八須賀(はちすか)さんが顔をだして、ぼくを中へと招き入れてくれた。  具体的な要件は聞いていなかったが、神凪(かんなぎ)先生も中にいて、なにやらただ事ではないらしいことが分かった。ぼくはただ、大学院生専用の研究室に関することで相談があるとしか、聞かされていない。  大学院生に関係することならば、芭蕉先輩も呼ばれてもおかしくないはずなのだけど……と思ったが、先輩は風邪をひいているからひとりだけ来てもらったとのこと。  ぼくが席に着くと、八須賀さんは、早速、こんな相談をしてきた。  年末になり先生たちが研究室の大掃除をするなかで、不要となった本を院生研究室へと寄贈したいという申し出が殺到したとのことだ。「院生の勉強のために」「研究の役に立つだろうから」などの名目でのことらしい。  しかしそんなのは建前で、本の処分に困ったから、思いだしたように「院生のためになる」という理由を作ったのだろう。  だが、院生研究室にある本棚は、院生たちが家から持ってきた本や、図書館から借りてきたものを並べるためにある。でも、いまはふたりしかいないから空きスペースが多いのも事実だ。  だけれど、それを理由に先生たちから本を引き取り陳列してしまったら、これから先、院生の数が増えたときに、本棚のスペースが足りなくなるし、その際に処分するようでは、お金と労力がかかる。だから、自分のものは自分で処分してほしいのだが、なかなか言うことを聞いてくれない。  ざっとまとめると、こういうことが問題になっているらしい。 「うちの教員が申し訳ございません。来年の教授会で注意を促すのはもちろんですが、このあとすぐにメールで全員に周知させます」 「お手数ですが、よろしくお願いします。鱗雲さんも、研究室に本を持ってくる先生がいたとしても、受けとらないようにしてください」 「わかりました」  八須賀さんや神凪先生は、長い目で大学院のことを考えているからこそ、こうした自体に深く憂慮しているのだろう。 「来年度から研究科長が変わるので、うまく引き継げるかは保証ができないのですが」 「執行委員の先生も全員変わりますよね」 「いま院生を指導している教員は、ひとりも入らないので心配ですね。研究報告会もそうですし、大学院生の募集であったり、研究設備の維持であったり、力を入れてくれるひとはいないでしょう」 「この前、桐生院(きりゅういん)先生がお見えになって、来年度、なにか不都合なことがあったら、研究科の役員ではなく、院生の指導教員に相談してほしいと」 「それがいいと思います。院生と交流のない教員が名目上役員になっているだけなので。現場にいる教員の方が、大学院のことも院生のことも分かっていますから」  ぼくは、芭蕉先輩にもこのことを伝えるようにとの命を受けとり、神凪先生と一緒に会議室を後にした。
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