17 計画通り

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17 計画通り

「止めてくれ」  馬車は街灯が一つある暗い道の角で止まった。窓の外には意味ありげに微笑み手を振る女が二人。安くテカテカと光る絹のドレスが夜の闇にも鮮やかである。女二人の後ろには帽子を深くかぶった男がいて御者が金の入った袋投げると、つばを少し下げて夜の闇に消えて行った。 「子爵、遅いですわよ」 「悪い」  派手な女たちは『寒い、寒い』と言って馬車に乗ってきた。安い白粉の匂いが鼻をつく。尻が大きくて、アランもジョルジュも席をずらしてやらなければならないほどだ。 「あら、まあ、今日はもう一人、ハンサムがいらっしゃるのね、子爵」 「ああ。ジョルジュという。煮るなり焼くなりお前のしたいようにしていいよ」 「ごきげんよう」  女がジョルジュの頬にキスをして真っ赤な口紅を移した。アランが笑い、頬をさすと、ジョルジュは半泣き状態で必死にハンカチで顔を拭った。 「どうする? カードゲームでもしようか?」 「それはいいわ」 「それとも歌劇でも見に行く?」 「まぁ? あたしたちなどをお連れくださるの?」 「ああ。行きたいのならね」  片目を瞑ったアラン。その腕をジョルジュが恐ろしい形相で引っ張って囁いた。 「まさか、本気で国立劇場にこの下品な女たちを連れて行くんじゃないだろうな」 「悪いか」 「それぐらいなら妄想の恋人の話に付き合っていた方がマシだった」 「来たくないないなら、その辺で降ろしてやるよ」 「こんなところで降ろされたら着ぐるみ剥がされて死体を河に捨てられるよ」  アランが笑った。 「君は馬車で待っていればいい。どうせ入れやしないんだから、追い返されるよ」  結局、ジョルジュは馬車から降りずにいたが、アランは果敢にも劇場にふさわしくない女二人を両腕に、歴史あるフローラ国立劇場に降り立った。 「申し訳ありませんが、子爵……」  無論ドレスコードを理由に追い返されたが、そんなことは初めから分かっていたことだ。多くの者が白い目で彼を観て、「あれがルルーレーヌ子爵だ」「あのヴァレリー王女の?」「酔っ払っているのか」「まぁ、嫌ですわ」とまぁ、一通りの批判を受けてその夜を締めくくる。今夜はなかなかの成果が得られたようだ。  まったく、いい噂というものはなかなか流れないものだが、悪い噂というのは金をやってわざわざ流さなくてもすぐに都中に広まる。アランがいくらポーカーで負けただの、彼が何人の女と出来ているだの、誰それを殴っただのということは尾ひれがついてあっという間に広がっていた。なんと、アランの家のメイドの幼い息子までが知っているというから計画通りである。  ——クリスティーヌ。  アランは彼の見つけた『妖精』を恋しくてならなかった。  ジョルジュからクリスティーヌがアランの噂を聞いて悲しそうにしていたと聞いた時、罪の意識に苛まれた。しかし、誰かが悪くならなければならないとしたら、それは発端であるアラン自身である。彼はクリスティーヌから返却された『青の王国記』の六巻の表紙を撫でた。オデッド王女も所有しているだろうし、自分でも買えるだろうにあえて、彼女はまだアランの蔵書を借りている。そして返却する時、小さな栞を挟んで返す。オデット王女の影響で絵を描くようになったのか、ペンで今日は魔王の紋章を描いてあってそれがなかなか上手だった。  アランはそれを一つ一つ、机に並べて見た。  次に貸す時には何か気の利いた言葉を書いて本に挟もうかと思うが、クリスティーヌが自分のせいで受けた仕打ちを考えると愛しいなどとほのめかすのもおこがましい。アランは彼女から与えられるささやかな好意を陽の光を待つ農夫のようにひたすら待つ身だった。 「若旦那様」  夜遅いのにも関わらず、執事が盆に手紙を乗せて持って来た。 「昼に宮殿よりご使者がありました」 「そうか」  開けばヴァレリーからの昼食の誘いである。  アランは筆をとって、先約があると断った。しかし、ここはしっかりとヴァレリーと向き合うべきだと思い直し、散歩でもいかがかと書き足す。 「早朝、届けるように」 「かしこまりました」  アランは五枚の栞を丁寧に木箱にしまうと鍵を閉めた。今夜も彼の妄想はただ一人、クリスティーヌしか現れないだろう。
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