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25 真実の愛
「アラン! 待って!」
ヴァレリー王女が大理石の長い階段を流れるように降りて来た。フローラの国の色、コスモスピンクのドレスがホールに翻る。
「殿下。走っては危ない」
アランが慌てて彼女を腕に抱きとめるも、王女は息を切らせながら、二通の手紙をその胸に押し付けた。一通は先ほどアランが書いたばかりの誓約書である。瞬きをしてヴァレリーを見れば、くすっと鼻で笑う。
「私が本当にあなたなんかと結婚するとでも思った?」
「殿下? どういうことですか」
「ただちょっと試しただけよ。あなたがどんな顔で私に跪くのか見たかっただけ。だからこんなものは返すわ」
アランは手渡された手紙を迷いながらも受け取った。少女は当惑した顔のアランを可笑しそうに見ると、もう一通の手紙も手のひらに乗せる。今度は卯の花色の上質な紙である
「王家の紋章……」
アランは蝋封を指で触れた。
「ええ。これは勅書よ。お父様がオデット王女を幽閉することを取りやめ、都に再び呼び戻すようにお命じになったの」
アランはハッとちょっと済ました王女を見つめた。低い鼻をちょっと得意げに上げ嫌みたらしいのに、その頬は嘘がつけずに柔らかく緩んでいる。アランは無礼を承知でその頬をつまんでみた。やはりこねている途中のパンのようだ。
「痛っ。何をするの、無礼者!」
アランは笑った。
「どうやらあなたの魅力に気づいていなかったようです」
「でももう遅いわ。逃した魚は大きのよ。これからも私はどんどんいい女になってあなたはすぐに後悔するの。『なんて俺は愚かだったんだ』てね」
「間違いなくそうなることでしょう」
「私、気づいていたのよ。あなたは私と結婚したくなくてわざと嫌な噂を都に流しているのをね。だから私はクリスティーヌと結婚するためにそんな嘘をつくなんて酷いって怒っていたの。でも『青の王国記』を読んで本当は違う。あなたはどうしようもない変態だって気づいたのよ。恋人の『妖精』ってフェアリーのことで、クリスティーヌのことではない。そうでしょ?」
「正直に申し上げるとそうです」
「架空の女性に恋していたの?」
「まぁ、長い話を短く言えば、そうです。フェアリーをモデルとした女性『妖精』を恋人だと妄想して、非現実世界に生きていました」
「それでプラチナブロンドのクリスティーヌのことが気に入った。そういう話でしょう?」
「はい。そういう話です……。クリスティーヌは破産して困っていたので、ふりを頼んだだけだったというわけです」
「救い難い変態よ。とても私の夫にはなれないわ」
アランは微笑んだ。
「やっと生身の人間に恋したので、これを逃したら俺は永遠に現実から目を背け続けると思ったので、ヴァレリー殿下には失礼なことをいたしました」
「許してあげる。でも代わりにその魔王ソフテの指輪をちょうだい」
「『青の王国記』の変態は嫌いなのではなかったのですか」
「でも誰にも言わなければ私が『青の王国記』が好きだなんて知られないわ」
「そういうのを『むっつり変人』とオデット王女はお呼びでした」
「ふん。何とでも言えばいいわ。とにかく、その指輪は私のものよ。結局一番損をしたのは、『青の王国記』ではフェアリーの命を救ったソフテで、現実では私よ」
アランは自分の指からソフテの指輪を外すと、王女の細い右の人差し指にはめた。
「ありがとう、ヴァレリー殿下」
「もう行って。あなたの顔なんてもう二度と見たくない」
アランはそう言われても王女を強く抱きしめてから馬車に乗り込んだ。ヴァレリーはあれだけ傲慢を装っていたというのに、泣きそうな顔でアランを見上げていた。そして唇を噛み、思い悩んだ風にうつむいていたが、御者が鞭をあげると慌てて馬車のドアにすがりついた。
「アラン、フェアリーに自分の命を与えて息絶えた魔王ソフテはきっと幸せだったはずよ。好きな人のために何かができたから。だから、だから――」
アランは窓を開けた。
「ヴァレリー王女。あなたが俺に何をしてくれたか、生涯決して忘れません。あなたは溢れるばかりの真実の愛をくださった。フェアリーにとってソフテが常に特別な存在であり続けたように、俺にとっても忘れられない人となった」
馬車が動き出した。
遠ざかる王宮。
アランは瞳を閉じると運命の激しさを耐えた。
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