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5初めてでしたの
クリスティーヌは奇妙な二人組を見た。
どちらも眉目秀麗で、アランの方は長身の栗毛に対して、ジョルジュはやや痩せ型のブロンドである。堅物そうなアランに、見るからに女遊びばかりしていそうなジョルジュ。アランが遊び人だと評されてしまっているのは、この人とつるんでいるからに違いない。
「レディ・デラフォン。あなたのような美しい人に出会ったことはない。まさに奇跡だ」
ジョルジュのお世辞は板についていた。本当かもと信じてしまいそうになる熱い目を向けながら手にキスをする。
「クリスティーヌと呼んでください」
男たちはそしてクリスティーヌの周りを歩いてああでもないこうでもないとコソコソと話し合った。どうやら物語の挿絵のようなフェアリーチックな髪の結い方がいいのか、あるいは、今年流行しているバラの花びらのような形にするのがいいのか、大の男が熱心に話しているのである。
――変な人たちだわ。
アランが言うには、クリスティーヌは『妖精』のイメージ通りらしい。だが、現実には彼の作り上げた『妖精』ではない。竪琴は弾け無し、ダデール語も話せない。それに知り合ったばかりだから、互いのこともよく知らない。きっと人に聞かれた時に困るはずである。
「あの、わたくしたちはどれくらいのおつきあいということになっているのですか?」
「かれこれ三、四年かな。俺が十九のときからだ」
「ならば、わたくしは十二、三ですわ」
少し無理があるようにクリスティーヌには思われる。妄想癖よりよっぽどその方がアブナイと思うのだが、「清く正しい付き合いであるから、問題ない」とアランは断言した。年齢などよりももっと大切なことがあると言ってアランは昨夜のうちに用意しただろう質問状をクリスティーヌに手渡した。
「なんですか?」
ジョルジュもその中を覗く。
「生年月日、親の名前、ペットの名前、好きな音楽、好きなお芝居、趣味、食べれないもの、学校の名前、とにかく君の全てが知りたい。これは俺のだ」
クリスティーヌはアランの紙を見た。生年月日、ランペール王十四年四月三日。父、セルジュ。母はフーリエ。犬の名前はルネ等々。十五枚に渡った詳しいアランの情報が詰まっている。普通の交際ならこれを何ヶ月もかかって知るものなのに、クリスティーヌはあと数時間のうちに覚えなければならないらしい。
「覚えきれませんわ」
「心配しなくてもいい。覚えられるところだけでいいんだ。あとはジョルジュがフォローする」
「僕が? 僕は寄宿舎時代から君を知っているけれど、ここに書かれていることの半分も知らないよ」
アランが親友を睨んだ。
「とにかく、クリスティーヌは俺の恋人だと父上に信じ込ませないとならない。さもなければ、俺はヴァレリー王女との結婚だ。そんなのまっぴらごめんだ」
ヴァレリー王女といえば、大きなお鼻と小さなお目目。そして突き出た顎がチャームポイントだと言われている人で、性格もきついとクリスティーヌは聞いたことがある。王族と結婚するのは名誉に違いないけれど、確かにアランが嫌がるのも分からぬでもなかった。
「わたくしは『妖精』さんのことを覚えなくてもいいのですか」
「あとあとボロが出るといけないから、大半は俺の妄想だとしてくれていい。妄想癖があるのは親も承知だから」
「そ、そうですの……」
アランがクリスティーヌの手をとった。
「本当に申し訳ない」
「わたくし、嘘をつくのは苦手ですの、だってそんなこときっと神様は――」
「クリスティーヌ。とりあえず、今は神様のことは忘れてくれ。これはほんの気持ちだ」
手渡されたのは巾着一杯の金貨だった。これだけあれば一年は余裕で生活できる。
「これは手付けで、晴れて王女との結婚がなくなれば、これの三倍を払うことを約束する。信じてくれないのなら、契約書を交わしたっていい」
ズシリと重い袋。
懇願する男。
――きっとこれは神様の思し召しだわ
クリスティーヌはアランに一先ず忘れてくれと言われたが、そう言い訳して金に手を伸ばした。そうでなければ簡単に受け取れないほどの大金である。これだけあれば、この偽りの恋人役が終わった後、保証人なしでアパルトマンを借りて生活することだってできる。
「君は微笑んでいるだけでいいんだ」
「わかりましたわ。これをしっかり仕事だと思って努力いたします」
「よろしく頼む」
クリスティーヌは『妖精』になりきることを決意した。さあ、そうと決まればあとは仕上げである。女中が細いブロンドの髪にブラシをかけれると、それは絹糸のように艶やかに光る。何日も洗っていない髪ですら美しいのだから、綺麗に洗って丁寧に結いあげたクリスティーヌの髪は見事としか言いようがない。しかも、白粉を塗り、口紅を塗れば、鏡に映る姿は、田舎っぽさが抜けきれなかった自分とは全く違い、別人のように洗練された都会の女性になっていた。
「素晴らしいよ、クリスティーヌ。さあ、このセリフを言ってみて。僕は魔王、ソフテになるからね。ザーゾフの回復魔術の呪文を唱えて、フェアリーを目覚めさせるんだ」
ジョルジュはお気に入りの物語のワンシーンを再現したい様子でクリスティーヌには分からない専門的な物語ワードで語り始めたが、もちろんそんな時間はとてもない。アランがクリスティーヌの頭に帽子を乗せると、水色のリボンを結んだ。
「愛している、クリスティーヌ」
クリスティーヌはその突然の告白と真剣な眼差しに心臓がどきりとした。首まで赤くなって、顔を両手で覆う。アランは大人の男らしい余裕の顔で『困ったな』と口の端をあげて笑った。遊び人だと誤解されるのも頷ける板についた告白だった。
「クリスティーヌ。慣れてもらわなければ困る」
「え、ええ。ごめんなさい。初めて殿方からそんなことを言われたものだから」
「初めてだったのか」
「ええ。初めてでしたの……」
その瞬間、赤面したのは余裕だったアランの方がだった。アランはジョルジュの肩に腕を乗せて深く顔を隠す。悪いことを言ったのだろうかと、クリスティーヌがその背を指先でツンツンと叩くと男は跳ね返らんばかりに驚いた。
「大丈夫ですか」
「だ、大丈夫だ……君があまりになんというか、可愛かったものだから」
――やっぱりアランもジョルジュ並みの女ったらしね。口が上手でいらっしゃる。
クリスティーヌは『ありがとう。でも信じなくってよ』と微笑んだ。
「とにかく練習だ。お互い初めて告白したわけでもないのにいちいち赤面していたら、おかしいだろう?」
「そうですわね。がんばりましょう。大丈夫。かぼちゃぐらいに思えばいいんですわ」
「そうだ。かぼちゃだな。かぼちゃ……」
「そう。アランはかぼちゃですわ」
複雑そうに微笑み返したアラン。クリスティーヌは彼の頭にかぼちゃをかぶせてみた。案外似合う。アラン・カボーチャ・デ・ルルーレーヌ。かぼちゃ子爵の完成だ。栗毛のハンサムよりこっちの方がずっと良いと彼女は思った。
アランは大きく息を吸い、そして吐くと仕切り直してもう一度、さっきと同じセリフを言った。
「クリスティーヌ。愛している」
「愛していますわ、アラン」
まっすぐに見返したクリスティーヌとアラン。手を握り、愛を告白する。が、先に目を離したのはアレンの方で真っ赤に赤面した顔を手で覆い、にやけた唇をどうすることもできずに机に伏せて悶える。同意を表すかのようにその背をそっと叩くジョルジュ。クリスティーヌだけが小首を傾げて不思議そうに二人の男をみた。
「君は最高の女性だ。これを君の手に」
そしてやっと復活したアランが昨日見せたサファイヤの指輪を差し出した。サイズはぴったりで、まるで彼女のために作られたようだった。クリスティーヌは窓の外をみた。昨日の雪はもう止んで、この指輪のような深い青色の空が雲の間からのぞいている。
「行きましょう」
「ああ」
——きっとどうにかなるわ。そうでしょう? お父さま。
開かれた玄関を前に彼女は顎を上げた。
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