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ドブネズミと、ささやかな願い
十数の小国で構成された大陸がある。
大陸南端のイズディハルは、国土の大半が荒野と砂漠で構成された国。貧富の差が激しいことで名がしられている。
貧民は人に非ず。侮蔑を込めて、ドブネズミと呼ばれていた。
イズディハル王都は王女の誕生日を一週間後に控えているため、生誕祭を祝おうと訪れた人でごった返している。
道の反対側が見えないくらいの人波のなか、五つにも満たない幼子がパンの屋台に忍び寄った。
誰にも見られていないか確認しつつ、積まれていた一つに手を伸ばし、服の内側に隠す。
その場を離れようとするのを店主が見とがめ、幼子の手を掴んだ。
「こんのドブネズミが! うちの商品を盗むんじゃねえ!」
「いてぇな、離せよ! 腹へってたんだよ! こんなにたくさんあるんだから、いっこくらいくれたっていーじゃん、ケチーー!」
「誰がケチだ! 王女様の生誕祝いだってのに、神様に顔向けできねぇような真似しやがって!」
服と呼べないほど薄汚れた布をまとった幼子は、反省するどころか「ベー」と舌を出して抵抗する。
怒りに任せてもう片方の手を振り上げた店主の手を、止める者がいた。
青い目をした青年だ。黒髪の右側だけ短く編み込まれている。
幼子と同じように傷んだ服を着ている。服から覗く全身に古傷の痕があって、危険な場面をいくつもくぐり抜けてきたのがうかがえた。
青年に寄り添うように、小柄な少女もいる。
癖のある黒髪を背中に流した、穏やかな顔立ちの娘だ。
「ファジュル兄ちゃん! ルゥルア姉ちゃん!」
幼子に名を呼ばれ、青年──ファジュルは軽く頷いてみせた。
「なんだ兄ちゃん、このガキの兄か!?」
「……ユーニス。バレないよう確実に盗む技術がないなら店からは盗むな。お前の足じゃ逃げてもすぐに捕まる」
声を荒らげる店主をよそに、ファジュルは幼子に説教をはじめた。
それも盗みはいけないことだ、ではなく、盗む技術がないならやるな。つまりはバレないように盗る技術を身につけてから盗めということだ。
店主は一瞬あっけにとられたものの、はたと目的を思い出して、ファジュルに掴みかかる。
「何馬鹿なことを言ってやがる! 兄なら盗みがだめだってことそのものを教えるべきじゃないのか。ったく。親の顔が見たいぜ」
店主の怒りはもっとも。けれどファジュルたちにも事情というものがある。
「ルゥ」
ファジュルが短く呼ぶと、ルゥルアはユーニスの目線に屈み、ユーニスの耳を両手で挟み込むようにして塞いだ。
それを確認してから、ファジュルは口を開く。
「兄ではない。親のことなら俺も知りたい。ユーニスは二週間前、スラムの入り口に放置されていたんだ。『うちでは育てられないから、親切な方、ユーニスをよろしく』とだけ書かれた紙切れを持たされてな。スラムは人を捨てる場じゃないと、こいつの親に教えてやりたいんだが会ったことはないか」
「し、知るか! 理由が何だろうとオレのパンを盗るのは許さん。金を払え」
「あぁ、そうだったな。すまない。いくらだ」
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