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黒澤が現れてから一週間。榊は再び研究室に缶詰となって八千日病の特効薬開発に没頭している。最初のうちは「結局まだ家に帰れないじゃないか」などと愚痴ってばかりいたが、三日目ぐらいからは飽きたのかそれも聞かれなくなった。
中野も、相変わらず何も分からないなりに榊の研究を支援していた(ほとんど衣食住の世話係に近い)。
当然家にも帰っていないが、元より独り身の中野には特に不満もなかった。
「中野くん」
榊が声だけで呼びかけた。目では顕微鏡の接眼レンズを熱心に覗き込み、手ではビーカーとガラス棒で鮮やかな液体をかき混ぜてと、ずいぶん小器用である。
ちなみに黒澤は昨夜からぶっ続けで被験があったそうで、今は別室で仮眠を取っている。
「なんです博士」
「妙だと思わないかね。彼女」
「彼女っていうと、黒澤さんのことですか? 妙って?」
「なぜ今来たのか。あるいは、なぜ彼女が来たのか」
中野は意味が分からず首を傾げるが、榊は最初から理解など期待していなかったとでもいうように、間髪入れずに説明を続ける。
「なぜ余命三十日というギリギリでここに来たのか、ってことだよ。確実に特効薬が欲しいならもっと早い段階で来るか、もしくは彼女より時間のある者をよこすべきなんだ」
あっ、と中野は声を上げた。榊の言わんとすることを理解したからだ。
中野の時代でタイムマシンが完成したのはつい先日のことだが、黒澤の時代、今より先なので至極当然のことではあるが、タイムマシンはいつでも存在している。
ならばもう数年早い段階で黒澤を派遣するとか、それか何らかの事情で今のタイミングになったのだとしたら、別のもっと余命が長い人間を派遣するべきだ。という話だ。
「確かに……いくら博士が天才だとはいっても、たった三十日で奇病の特効薬を作れると考えているとしたら、未来人は楽観視が過ぎますよね」
あと三十日で黒澤は死ぬ。その事実に中野の胸はなぜかズキズキ痛む。が。
「馬鹿言え。薬はもうほとんど完成だ」
「……は?」
「しかしあの女の真の目的は特効薬ではないはずだ。それが一体何なのか……まぁ、八千日病に感染している以上、薬が欲しくて仕方ないのは本音だろうがな」
「楽しくなりそうだ」と榊は口角を吊り上げた。
その横顔は凡人には到底計り知れない崇高なことを考えているようにも、逆にそこらへんの俗物と変わらない下等なそれにも見えたが、中野にはどちらでもよく、ただ黒澤が助かるかもしれないという希望に胸を躍らせた。
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