グッバイ、親愛なる愚か者。

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 そんなおばあさまの訃報が、おばあさまからの最初で最後の手紙とともに届けられたのが、今から一週間前のこと。手紙には、これまで聞いたことのなかったおばあさまのことも書かれていた。 あなたへ手紙を送るのはこれが初めてになりますね。実は何度か書いたことはあるのですけれど、なんだか気恥ずかしくて全て捨ててしまいました。 私、先生に私が死んだら坊ちゃんにこの手紙を届けてくださいってお願いしたんです。うまく届いているでしょうか。 なんだか改まってお手紙を書くのは恥ずかしいですね。やっぱり恥ずかしいです。 私はあなたに嘘ばかり吐いていた良くない育て親でした。私はあなたのおばあさまではありませんし、家柄もよくありません。ただの使用人です。 私はあなたの母君の乳母をしておりました。母君が生まれたときから母君のお世話をしていたのです。 あなたの母君から生まれたばかりのあなたをお預かりして初めてこの腕に抱いたとき、母君に似てなんとお可愛らしいのだろうと思いました。なんと愛らしいのだと微笑ましくなったのを今でも覚えております。 けれど母君のお父上にあたる大旦那様は給餌係との子どもは子ではないと仰り、あなたを捨ててしまおうとなさったのです。 母君による必死の説得の甲斐あって坊ちゃんは私と共に即刻屋敷を出、二度と顔を見せなければ命は取らずにおくと約束してくださいました。坊ちゃんの父君はそのときに責任をとって屋敷を離れ、今どこにいるかは分かりません。 坊ちゃんはこの先永遠に父君にも母君にもお会いすることはできません。それが大旦那様との約束だからです。 私は長年この決断が正しいものであったと信じておりました。何の罪もない小さな命が不当に殺められることなく元気に生きられるのですから最上の結末だと、そう思っていました。 けれど最近、分からなくなってしまったのです。 あなたは非凡で、特別な才能を持っていらっしゃいます。けれどその反面、人付き合いは苦手でいらっしゃいましたね。分からないことを恐れて近づかないようにしていらっしゃる、私の目に映るあなたはずっとそうでした。嘘ばかり吐いて心の内を見せないようにしていた私は、そんなあなたの瞳にどれほど恐ろしく映っていたことでしょう。 あなたが私のもとへ来ないのは、私が恐ろしいからでしょう。 責めているわけではありません。あなたにはたくさん迷惑をかけてしまいましたし、これは自業自得です。 私が以前にあなたと交わした約束を覚えていらっしゃいますか?私よりも長生きしてくださいと、私は言いました。 あの頃のあなたは放っておくとふらりとどこかへ姿を消してしまってもう二度と会えなくなってしまうような危うさがありました。目を話した隙にその命の灯火を自ら吹き消してしまうような恐ろしさがありました。ですから私は思わずそう言ってしまったのです。 あのときは出過ぎたことを申しました。ごめんなさいね。けれどあれは、私の本心です。私は、坊ちゃんに私よりも長生きしてほしいと思っているのですよ。 坊ちゃん。人の心というものはあなたが思っているほど分かりにくいものではありませんし、分からないということは悪いことではありません。私というたったひとりの嘘吐きのせいであなたは大きな誤解をしてしまったのです。 人はもっと分かりやすくて単純です。ですから坊ちゃんはこんな愚かな嘘吐きのことなどは忘れ、自由に楽しく人生をお過ごしください。坊ちゃんの思うままに生きてください。 愛しています。いつまでも、どこにいても。
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