グッバイ、親愛なる愚か者。

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 彼は、男の僕から見てもかっこいいやつだった。  容姿端麗、頭脳明晰。人を誉めるための殆どの言葉は、まるで彼のために用意されたかのように完璧に彼に当てはまった。  必然、彼は異性にも人気だった。確かに僕も女だったら、もしかしたら少しくらいは彼に揺らぐ心を持っていたかもしれない。それでも好意には至らなかっただろうけど。  彼は毎日のように受ける淑女たちからの求愛や告白の数々を、悉く丁寧に断っていた。何を言われても常に笑顔で、相手を傷つけないように最善の注意を払って、それでいて確実に脈がないということだけははっきりと分かるように。日々たくさんの友人たちと話して鍛え上げられた話術を遺憾なく発揮し、涙を流させることもなくきちんと納得させた上で断るその手腕には少し感心させられた。それは僕には到底できないことだ。まあ僕にそんな話がくることは一度だってなかったけど。  彼は誰とでも積極的に仲良くしていたけれど、心の底では誰のことも信用していないように見えた。広く、浅く、一定の距離を置いて、相手には見えないほどの透明の薄い壁を一枚隔てた向こう側から友人を作っている。そんな感じ。  彼の友人たちはみな口を揃えて、自分がいちばん彼と仲が良かったと言ったけれど、彼の自称友人たちの中に彼の故郷や彼の家族について知っている人はきっと、たったひとりだっていなかった。彼の友人でない僕も当然、そんなことは知らない。  いや正確には僕だけは、それを知ることができる位置にいた。時折部屋に届けられる手紙はいつも、彼の過去を雄弁に語っていた。けれど僕はそれを一度も見ていない。それを勝手に見てしまうのは人としてどうかと思ったのもあるが、何より僕は興味がなかった。  彼の数々の矛盾行為について、当時の僕は何かひとつでも解き明かそうとはしなかった。興味のない男のことなんてわざわざ労力を使ってまで知りたいとは思えなかったから。けれど恐らく学園内で、誰よりも彼のことをよく知っていたのは、他ならぬ僕だ。彼が一日に三度、薬を飲んでいたこと。定期的に学校を出て病院へ通っていたこと。おおよそ週に一度程度の頻度で祖父と文通をしていたこと。ただの一度も、祖父以外から…両親や故郷の友人たちから手紙は来なかったこと。夜になると体調が悪化すること。本当は、友人が増えたら隠すのが大変になるから少しだけうんざりしていたこと。それを祖父への手紙に書いて咎められたこと。僕は、彼のことを意外とよく知っていた。  けど僕は全部知っていた上で、全部知らないふりをした。
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