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*七章の弐
そんな、しあわせではあるけれど、ちょっとどこか切なさを覚えてしまうようなある日、ぼくはまた拾い物をした。今回は男物の財布で、良い革の札入れだ。
ぼくは前回の大学での騒動の教訓から拾うかどうかちょっと迷ったけれど、結局交番に届けることにした。
紺がお世話になっているお礼にごちそうを作りたい、って言ってくれたから、そのおつかいをした帰り道に立ち寄った。
「すみませーん、財布を拾ったんですけど……」
顔なじみの近所の交番を覗きこんだら、ちょうどそこには先客がいてこちらを振り返る。
明るくて短い黄金色の髪に、褐色の肌にたくさんのピアス、綺麗に整えられたつり眉に対して甘い印象を与える垂れた目許、仕立ての良さそうなスーツ……紺とはタイプが真逆な感じだったけれど、きれいだなと思える感じの男のひとだ。
金髪のひとは、ぼくが手にしていた財布を見ると、ぱぁっと顔を晴れさせて嬉しそうに笑った。
「お巡りさん! ありました! 俺の財布!」
「ああ、そうなの? よかったねぇ」
「サンキュー! 助かったよぉ!」
「あ、いえ……」
かなり大げさに喜んでくれて、ぼくの肩をバシバシ叩かん勢いの金髪のひとの気迫に圧されているぼくを見ながら、お巡りさんの小林さんが、「やっぱり緋唯斗くんが拾ってくれたかぁ」と、笑う。
緋唯斗、というぼくの名前を耳にした瞬間、金髪のひとは驚いたように目を丸くして、それから突然ぼくに抱き着いてきた。
「緋唯斗! 緋唯斗なんだな!」
「え、あ、はい……えっと……どちらさまで?」
「迎えに来たぜ、緋唯斗」
「……へ?」
「あれ? あいつから何も聞いてないのか? ……それなら俺にもチャンスはあるな」
突然の言葉にぼくが今度は目を丸くしていると、抱きしめていたその人はぼくを抱擁から解放して、それから改まった感じで片膝をついてこう言った。
「緋唯斗、お前を嫁に迎えに来た。さあ、俺と一緒に俺の国へ行こう」
「えぇぇ⁈」
名前もよくわからないひとからの突然のプロポーズと連れ去り発言にぼくはもとより、小林さんも飲みかけていたお茶を吹き出しかけたほどだ。
(一体、なにがどうなっているの? この人はだれで、なんで僕をお嫁に迎えになんて……)
夢で見た人と違う人が、夢の中で見たようなことを言っている。
夢と現実の違いに混乱して言葉が出てこないぼくの手をその人は取り、手の甲にそっと口付けをしようとしたその時、どこからともなくお玉が飛んできてその人の顔に当たった。
見覚えのあるお玉と金髪のひとが床に転がっているのをぼくと小林さんが唖然としてみていると、交番の入口から大きな人影が現れた。
「――勝手に私のものに手を触れないでください、金路」
「……紺? 知り合い、なの?」
ぼくがいつかトラブルに巻き込まれてピンチになった時みたいに……いや、それ以上に怒りのオーラのようなものをまといながら、紺が交番の中に踏み込んでくる。
お玉がヒットして床に転がっていた金髪のひと――金路が起き上がって、ゆったりと紺と対峙するように向かい合う。
二人は音がしそうなほど睨み合っていて、ぼくも小林さんも固唾をのんで見守っていた。
「“私のもの”ねぇ……緋唯斗は何も知らねぇみたいだけどな?」
「それはまだ、話ができていないからであって……」
「ふん、仕込んでもないくせになんで所有権を主張してるんだ? お前の手がついていないなら、別に俺のものだと言ってもいいだろうに」
金路が意地悪そうに片頬をあげて言うと、紺はぐっと黙り込んでしまった。その横顔がすごく悔しそうで、悲しそうで、何故かぼくの胸が痛む。
春うららかな陽射しの降り注ぐ小さな交番の中で、ぼくはそんな空気に相応しくない睨み合いに挟まれて息をすることもままならなかった。
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