天才賢者は口が悪くて人嫌い

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天才賢者は口が悪くて人嫌い

 世界の人間に新しい人種が誕生した。  普通の人間とは並外れた権能を持った『シェリフ』という人種。身体能力や知力、魔法とは違う権能という力を行使する。更には権能を開放すると神に近い姿になりその力を行使できるという。  故に、かつてシェリフの権能のみで国を三つ滅ぼした伝説があるくらい。  だが、人知を超える力には代償があり、生命力、身体が汚染されていってしまうのだ。故にシェリフは短命な者も居る。  しかしシェリフと対になる存在が居る。それは『ルーラー』と称される人種で、シェリフの汚染を浄化し清めてくれる力を持つ。  両者ともとても希少な存在で、百万に一人という確率で誕生すると言われている。中でもルーラーは特に少ない。そのせいでシェリフは自分と相性の良いルーラーと出会うのがとてつもなく困難なのだ。  時代は進み、今日(こんにち)もその困難に遭遇している者が居る。  ファルグニス王国の『恒明の英雄』の名を知らない者はいない。いくつもの戦争に勝利をもたらし敵対していた国から休戦協定を結ばせるほどの影響力をたった一人の存在で起こす。それが『ウィリアム・エクロアース』という男でシェリフである。  しかもクリームイエローの金髪に碧眼という童話の王子様みたいな端正な顔に家柄も公爵家と文句なし。令嬢たちから黄色い歓声が飛んできても顔色も変えないそんな国の英雄がかつて誰にも見せた事が無いような暗く思い表情をしながら、忠誠を誓っている自国の若き王に謁見していた。国王もウィリアムを目の前に見て眉を顰め困った表情をしていた。 「…ウィリアムよ。(ちん)の心配は心得ているな?」 「は。今度同盟を結ぶ国の使節団が来ることですね」 「違うわ」 「…?では心配というと?」  全く検討の付かないという表情に深いため息を漏らす国王のフロエンド・ロア・ファルグニス。彼は父である先代の王が病で逝去し、即刻即位した若い王である。が、若いからと舐めてかかると倍に返され痛い目を見るだろう。聡明で既に名君と称賛されている。そんな国王が今唯一頭を悩ませてるのがウィリアムなのである。 「ウィリアム。今のお前の年齢は?」 「今年25歳になります」 「そうだよな?もう25歳だ。…なのにだ!何故お前は婚約者が居ない!?」 「…はあー…」  心配の意味がやっと理解できたウィリアムは気まずそうな顔をする。そして一番触れられたくない所を突かれ今すぐこの場から立ち去りたい気持ちで一杯になる。だが、怒りに興奮しだした主人から逃れることなど出来ないのが現実。 「何度も言ってるじゃないですか…。自分はシェリフです。それに公爵の身。結婚するならば相性の良いルーラーの方としたいと」 「朕はお前のその可愛い我儘を受け入れ10年待った。だが未だに見つかっていないだろう」 「…何分自分はこだわりが強いようですので」 「緑麗館のルーラーでは足りないのか」 「まぁ…気休め程度ですね」  『緑麗館』  そこはシェリフの為のルーラーが集められた王宮の中にある宮である。専属ルーラーが居ないシェリフが浄化してもらうための憩いの場。しかしウィリアムのシェリフの権能使用の汚染は、そこに滞在するルーラーでは完璧に浄化する事は出来なかったようだ。 「どれくらい持ちそうなのだ?」 「…恐らく、あと三回程戦場に出たら終わりでしょうね」  淡々とそう告げるウィリアムに再び深いため息を吐く国王。シェリフの中でも飛び抜けて強いウィリアムの英雄と謳われてきたこの男の戦いの代償はこれ程若くして寿命を縮めてしまうものだった。確かにそれ程の汚染、並大抵のルーラーでは浄化しきれないだろう。国王は頭を悩ました。そしてある決心をしたようにウィリアムに提案する。 「…ウィリアム。朕の弟とは会ったことあるか?」  突然そんな事を聞かれ不思議に思う。  会った事は無くとも知らない者などいない。早くに王位継承権を捨て、魔法の研究に時間をつぎ込み、世界で三人しかいない魔法使いの頂点。賢者の一人であり王弟『エンリア・ロア・ファルグニス』。王を陰で支える充実な臣下。 「お会いした事はございませんが…」 「まあ彼奴は人前に出るのを嫌うからな…。ウィリアム、王命だ。朕の弟ならなんとか出来るかもしれん」 「失礼ですが、いくら賢者様でも魔法ではどう…」  どうしようもない、と言いかけたが、その時の王の顔が『会えば分かる』と物語っていた。ウィリアムはそれ以上何か言う事もせず大人しく命令に従う事にする。  謁見室を後にし、王弟エンリアが居る第二皇子宮へ足を向けた。一体彼に何が出来るか等の期待はしていないが王が言う以上従わない訳にもいくまい。あまり胸に希望を抱かず行こうと決める。  第二皇子宮へ着くとあまりの人の少なさに驚愕する。出迎えたのは二人のメイドに一人の執事…というより魔法使いの従者が一人の合計三人しか現れなかった。 「エクロアース公爵。何用でしょうか?」  物腰の柔らかい好青年の魔法使いの従者が先頭立ってウィリアムに尋ねられた。後ろのメイドは双子のようで、同じ顔で同じポーカーフェイスをしている。 「エンリア殿下に取次ぎをお願いしたい」 「ああ、師匠は今魔法研究の為塔へ籠っておられます」 「そうか…。いつご帰宅だろうか?」 「さあ。大体いつも二か月程で戻って来ますが…」 (二か月!?)  明日か明後日位には戻ると思っていたら、まさかそんな長い期間宮を空けているとは思わなかった。塔というのは、この王城の一角にあるエンリアが魔法を修行する為だけに造られた建造物である。故に立ち入りは主人のエンリア以外許可された者しか入れないのだ。 「…もしかして、公爵。先程陛下から魔法鳩で報せが届きましたがその事で訪問なさったのですか?」 「そうだが…陛下はもしかしてエンリア殿下が塔にいらっしゃるのをご存知無かったのか?」 「いえ?師匠は陛下と私にだけは伝えてくれるので陛下もご存知のはず」  そう言われウィリアムは怪訝な表情をする。会いに行けとはもしかして今ではなく二か月後の事を言っていたのか?だったらその場で言っていたはず…など頭の中でぐるぐると考える。だがそれで二か月も待つのは無理な話だ、と仕方なく塔に向かう事とした。 「エクロアース公爵。もしこれから塔に行くのであればこちらをお持ちください」  そう言って、従者から手渡されたのは一つの手提げかご。一体中に何が入っているのかと思い覗いてみると、中には焼きたての桃のパイが入っていた。 「丁度今から私が持っていこうかと思っていたのです。公爵にお願いできる立場ではないですがお助けアイテムになると思いますので」  言っている意味はよく分からないがエンリアの事をよく知らないウィリアムは黙ってお願いを聞く事にした。塔まではそこまで遠くなく馬車で五分程の場所に位置している。  塔というには壮観で、縦長に煌びやかな造りだ。  扉をノックするが返事が無い。試しに玄関扉を押すと開いたので、中に入ると想像より暗く本当にここに人が居るのか疑うほどである。  どこにエンリアが居るのか分からないので取り敢えず一通り部屋を見て回ると一つ明かりが灯っている部屋があった。  その部屋に近づいた途端、部屋の中から冷たい声が飛んできた。 「それ以上近付いたら殺す」  その殺意は本物で指先少しでも動いたら終わりだろう。今までのどの戦場よりも緊張する一言にごくりと唾を飲む。 「…王命で参りましたウィリアム・エクロアースです」 「兄上が…?帰れ。用件は紙でまとめて送るよう陛下に伝えろ」 「しかし、俺は直接殿下に尋ねるようにと…」 「くどいぞ」  ウィリアムはどうしたものかと頭を悩ませた。返ってくるのは頑なに自分を拒む対応だからである。その時ふとあの魔法使いに渡された籠の存在を思い出した。これが何故お助けアイテムになるのか、とウィリアムは不思議に思うがとにかく渡されたのくらい置いていこうと思い再度口を開く。 「…そういえば殿下、ここに来る前に桃のパイを預かったのですが…」 「……それだけ置いてお前は出ていけ」 (もしや…殿下はこれが好物なのか…?)  もしそうだとしたらあの魔法使いの従者が言っていたお助けアイテムの役目を果たせるのかもしれない。そう思ったウィリアムは無礼だと思いつつ賭けに出た。 「しかし、殿下に拝謁出来ないのでしたら持って帰るとします」 「何?」 「桃のパイが欲しいのでしたら俺を中に入れてください」 「……チッ」  それ以上言葉が返ってこなかったので、許可されたと汲み扉のドアノブに手を掛ける。 (…にしてもこの桃のパイ効果が絶大だな…)  ウィリアムが慎重に扉を開ける。そこには黒い生地に金色の綺麗な刺繍が入った服をだらしなく着ておりL字のソファに寝転がりながら、読書をしている男性がいた。ただ、男性の周りは何冊も上に積み上げられた本や何かを書き記した紙が下に散らばっていたりなど、全く整頓されていないこの空間に唖然と口が開いたままになる。   「用件だけ話してさっさと出ていけ」  この部屋の主人の顔が少しだけウィリアムの方へ向けられる。それはそれはもう不機嫌にそして目を見張った。  肩くらいまで伸ばされた黒い艶やかな髪、チャロアイトの宝石のような瞳、白い肌に薄紅色の唇。忠誠を誓う逞しい身体つきの陛下とは似ても似つかない華奢に見えるその姿に言葉なんてものは出てこなかった。  それにエンリアから感じられる気配に気を取られていたが、はっと我に返り名を名乗る。 「…お初にお目にかかります。ウィリアム・エクロアースです。殿下へ拝謁の許可賜り光栄でございます」 「エクロアース…?ああ、兄上の剣か。それで?英雄が兄上からどんな命令を受けたのか早く話せ」  事の経緯を話すとみるみる不機嫌な顔になっていくエンリアに冷や汗が出てきそうになるウィリアムだった。  一通り話し終わってもエンリアは表情を変えることなく不機嫌のままだった。 「…桃のパイを置いて出てけ」 「はい?」 「中にも入れて話も聞いてやった。兄上の命令は終わっただろ」 「い、いえ、まだ…!」 「魔法でシェリフの汚染が浄化出来ると思うか?」 「っ…それは…」  エンリアのその言葉にウィリアムは言葉を詰まらせる。それはもっともな言葉だからだ。浄化するにはルーラーの能力しかない。しかしー 「…陛下は意味もなく貴方に会うよう言わないはず。何かご存知なのではないですか?」 「……しつこい」  エンリアがパチンと指を鳴らすと、ウィリアムは一瞬で別の景色が自身の視界に映す。そこはよく出入りしている陛下の執務室。訳が分からず思考を巡らせていると背後から微かに笑む声が聞こえた。  後ろを振り返ると、そこには苦笑いしている王のフロエンドが自分の椅子に座りウィリアムを見ていた。 「やはり帰されるか」 「え、いえ…あの、これは…」 「お前は弟に転移でここに戻されたんだ」  ウィリアムは驚愕した。いくら賢者の一人とはいえ無詠唱でこうも容易く魔法を行使できるものなのか、と。ならば自分が来た時点で無条理に魔法を使われてても可笑しくなかったが、一応王命と桃のパイが時間を長持ちしてくれたのだな…と妙な納得を得た。   「あの…陛下。エンリア殿下は誰にでも…その、あの感じなのでしょうか?」 「まあそうだな…あれは人嫌い故だ。許してやってくれ」 (人嫌いの域を超えているような…)  などウィリアムは思ったが不敬に当たるので口には出さない。  だが、特に収穫が無かった訳では無かった。先程、ウィリアムがエンリアの部屋に入った瞬間微かに空気が変わったのを感じた。それはウィリアムの中にある汚染。それが軽くなった気がしたのだ。  それがどうしてなのか分からないが、もう一度エンリアに会わなければいけないと直感するウィリアム。 「…その顔は、エンリアに会って何か感じたか」 「は…確信はありませんが、エンリア殿下の部屋へ入った時身体が軽くなり頭が冴える感覚になりました。これが魔法によるものかどうか分かりませんが…」 「まあ少しでもお前の汚染が消えればいいと思い弟に会いに行けと命令したのだ。エンリアの宮も邸も魔塔もいつでも好きな時に行くが良い。朕が許可する」 「そんな簡単にいいのですか…?」 「大事な臣下の為だ。問題ない」  心配はあるが、これ以上何か言ってはいけないと思い感謝の意を述べウィリアムは退出した。  その後、陛下の執務室に入ってきたのは宰相のビルク・ヨマイル。三十代後半にして妻子持ちの端正な顔立ちをしている。ビルクは先程のウィリアムと陛下の会話を聞いていたようで、大丈夫か、と顔に書いてあった。 「エクロアース公爵にあの事を伝えなくて良かったのですか?」 「朕から教えるとエンリアに嫌われてしまうだろう。それは嫌だ」 「はあ…ブラコンも程々に」 「…真面目な話、もうエンリアを頼るしかない。…それに我が弟もいい加減向き合わねばな」  そんな臣下と弟を想っての陛下の行動に後日、怒り狂ったエンリアが大きな山を二つ程消滅させたのはまた別のお話。 ******  エンリアに初めて会ってから二日後、ウィリアムは再び魔塔を訪れていた。桃のパイを持参して。勿論、前回同様この桃のパイは魔法使いの従者お手製のものだ。これで無下に追い出されることは無いだろうと思っていた。  前と同じ扉の前に着いた瞬間だ。シャリン、シャリンと音が近付いてきて横を見るとエンリアが不愛想に歩いて来るのが見え、ウィリアムに気づき立ち止った。  エンリアの黒い七分パンツからはみ出る細い足首に、いくつもの雫の形をした銀製のアクセサリが緑のバンドに通され足首に巻かれてるのがシャリンシャリンと音を立てていたのだろう。  そんな事はさておき、急いで挨拶をしようとした瞬間両腕と両足に何かが絡まり動けなくなった。ボトっと桃のパイが入った籠が地に落ちる。  それは白く光る蔦のようなもの。それが両手両足に纏わり付いていたのだ。そんな事をするのは目の前のエンリアしかいない。 「誰が立ち入りを許可した」 「へ、陛下が…」 「私は許可していない」  そう言うとエンリアは再び指をパチンと鳴らす。その瞬間ウィリアムは王宮の街にまで飛ばされた。  市民達の視線がウィリアムに突き刺さる。   「なっ……!」  これでは話どころではないじゃないか。そう思うも、ウィリアムは諦めなかった。  次の日もエンリアの居る魔塔へ向かうと、魔塔に入る前の門に鉄で造られた巨大なゴーレムが門番のように配置されていた。  昨日は無かったのに何故だろうか、と思いつつ門をくぐろうとするとゴーレム達の目が赤く光り警報を響かせた。 「なっ何だ!?」 <侵入者!侵入者!即刻排除!> 「はあ!?」  そんな勢いでゴーレム達がウィリアムに襲い掛かってきたので撃退しようと思ったがゴーレムに強力な保護魔法が掛けられている事を感知したウィリアムは撃退は無駄だと悟りその場を後にした。  ウィリアムは次の日もそのまた次の日も魔塔へ赴くが、攻撃魔法が仕掛けられていたり魔法結果が張られていたりとエンリアに会うどころか魔塔にさえも入ることが出来ず途方に暮れていた。  自身の邸にあるガーデンのハンモックチェアに座りながら黄昏れている所に一匹の白猫がやって来た。 〈どうだ?順調か?〉  その白猫から発せられている声は国王のフロエンドのものだ。心なしか愉悦を含んだ声色のように感じる。それが気に入らないウィリアムは少し不貞腐れた表情をした。 「…陛下、楽しんでいませんか?」 〈いいや。そんな訳が無いだろう。至って真剣に聞いている〉 「はあ……」 〈本当だぞ?朕はようやくお前が浄化の事を考えてくれるようになって嬉しいのだ〉 「陛下…」  ウィリアムが15歳の時にウィリアムの父が亡くなってから自身が代わりにその役目を果たすと宣言したフロエンドは、ウィリアムの汚染について対策を練り続けてきた。もう一人の弟のように家族として大切に思ってくれてるのはウィリアムもよく理解している。だからこそ、エンリアがフロエンドにとって、又はウィリアムにとっての最後の希望の砦という事も理解しているのだ。 〈汚染を完全に浄化できるルーラーが居ないと分かってからお前は長く生きることを諦めていたからな…〉 「…まだ浄化できるとは限らないですが…何分一切取り合ってもらえないので…。それにしても、エンリア殿下の人嫌いは…すさまじいものですね…」  遠い目をして疲れ切った様子のウィリアムにフロエンドは猫の姿なりに気まずい顔をする。ここまで憔悴している優秀な臣下を見るのは初めてなのだ。 「…たまにはゆっくり休むといい。朕からもそれとなしに聞いてみよう」 〈お心遣いに感謝致します…〉  ウィリアムがそう述べると白猫の姿は泡となって消えた。それから一息ついて邸に戻り休息を取ることとした。  使い魔から意識を切断したフロエンドは執務室の椅子に凭れ掛かった状態で目を覚ます。そして窓辺に寄り掛かった一人のよく見知った人物が本を読んでいるのに気付いた。その人物を見て眉を八の字にし困ったように笑みを零す。 「朕の忠臣を苛めるのはやめてくれないか?……エンリア」  名前を呼ばれた者が読んでいた本を閉じる。そして綺麗な顔がフロエンドに向けられた。 「…であればいい加減私に関わろうとするな、と伝えてください。非常に鬱陶しいです」 「はは、それを言いに来たのか?態々?」 「……アレ、死にますよ?」  『アレ』ーが何を指したか理解しているフロエンドはジッとエンリアを見上げる。静まり返った執務室に、エンリアの耳飾りが揺れ軽やかな音が鳴る。 「…だからお前に頼んだのだ」 「いくら私が賢者といえ、魔法ではどうしようも無い事…兄上もよく知ってるはず」 「魔法“以外”があるだろう?」 「…敬愛する兄上、私は兄上以外の為に己の力を使う気はありません。たとえ、兄上の可愛がっている忠犬だとしても」  するとエンリアは指を鳴らして転移し、姿を消した。丁度そこに扉をノックする音が聞こえる。入室してきたのは執事長のバハム。白髪に黒い燕尾服。70歳半ばにして背筋も伸びた老紳士。その手にはトレーが握られており紅茶を運んできたようだ。 「…おや、エンリア様はもう行ってしまわれましたか」 「茶を用意してくれたのか、爺…すまないな」 「ほっほっほ、久方ぶりにお話が出来ると思い爺が張り切りすぎてしまいました。相変わらずのようですな」 「…だが、忠告してくる程度には気にかけているようだ」 「おやおや、ほっほっほ」  その後、バハムとフロエンドは二人で用意した紅茶を嗜み、昔話に花を咲かせるのであった。 *****  二日後、ウィリアムは第二皇子宮へ赴いていた。  挫けかけていたが、可能性を確かめる為に気を取り直して再びエンリアに会おうと桃のパイを貰いに来たのだ。 「ようこそ、エクロアース公爵様」 「やあロン。今日も頼めるかな?」  ロンというのは、魔法使いの従者の名だ。通い続けるうちにかなり親しく会話するようになった。 「公爵様も中々めげないですね」 「笑い事じゃないぞ…君のご主人様には早く心を開いて欲しいものだな…」 「あはは…」 「……無理だろうな、みたいな顔をしないでくれ」 「は、はぃ…」  苦笑いを見せるロン。意気込んで来たが、今回はどんな方法で攻撃されるか今から想像しただけで嫌になる。   「あ、そうだ。公爵様」 「何だ?」 「その…お伝えするのが遅くなって申し訳ないのですが、師匠の事は『殿下』と呼ばれる事を嫌うのでお辞めになった方がよいかと」 「…?何故だ?」 「直接聞いた事は無いのですが、師匠は王位継承権を廃棄した身。立場上は兄君のフロエンド様が王位を継承し師匠は王弟殿下という立場ですが、陛下が即位した直後師匠はアスタナ大公という爵位を賜っております。師匠は陛下の王位を脅かす存在になりたくない為殿下と呼ばれるのを嫌ってるようなんです。僕の憶測ですけどね」 「成程…」  もしかしてずっと殿下と呼び続けているから嫌われているのだろうか?  そんな思考が巡り冷や汗が垂れる。ウィリアムがエンリアの爵位授与の事を把握できて無かったのは、普通爵位が授与される場合爵位の位が高い程授与式というのが催されるがエンリアの場合それが無かった。  恐らく文書にて各貴族達に通達されたのだろうが、その後直ぐ戦場に出ていた為元々政界に疎いウィリアムの耳にしっかり入る事が無かったのだ。   (確かに爵位を授与されたのだからそちらで呼ぶのが礼儀か…俺が無知なばかりに…) 「因みに、公爵様。師匠は今日魔塔に居ないんです」 「ではどこに…」 「ここ、第二皇子宮ですよ」  良いタイミング!とロンは片目ウインクと親指をグッと立てる。  つい「何っ!?」と大きな声を上げてしまい、ウィリアムは直ぐに口をつぐんだ。 「大丈夫です。師匠は今寝室でぐっすりなので、騒いでも起きることはありません」 「そ、そうなのか…」 「なので、チャンスですよ!」  ロンに案内されるままエンリアの寝室に案内される。許可を貰っていないのに寝室へ入るのは気が引けるがロンに「どうぞ」と言われエンリアの寝室へ足を踏み入れてしまった。   「あ……」  魔塔の時と同様、エンリアのテリトリーへ入った瞬間身体が軽くなった。エンリアから漏れる魔力の形なのか何なのか。  天蓋付きのベッドへ近付く。近付くにつれて空気は澄んでいるような、離れがたいそんな感覚。  ベッドを除くとそこには、ロンの言った通りぐっすり眠っているエンリアの姿があった。  横になっていても艶やかな黒髪は大きく乱れる事が無く眠っている姿でさえ彫刻のように美しい…のだが、いつものだらしない服装からさらに服がはだけてまるで誘っているようにも見えた。  そしてエンリアにこれだけ近付けたのは初めてなので、更に確信が深まった。より、心地よい気配。ルーラーに浄化をしてもらう時と似ている…いや、近くに居るだけでそれ以上のようだ。  加えて初めて、ウィリアムは己のシェリフとしての本能が呼び覚まされた気がしている。 『彼がホシイー彼は俺のモノダ』  自分の声だが、自分とは違う声が頭に木霊(こだま)する。今直ぐにでもエンリアの手を取りたいなどの欲が出そうになるが必死に抑え込む。  ベッドの横にあるサイドソファに腰掛ると、溜息一つ付き鼻根を摘み天井を仰いだ。 「…貴方は一体何者なのですか…」 「……ん…」  身じろぐエンリアはしかめ面になると少しずつ目が開いた。そして、ソファに腰掛るウィリアムと目が合う。 「お、お目覚めですか…大公閣下…」  約二分程、エンリアはウィリアムと目が合ったまま動かずにいた。ウィリアムもどうしたらいいか分からずここで目を逸らしたら負けだと思い視界は合ったまま。  エンリアは起きたばかりの頭で理解した。 「…はあ…ロンか…」  明らかに不機嫌な声色にウィリアムは身構える。きっとこれから宮ごと吹き飛ばされるんだろうな、と。だが待っても予想してる痛みや衝撃は無かった。  不思議に思うとエンリアはただ不愛想にウィリアムの方を見ていた。  そしてゆっくり起き上がり、それから気怠い様子で話し出す。 「…公爵…しつこいってよく言われないか?」 「いえ…言われた事は無いですが…」 「はあ…兄上にも言ったが私の魔法でも汚染をどうにかする事は無理だ。いい加減私を頼ろうとするのは諦めろ。それに、浄化できる出来る者を探すよりシェリフの権能を使用しなければ早…」 「嘘ですよね」 「は?何が嘘…っ!?」  ウィリアムがエンリアの言葉を遮り衝動のままエンリアの手首を掴む。片足をベッドに乗り上げエンリアに体を近付けるウィリアム。エンリアは突然の事に驚いて目を見開いた。  目の前の男の真剣な瞳、そして掴まれた手首が熱い。そして、すぐ近くに感じるシェリフの気配に自分の中の『何か』が反応しそうになる。  力付くで掴まれた手首を放そうとするが、それをウィリアムが許すはずもなく更に力が込められた。 「っ…放せ!」 「…閣下の近くに居ると、汚染が軽くなる感覚があるんです」 「気のせいだ…!」 「閣下の魔力なのか、何か魔法を使用してなのか…疑問に思っていました。…ですが、今閣下に触れ確信しました」  エンリアの瞳が鋭くウィリアムを睨み付ける。そして魔法を使用しようとするも、バチッと弾け消されてしまった。一瞬何が起きたか理解できなかったが、要因としては目の前の無礼な男の仕業だという事を認識する。  気に食わないという顔をするエンリア。そしてウィリアム自身の出した確信を告げる。 「魔法じゃない別の力…閣下はもしかしてルーラーなのですか?」 「…はっ。それは公爵の願望だろう。残念ながら私はルーラーじゃない」 「なら、貴方は何者なんですか!ルーラーでもないのに似たような力…」 「…はあ………”眠れ”」 「…っ…何を…!」 「言葉に魔力を乗せた魔法だ。流石にこれは弾けなかったみたいだな」  グラグラする視界の中ウィリアムは倒れそうな体を必死に起こしていようと踏ん張る。…が、次第に瞼がすごい重くなってくる。薄れていく意識の中、不意にウィリアムの額に柔らかく温かい感触を感じたような気がした。そして黒髪が頬をかすめたのに気付くとー 「…これっきりだ」  という言葉を最後に完全にウィリアムの意識は途切れた。エンリアの横には雪崩れるように倒れ、静かな寝息を立てているウィリアム。するとそこに一人のメイドが入って来た。シルバーの長い髪を両側に三つ編みで結んだ可愛らしい容姿をしている。 「ご主人様、お呼びですか?…っと、ついに鬱陶しくて殺しちゃったんですか?」 「馬鹿か。どう見ても寝てるだろ」 「分かってますよ。これは…バレちゃったんです?」 「違う。見当違いな事を言い出したから眠らせた。ロンに公爵邸へ運ばせろ」 「承知しました。…ご主人様はどちらへ?」 「塔へ籠る。またこいつがここへ来るようなら桃のパイは渡すなとロンに言っておけ」  それだけ言い残すとエンリアは転移魔法を使い姿を消した。残されたメイドはやれやれ、と困ったように笑みを零し主人の命令通りロンに伝える為、ウィリアムの体勢を正し寝室を後にした。  ウィリアムの意識が段々と覚醒していく。ゆっくり目を開け何か思い出したようにバッと起き上がった。  周囲に目を配らせ自身の邸の寝室だという事を認識する。そして徐々に蘇る記憶に頭を抱えた。  あんな魔法もあるとは思いもしなかったのだ。  小さくため息をついていると、あることに気付く。  今までウィリアムの内にあった汚染が消えたかのようにすっきりしているのだ。頭の中で一つの心当たりが浮かび上がる。  薄れる意識の中で額に触れた感触。 (……あれは額に口付け…だった、気がする…)  現実だったのか確かめるように額を指で触る。勿論記憶はあやふやだが、やはり自分の確信は間違っていなかったと感じた。  長年諦めていた汚染された自分の体だったが、光が見えたようで嬉しくもある。エンリアがどうしてそんな力を持っているか気になるが、それと同じくらい気になる事がある。 (閣下はどうしてあそこまで人を寄せ付けず人嫌いになってしまったんだ…)  まだウィリアムが幼い時代。父である先代公爵から少しだけエンリアについて聞いた事があるが、全く違うものだった。  最初は王であるフロエンドの命令でエンリアに会いに行ったが、今は純粋にエンリアの事を知りたいと思っている事に驚いている。  恐らくまたエンリアの元を訪れたら嫌な顔をされるだろうな、と想像して小さな笑みが零れた。
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