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「それはまぁ見事に綺麗なんですよ!」 立派な太鼓腹を揺らしながら、医局長の松永がいつものように高齢の窪塚部長を相手に熱弁を振るっている声が自然と耳に入ってくる。 この雪深い山間(やまあい)にある基幹病院は、ほとんど地元国立大学医局からの派遣医で(まかな)われているせいか、いささかのんびりとした空気がどの診療科にも流れている。 そんな中で間取(まとり)は都市部からの応援部隊のひとりでもあり、女医という事もあってか多少の距離感をもってこの総合診療科に所属して2年が過ぎようとしていた。 午前中の外来がひと段落した頃合いに、こうして陽当たりのよい医局で茶飲み話をするひと時は、個室を持たない下っ端医局員間取のルーティンワークとなっていた。何せ彼女の机は医局の中にあるのだから、いかに人嫌いとはいえ逃げる選択肢はない。 それでも喋り好きな松永が、ほとんどの話題を提供してくれているので傾聴していれば事足りる楽な業務だ。今だって、貯まった書類を電カルに書込みながら聴いている。慣れてしまえば、存外働き易い職場といえる。 「でね、雪が解けた春先にはそんな遺体が2〜3と出るんですよ。うちの隣の爺様なんかも、孫娘が嫁にいってひとりになった春先に発見されたんですけどね。綺麗なもんでしたよ。私も死ぬんなら、ああいった綺麗な身体(からだ)で発見されたいもんですよ」 「ほぉ、だが窒息死は苦しいだろうが。ワシはごめんだなぁそんな最期は」 「いやいや先生、それがふかふかの雪にダイブする事になるんで、もがく間もなく意識が無くなりますから大丈夫ですって」 何が大丈夫かさっぱりわからないし、毎冬2〜3体もご遺体が雪解けとともに発見されたら大騒ぎだろう。あいも変わらず大言壮語な松永の話っぷりにあきれもするが、落語家並の語り口調は聴いているものを飽きさせない力があった。それでついつい、耳はその話をいつしか追っているのもいつもの事。平和だなぁと、口を挟むことなく感じる間取だった。 しかしそんなホラ話しが出たばかりの春先に、実際そんな遺体が出たので検案に来てくれとの依頼が舞い込んだ。 東京などの都市部と違い、地方では監察医務院など存在しない。よほどの事件性が無ければ、警察官が検視して地元の医師に依頼して死体検案書を書いてもらう流れになるのがほとんどだ。解剖も家族が望まなければ、ほとんど行われない。なのでこうした依頼は多く、ここでは暗黙の了解で総合診療科が扱う業務となっていた。 綺麗なご遺体を見慣れている松永は、今回も期待を裏切る事なく間取に仕事を振ってきた。 松永は滅法口は立つものの、仕事をする気がさらさら無い男だった。その上、松永の部下は間取を除けばあとは実質研修医だけ。仕事しか趣味のない間取にとっては、この上なくいい加減な上司である。
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