前編

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前編

 今朝の天気予報では、本日快晴と言っていた。  洗濯物を外に干すため、私はベランダに目をやる。  乾燥機能の搭載された洗濯機を使っていても、天気の良い日は陽の光りを浴びさせたい。  部屋干し臭も、気掛かりだ。  不快な点が目につく。  瞬時にその違和感の正体を察した私は、慎重に網戸に近付いた。  虫だ、それもカメムシ。  二本の長い触覚を生やした黄緑色の六角形は、ひっそりとその場に留まっている。  勇気を持って網戸を叩いた。  いるのは外側なのだから、この揺れでお帰りいただくのだ。  ところがカメムシは真下に落ち、着地し此方へ歩きはじめた。  私はこれから洗濯物を干す。  それなのにカメムシが近寄ってきてしまっては、私はベランダに出られない。  洗濯物も干せなくなる。  だから私は再びの勇気で反対側の扉からベランダに出ると、デッキブラシを手にカメムシをそっと払った。  ふんわり浮かせればカメムシもきっと、そのままお帰りくださるはずだ。  柔らかくブラシの先で触れる。  それはもう史上最強の、この上ないほど細心の注意を払い、掌に乗せた豆腐を切るよりも優しく繊細にだ。  ところがその時、異変が起きた。  カメムシがいなくなったのだ。  そんなはずはない、私は慌てて周囲を見回すがいない。  虫が洗濯物につくのは嫌だが、死骸を片付けるのはもっと嫌だ。  だから潰すわけにはいかないのに、いないということは?  私は理由を考えた。  考えられる、たったひとつの可能性。  それはブラシの隙間に、挟まってしまったというものだ。  私は自身の力加減を振り返り、殺生はしていないはずと頷く。  三度目の勇気を胸にしゃがみ込み、目を細め隙間を覗き込むがいない。  別の角度からも覗き込む、いない。いないのだ!  慌てた私は今度は遠くまで見回り、ベランダの柵の向こう側や、サンダルの裏までも探した。  勿論、自分自身の身体もだ。だがいない、どこにもいない。  カメムシはいなくなった、目の前でその姿を消した。  我が家のベランダは、バミューダトライアングルか。
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