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「今日は見学ありがとう!」
稽古が終わったので、葵と一緒に武道場から出ようとしたときだった。光枝さんのよく通る声を背中で聞いた。かなり激しい稽古だったように見えたのにすごい人だ。私は振り返り、軽い会釈を返した。その時、私のほうを睨みつけるように鋭い目つきに気付いた。美咲、と呼ばれていた先輩だ。垂れには伊藤と書かれている。ただ、私が彼女の方を見ていることに気付くと、目をきゅっと丸くして、恥ずかしそうに頬を両手で叩いた後、手を振ってくれた。二年生はどんな人なのかさっぱりわからなかったのが不安だったが、その姿を見て、私はきっとなんとかなると感じた。校門の方にまた振り返ると葵はなにもなかったかのように歩いていた。
「待ってよ~」
小走りで葵を追いかけながら呼びかけた。振り返ることなく葵は歩き続ける。太陽は地平線の際まで沈みかけており、私たちの影が遠く遠く伸びていた。過ぎ去る風は柔らかく暖かい。
「せっかくだから途中まで帰ろうよ」
葵の横に並び、声をかけた。葵は私の方を一瞥し
「別にいいけど」
と答えるとすぐに前を向いてしまった。
「私、そんなに話さないよ?」
付け加えるようにつぶやいた。
「う、うん」
私は少し落ち込んだ。私を誘ったときははすごく自然にはにかんでくれたのに、今は能面みたいに表情が張り付いて動かない。失礼かな、と思いつつも葵の顔を見つめてしまう。きゅっと結ばれた口元は全く動く気配がない。コツ、コツ、コツ、とローファーがアスファルトを小突く音だけが響く。
「……」
あまりに彼女の顔を見つめすぎてしまったので目線を少し逸らす。どうやって通っているの?実力テストはどうだった?そういえば何組なの?なんて無難な質問はしなかった。もちろん葵について真っ先に聞きたいことはあったけど――
「葵ってよんでいい?」
ただ、必要なことだけを聞いた。
「うん」
彼女は小さく返事をする
「じゃあ友梨って呼ぶね」
葵は少しだけこっちのほうを向いてくれた。
「うん、よろしくね」
私も葵の目を見て応える。私はそれ以上詮索しなかった。校門を出ると、ちょうど帰宅途中の学生たちや、車の排気音でローファーの音も聞こえなくなった。またちらりと葵の方を見る。相変わらずピンと伸びた背筋だった。その姿を見るとこの子が私を負かしたんだよな、と思い出してしまう。語りたいことはたくさんある。でもそれはきっと竹刀を交えればわかるだろうと確信めいたものがあった。
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