第三章 烏合の戦場

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◆⑮激突◆ ―――――― 「お前の殺しそこねた男は、ここにいるぞ!」 (ひぐらし)は、自分を呼んだ東雲(しののめ)の顔をそのがらんどうの瞳にとらえるや、嬉々として薄い口もとを三日月型に引きあげた。 高い金属音が立て続けに響いた。 互いに手癖(てくせ)を知り尽くした(なか)である。 息もつかせぬ攻防は示し合わせたように互いの(やいば)(はじ)き、かわし、また弾いた。 『東雲ェ!』 「なんだ!」 『死ね! (クソ)みてェにこっぴどく死にやがれ!』 「嫌じゃ!」 どこか()()きとした命の奪いあいに、赤鬼たちは青ざめて遠巻きに距離を置いた。 すでに看過(かんか)できないほどの死傷者が出ており、あわよくばやっかいな異人同士で相討(あいう)ちにでもなってくれたらと、(あわ)い期待を持ったのである。 そんなほの暗い思惑(おもわく)など蚊帳(かや)の外に、二人は苛烈(かれつ)にぶつかりあった。 先に押されはじめたのは東雲(しののめ)である。 生きるためには尻尾(しっぽ)を巻いてでも逃げ回ってきた男と、率先(そっせん)して人を殺すことだけに執着(しゅうちゃく)した男の差が、徐々にあらわれる。 あの夜もそうであった。 結果として先に死んだのは(ひぐらし)の方であったが、それぞれが負った傷の数は断然東雲(しののめ)の方が多かった。 腹を()かれ、右眼を(つぶ)され、肺を(つらぬ)かれ呼吸すらままならず、あとを追うように東雲(しののめ)息絶(いきた)えねばならなかった。 あの時の光景をなぞるように、()みわたった青い空へ、細く赤い線が幾筋(いくすじ)も散った。 対して黒い影法師(かげぼうし)のような(ひぐらし)の肉体は、(もり)を突き刺してもまるで手応(てごた)えがなく、たちどころに修復されてしまう。 (ぬか)(くぎ)をうつとはまさにこのこと。 長引けば長引くだけこちらが不利である。 しかし東雲(しののめ)は冷静だった。 (ひぐらし)が対人格闘という天賦(てんぷ)の才を持つならば、東雲(しののめ)十八番(おはこ)は、いかなる窮地(りゅうち)においても活路(かつろ)を見出そうとする観察眼にある。 一手を(まじ)えるたび、東雲(しののめ)は生前の(ひぐらし)と眼前の影法師(かげぼうし)との違いをつまびらかにしていった。 そして、東雲(しののめ)は眉をしかめた。 彼の知っている(ひぐらし)という男は、剣戟(けんげき)のさなかに(ごく)近距離の肉弾戦(にくだんせん)を繰り出し、変幻自在(へんげんじざい)緩急(かんきゅう)を織り交ぜ、次の一手を予測させない狡猾(こうかつ)な戦い方をする。 音無(おとな)しであるために表だって評価されたためしはないが、里でも指折(ゆびお)りの練達者(れんだつしゃ)であることは疑うべくもない。 しかしながら、この泥人形(どろにんぎょう)には致命的な欠陥(けっかん)があった。 決定的な一打を放つ瞬間、ただ一点、首ばかりを執拗(しつよう)に狙うのだ。 喉笛(のどぶえ)をかき斬られて転がっている死体の数が、その異様(いよう)さを如実(にょじつ)に物語っていた。 もともと殺しに対するこだわりが強い男ではあったが、これはそういう次元の話ではない。今の彼は、死んだ瞬間の遺恨(いこん)だけが、人の皮をかぶって動いているようであった。 (ひぐらし)は、もはや(ひぐらし)ではなかった。 その事実が、東雲(しののめ)の胸に暗い(もや)を生んだ。 「それがお前のなりたかった姿か」 なじるような問いが出かかり、すんでに噛み殺す。 ()いたところで、ここにいる泥人形(どろにんぎょう)は生前の同僚ではないのだ。 ならば、もうかける言葉などない。 東雲(しののめ)は半歩足を引いて体を開いた。 (さそ)うようにがら空きとなった首もとへ、一切の迷いなく黒々とした(やいば)が襲いかかる。 しかしどんなに(するど)斬撃(ざんげき)も、軌道(きどう)がわかっていれば意味がない。 東雲(しののめ)は突き出された腕を掴み、(ふところ)へ飛び込んだ。 鋼鉄(こうてつ)(もり)が深々と(ひぐらし)の胸を(つらぬ)き、そのまま(からだ)を縦に両断する。 途端(とたん)にぐしゃりと肉体が(くず)れた。 そして東雲(しののめ)は見つけた。 物言(ものい)わぬヘドロと化した(かたまり)の中に、太陽の光を反射してきらりと(きらめ)くなにかがある。 ――あの宝石のような種だ。 漆黒(しっこく)のヘドロは(あわ)く透きとおった種を中心にずるずると集まり、再び肉体をなそうとした。 東雲(しののめ)は、種がヘドロで()もれる前にそれを(ひろ)い上げた。 直後、ヘドロから一本の刃が(おど)り出た。 しかしこれも東雲(しののめ)は予期していた。 馬鹿のひとつ覚えに咽喉(のど)を狙う軌跡(きせき)から首をそらして、指先に力を(こめ)める。 パキリ、とかすかな音をたてて、種は粉々に(つぶ)れた。 その瞬間、床に広がっていた黒いヘドロがざわりと波打(なみう)ち、細かく震えだした。 沸騰(ふっとう)したような気泡(きほう)が無数に()いて、そこからひどい臭気(しゅうき)を放つ黒煙(こくえん)が抜けていく。 次第(しだい)にヘドロの色が薄くなり、表面が(おぼろ)に光りはじめた。 ――(おごそ)かな光景であった。 (ほたる)のような光の(あわ)が、ぽつぽつと(ただよ)いながら空へと昇り、真白(ましろ)な月に()み込まれていく。 東雲(しののめ)は眼を細めてそれらを(まぶ)しげに見つめた。 最後に残されたヘドロに小さなのっぺらぼうの口が開き、(ひぐらし)のかすかな声が耳朶(じだ)をかすめた。 「――……願わくば、お前の行く道に、禍事(わざわい)多からんことを」 消えゆく寸前までひねくれた笑みを(のこ)して、魂の(しずく)は遊ぶように宙をたゆたいながら、ゆっくりと天へ吸い込まれていった。 ヤツらしい、どうしようもない遺言(ゆいごん)である。 東雲(しののめ)(あき)れた笑みをひらめかせながら、手の平でくるりと鋼鉄(こうてつ)(もり)をまわした。 「次の世ではせめて、笑って暮らせ」 穏やかに(つぶ)いた彼を目がけて、無数の矢が放たれた。
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