第三章 烏合の戦場

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◆⑭死屍(しし)流転(るてん)◆ ―――――――― そこからは四分五裂(しぶんごれつ)の乱戦へとなだれこんでいった。 (ひぐらし)という男は、ただでさえ赤鬼相手に善戦するほどの技量(うでまえ)である。 そこに不死という付加価値までもが上乗せされ、戦局は泥沼(どろぬま)の命の(けず)りあいに発展した。 殺しても殺しても殺戮人形(さつりくにんぎょう)は立ちあがり、そのたびにまたひとつ赤い(しかばね)が積みあがる。 東雲(しののめ)としては願ってもない展開であった。 とうに足止めの役割は完了し、この船に貿易船を追う余力(よりょく)は残っていない。 あとは眼下(がんか)の争いに巻き込まれないよう、すみやかに海へ飛び込めばよい。 だがしかし、東雲(しののめ)は動こうとしなかった。 無駄に目ざとい彼の瞳が、気がつかなくてもよい違和感を拾ってしまったからである。   漆黒(しっこく)の刃が赤鬼の咽喉(のど)を貫いた。 そして返す刀がまた別の鬼の喉笛(のどぶえ)を真一文字に斬り裂いた。 単なる偶然ではない。 甲板に転がっている(しかばね)は、すべて咽喉(のど)を裂かれて死んでいた。 (はん)で押したような異様な亡骸(なきがら)を見ているうちに、とある光景が脳裏に(よみがえ)る。 確か、東雲(しののめ)がこの世界で目を覚ました時、(とりで)の地下で殺されていた赤鬼もこのように咽喉(のど)から血を流してはいなかっただろうか……。 いや、もっと記憶を(さかのぼ)れば、あの月夜の晩に咽喉(のど)を裂かれて死んだのは――(ひぐらし)であった。 途端(とたん)にあの瞬間の出来事が走馬灯(そうまとう)のごとく浮かびあがる。    *     *     * 「地獄へ()ちろ、東雲(しののめ)――!」 そう言って、先に東雲(しののめ)咽喉(のど)へ刀を突きつけたのは(ひぐらし)であった。 死闘(しとう)の果てに、これが互いにとって最期の一撃になると(わか)っていた。 かたや一人でも多く殺すために、かたや一時でも長く生き伸びるために、ゆずれぬ狂気が極限まで(ふく)れあがり衝突(しょうとつ)した。 東雲(しののめ)(せま)りくる(やいば)を左腕を犠牲にして受け止め、(かがみ)あわせのように(ひぐらし)咽喉(のど)をなで斬りにした。 夜闇(よやみ)におびただしい血が()きあがり、その赤い命の(しずく)ごしに、黒々とした憎悪(ぞうお)の瞳が東雲(しののめ)(つらぬ)いた。 じっとりと、(たましい)に喰いこむような視線が(から)みつき――、そして、(ひぐらし)が吐き捨てた言霊(ことだま)のとおり、東雲(しののめ)は地獄へと()ちていった。    *     *     * 「そうか……、お前が、俺をこの場所へ連れてきたのか……」 不思議と、東雲(しののめ)の心はこの(なぎ)の海のように静かであった。 因果(いんが)という言葉が、すとんと彼の足もとに落ちて、ようやくこの世界に(おのれ)の足で立っている実感を得る。 ――世界の真理(ことわり)など難しいことはわからない。 しかしながら、あの瞬間、死の(ふち)で消えゆくはずだった魂を(しば)った未練の叫びこそ、この状況を生み出す根源(こんげん)の種だったに違いない。 東雲(しののめ)は己が生きることを望み、(ひぐらし)は他者を殺すことを望んだ。 そのどちらが正しかったとか、不毛(ふもう)倫理(りんり)を挙げつらねるつもりはない。 ただ彼らが望むままに、この世界は彼らに血肉(ちにく)をあたえた。 きっとそういうことなのだ。 東雲(しののめ)帆柱(ほばしら)を蹴って甲板へと降り立った。 「(ひぐらし)ッ!」 なぜ、そのような行動に出たのか、自分でもよくわからない。 「お前の殺しそこねた男は、ここにいるぞ!」 東雲(しののめ)は鋼鉄の(もり)を構え、挑発するように笑ってみせた。 生前の彼であればまず取り得ない選択である。 (ひぐらし)がヘドロの化け物になったように、きっと自分もどこかが変わってしまったのだろう。 しかしそれでいい。 東雲(しののめ)は今の自分を思いのほか気にいっていた。 生き伸びるために背をむけて逃げるのではなく、末期(まつご)のケジメをつけるために、東雲(しののめ)(ひぐらし)へむかって走り出した。
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