37人が本棚に入れています
本棚に追加
/103ページ
第10.9話 結
「ここは"神社"ではなく"寺"だ。」
なんだって?どういうことだ?今目の前の眼鏡が発した言葉が耳に入っては来なかった。
「何いってんだ?この船渡さまは確かに神社だろうよ。
本殿があって、参道があって…神社だろ」
「お前は歴史ある地に生まれておきながら神社と仏閣の区別もつかないのか?
神社は神道、寺は仏教だ。
そもそも君も船渡さまとは言われど『船渡神社』とは一言も言ってないだろう」
そんなの言葉の揚げ足取りだろう、と反論しようとしたがぐっと口を紡いで続きを聞くことにした。
どうせ黙ってても蘊蓄を続けることだろう。
「この丸い石は石臼じゃない。摩尼車だ。
真言を唱えながら手で回転させると、回転させた数だけ内蔵された経や真言を唱えたことと同じ功徳があるとされる…なんというか長いお経を省略するものだ
アニメの『詠唱省略アイテム』みたいなチートだな。
境内周りに置いてある石塔はよく寺にあるものだ。
『この先寺です』って目印みたいなものだ」
この男は解説をしてるときが一番楽しそうだ。
バカにマウント取るのが人生のホビーなのだろうな、と感じ彼の解説はひとつも頭に入ってこない。
「そう思うと、『鳥居は朽ちて無くなった』んじゃなくて、『元々なかった』んだろうな。合点がいく。
すると入り口の岩の塊は元々狛犬じゃなく、阿吽の仁王像か」
「だが、神社じゃなく寺だとなぜ地蔵なんだよ」
問いかけに待ってましたとばかりに胡散臭い笑顔を浮かべる。
「地蔵というのは元は『地蔵菩薩』だ。
簡単にいうと弥勒菩薩という方がこの世の色んなことを救いにくるまでの間、この世の民を救済する方だ。
つまり仏教側の存在だ」
あぁ、だから寺で地蔵なのか。
…なのか?いまいち追いつかねえ。
「そして地蔵には『悪いものから助けてくれる』という効能から村と外の世界の境界に置かれることも増えた。
ところが元々日本には『道祖神』という神様がいる。
こいつは村の境界や、もしくは四つ辻に安置されることが多い。
外からくる厄災を防ぐ守り神だ。
んで、結果地蔵と道祖神が宗教もルーツも違うのに同一視されたりすることも増えた。
道祖神は別名『岐神(ふなとのかみ)』って名前だ。
この場所は『ふなとさま』おそらく岐=船渡で転じて付けられたんだろう。
それが神仏習合の結果か、君のように仏教と神道の区別がつかない誰かが勘違いした結果かは分からないが……。
いつの間にか寺の様式だったこの場所は、神道由来の名前と印象が広まってしまったのさ」
なるほどアキヒロが言ってた違和感は、寺のあり方に神社としての信仰が覆いかぶさってたことだったのか。
時代とともにムラの装置の移り変わる様子がそこにあり、その中で不要になったものは忘れ去られる。
そんな歴史の光と闇が張り巡らされた場所、それがいつの間にか心霊スポットになった。
尚更罰当たりじゃねえか。
「そう考えると、地蔵は元々寺だと知って捨てに来てたんだな。悪質だな。
そうなると、おそらくこの辺に…ほらあった。地蔵様だ。
もう忘れ去られてるけど、坂と境内の境界線装置として機能してる」
少し藪で見えにくかったが、確かにそこにはお地蔵様が鎮座していた。
カイは座り込んで手を合わせる。
忘れ去られた信仰にそっと気持ちを添えるように。
「最初は不気味な場所と思ってたけど、蓋を開けてみたら悲しい場所だな。
ここで昔通っていた感情や人の生活を、悪い形じゃねえ。正しい形で受け継ぎ、紡ぐ必要がある。
そう、なんとなく思っちまったよ。
ありがとうな、お地蔵様」
少しづつ日が落ちて、空は夕暮れに染まり始める。
一体の地蔵菩薩が橙色を受けて輝いて見える。
「因果応報」
カイがポツリと呟く。
「人のしたことは自分に返ってくる。
昔、お釈迦様が蜘蛛を助けた地獄の罪人の話を聞いたっけ。
慈悲で蜘蛛の糸を垂らした話さ。
最後に自己中になってよ、他人を蹴落とした瞬間その糸は切れちまう。
良いも悪いも自分に返る。
奴らにも同じだけの出来事が、いつか返るんだろうな」
原因に対して結果が一本の糸としてこの世はつながっているのだ。
「さて、俺たちも帰ろう。もう大分日も傾いた…っと、うわっ!」
突然立ち上がったアキヒロはぬかるんだ地面に足を取られた。
そこからはまるでスローモーションのようだった。
滑った勢いで前に倒れたアキヒロはそのまま地蔵に覆いかぶさってしまった。
それで済めばよかったもの、アキヒロは地蔵ごと、坂の向こうへ落ちてしまったのだ。
眼の前でフェードアウトしていく様子に、身動きの一個も取れなかった。
一応助けようと斜面を覗き込む。
「おーい、大丈夫か?」
「ちょっと擦りむいたが俺は大丈夫だ!…ゲッ!」
声のした方へとカイは駆け寄る。
「お、おい。これマズいんじゃねえの?」
するとよろしくない光景が目に飛び込んだ。
そこには石に当たって体の真ん中から真っ二つになった地蔵が無惨に転がっていた。
アキヒロの顔を見ると真っ青だ。
「こ、ここは信仰の途絶えた場所だし大丈夫だろう!」
シンとする森に風が吹き始め、周囲は暗くなり始めている。
気のせいか非常に不気味な雰囲気が漂う。
「急いで此処を立ち去るぞ!」
今まで見たこと無いスピードで斜面を駆け上がっていくアキヒロ。
「おい待てって!てめえ!!」
重い地蔵を両脇に抱えながら斜面を上がり、カイは元の場所に戻す。
幸い、上に乗せても安定はするようだ。
まだ風がざわざわと吹いている。
怖くなったカイも急いでそこを走り去り、アキヒロを追いかけるのであった。
原因には結果が、蜘蛛の糸のように強固な結びつきで憑いてくる。
新世暦110年 7月13日 17時。
アキヒロが紛争「東欧の春」に巻き込まれ、同じく真っ二つとなり亡くなる8ヶ月前の物語である。
最初のコメントを投稿しよう!